光る君へ第34回 雑感
2024/09/15(Sun)00:45

第33回感想で、物語が受容されていく多様さの描写が非常に好みだったのでこのまま掘り下げてほしいなーと書いていたら、第34回も引き続きそれが繰り広げられていく様子が見られたので、とても嬉しい。
『源氏物語』が女房たちや斉信ら公卿にも読まれていき、それぞれが思い思いに自分や身近な人など重ねたい人を重ねていく。そこに発生するコミュニケーション自体が物語を育てていく過程が、豊かで素敵だった。

その中でも特に印象的だったのは、臣籍降下された光る君に亡き父・源高明を重ねた源俊賢。

『月刊ドラマ』3月号に掲載された『光る君へ』脚本によれば、第1回で三郎が見に行った直秀の散楽、トウの一族に陥れられるコウメイの劇は、源高明が失脚した事件を描いていたもの。実際のドラマ本編ではカットされていましたが、ナレーションでその歴史背景もはっきり説明されています。

高明の無念に同情しつつも面白おかしく描いていた散楽一座。
その一座から「おかしきことこそめでたけれ」精神を学んだ まひろが、巡り巡って物語を描き、それが今、高明の息子・俊賢の心に響き、作中初めて彼は人前で素直に「父は素晴らしき人であった」と口にする。

もし万が一、直秀らの散楽を当時まだ10代の俊賢が見たとして、コウメイの怨念がトウの一族に降りかかる様を滑稽に描くあの劇で彼が救われたかどうかは分からない。
父を思う妹明子の激しい恨みを投げやりに受け流し、生きるため藤原に取り入られねばと少々卑屈にすらなっていた俊賢の、その表に見えない深い傷を癒やしたのは、読む側が自由に誰かを重ねられる まひろの物語だったんですよね。

帝が抱く人としての悲しみに思いを馳せながら描いた物語が、まっすぐ帝その人へ願いどおり届いた喜びとはまた別に、この俊賢のケースのように、思いもよらぬ人の心へ届き、考えもしなかった感想を起こす喜びは、まひろにとって格別だったんじゃないでしょうか。
「お読みになる方次第」な物語の面目躍如。
 

さて、こうなってきますと、今は「分からない」と言っている彰子様にどう響くかが気になってくる。
読み手が、登場人物に自分もしくは身近な誰かを重ね共感できる「私の物語」から、登場人物が誰だろうと、もっと言えば共感などできなくても、自分の心に何かが引っかかる「私のための物語」になったとき、物語は普遍性を獲得すると考えているのですけれど、どうでしょう。
彰子さまにとって光る君の冒険は、彼女がこの世界を理解し、されるための物語になるのかな。

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