アカデミーナイトGネタ
なかなか異動がないし、周囲にも伊吹係が務まるのはお前だけと言われてる気がするし、伊吹には定年までバディ目指しちゃうー?と☆マーク飛ばされるしで、いい加減ツッコむの飽きてあしらう方向になりつつある志摩さん。
-------------------------------------------------------
40歳は「おじさんセット」に入るのか否か問題。
伊吹は、いえーい、きゅるっきゅるのおじさんでーすとノリノリで面白がってくれそう。
志摩は、恐らくもう姪っ子甥っ子もいるかもしれんし、おじさんに入れられようがどうしようが勝手にしてくれポーズをしているけど、刈谷さんと同じカテゴリだとなったら、「確かに俺ももう世間一般的におじさんと呼ばれることは否定しない、だがそれはあくまで年齢区分の話であって、ああいうやり方が古い刑事と同じ枠の意味で『おじさん』と呼ばれることは云々(一息)」とよく回る口で反論してきそう。
----------------------------------------------------------
アカデミーナイトG見ました。
うわーーSNSから離れてると、こういう細かい情報をうっかり取りこぼす。Tverの期限に間に合ってよかった。そしてこの内容は、本当に見られて良かった。
塚原監督の演出について、満島さんが言う「(役者にも脚本にも)決めつけがない」から「作品の可能性が広がる」、岡田さんが言う「役者に委ねるところは委ねて、産まれたものを楽しんでくれる」という評。常々、脚本家である野木さん自身が塚原演出に寄せる信頼に通じるものがあって、ああ役者さんの側から見てもそうなんだと。
ガッチガチに固めないで、他人に委ねた部分から生まれる偶然を楽しめる余裕は、統括していく監督としての懐深さだろうなあ。また、その余裕は、他人の裁量に任せる振り幅を持たせたとしても、これだけは外してはいけない作品の芯をきっちり掴んで壊さない自信がなければ、できないとも思う。
野木さん自身もメモブやインタビューなど読んでいると、監督や役者との化学変化で世界観や人物像が出来上がっていくことを素直に楽しむ人に感じるので、塚原監督と同じ温度で「決めつけがない」創作者なのだろうし、一方で広報SNSの安易な文言には「人は簡単に救われないし救えない」とツッコミ入れていたように、譲れない一線も当然あることを考えると、その野木さんからあれほど信頼を寄せられているのは、やはり作品の芯を外してこなかった実績なんでしょうね。
『アンナチュラル』『MIU404』とも、映像として情報量のコントロールと的確な伝え方が必須な2作品だっただけに、このあたり考えが合っている座組はきっと作品創りやすかったろうと思うと、綾野さんが「戻るべき場所」「ただいまと言える」と噛みしめるように語る一言一言に、ずっと伊吹に戻りたい、また伊吹を生きたいと話してましたもんねえ…と、こちらもじーんとして、伊吹おかえり……!と言いたくなる。
そして源さんの語る志摩が、志摩単体でなく、伊吹が隣にいる志摩であることも、とても404らしい。久々に役に入ったら、やっぱり「伊吹うるせー」になる軽やかな距離感が、源さんであると同時にものすごく志摩。にこにこ。
2年半バディを組んでいたから伊吹のあしらいが雑になっている、というくだり。
つまり脚本(もしかしたら演出にも現れる監督との共有認識も含め)の中では、404がバディとして過ごした2年半分の歳月がしっかり経っていて、久々にこの世界に戻ってきた源さんが、ドラマ本編時点との差異に感慨を覚えるくらい、描かれない積み重ねがバックグラウンドとしてあの世界線の中に構築されているわけで。
源さんの志摩も確かに、この世界に「ただいま」「おかえり」してるんだなあ…。
いやほんと、シェアード・ユニバース・ムービーってこういうことか…と、じわじわ感動している。
彼ら彼女らが生きて、歳を取り、食べて走って今日も仕事している、メロンパン号でこちらとつながっている世界線。
早く観たいなあ。楽しみ。


