今年もアトムの誕生日だなあ…と回顧モードになったので、過去絵をいろいろ見返していました。
平成アトム放送年からもう何年だ?と考え出すとちょっと頭がクラクラしますが、リアタイ時からサイト閉鎖までの間、熱に浮かされるように描いていた当時の絵を見ると、今の気力体力では絶対に描けないものがあって、結構気に入った絵もあるので、懐かしさ含めてここにアップしておきます。思考楽描きぽいぽい場の本領。
こういう厚塗りも最近はしてないなあ。懐かしい。
体力回復したらまたやりたい。
当時のサイトログを見ると、アニメ本編では終盤に至って復活したアトラスの帰趨に大騒ぎして2週の間に2桁枚の絵を生産してたり、姫川先生のコミカライズ版では、アトムの「君にしか話せないこと」という台詞に情緒くるわされたりで、我ながら読み返しておかしいし、しかし今の自分も客観的に見れば大差ないので、人間そう変わらないことを実感している。
これほんと何度も言ってるけど、平成アトムの功績は、天馬博士とアトムの父子関係にスポット当ててくれたことと、そして何より、天馬博士という父(製造主)と出生の経緯が同じ兄弟をアトムに誕生させてくれたことなんですよ。
描きたいなと思ったまま、フォルダに放置されていたマンガの名残。
原作『アルプスの決闘』の父子再会が好きすぎて、オタク人生で似た構図をもう何度も描いている。もはや嗜好のサビ。
よく誤解されがちなことですが、『鉄腕アトム』世界におけるロボット法は、ロボット工学三原則とは根本的に違っていて。(そもそもロボット工学三原則自体、アシモフ作品世界におけるルールであり、後続SF作品に多大な影響を与えたのは確かでも、その原則が全てのSF作品に適用されなければいけないわけではない)
ロボット工学三原則は、アシモフ世界ではロボットの陽電子頭脳に組み込まれたいわば基本設計OSで、たとえロボットが意図しなくても、結果として原則に逆らう=人間を傷つけてしまうことがあれば、ロボットは生存機能を停止してしまう(例:はだかの太陽)という点で、これは人間でいう本能に近い。
対してアトム世界では、例えば『フランケンシュタインの巻』や『青騎士の巻』で明示されているように、ロボットが(アトムでさえ!)良心と良識のリミッターを外せば、人を傷つけることは幾らでも可能なんですよね。だからこそ「法」でロボットの行動が縛られるし、その「法」における差別と偏見が物語の中で問題となっていく。
人間と同じ魂を持つ存在だからこそ、法で縛られ、またその法の理不尽さを浮き上がらせるアトム世界のロボットたちの悲しみは、最初からロボット工学三原則を埋め込まれ、人間とは違う存在であるアシモフ世界ロボットたちでは描き得ないものでしょう。また逆に、アシモフ世界のロボット・ダニールたちが人類との絶妙な距離感で紡ぐ宇宙史も、三原則に第零法則を加えた電子頭脳でなければ描けない。この東西両巨頭が描くロボットものの差異がつくづく面白い。
そして、原作におけるこの「ロボット法」世界観を考えれば考えるほど、平成アトムで、人間とロボットの目指すべき関係を「ともだち」と表していたのは、子供向けアニメの優しく柔らかな表現として秀逸だったなあ…と思い返すのです。










