光る君へ第14回感想
2024/04/08(Mon)23:58

・遂に訪れた兼家の死と、その前後で顕になる動きに、副題「星落ちてなお」の「なお」にこそ思いを馳せるしかなくなる第14回感想。

・思えばこのドラマの第1回は、見上げた星空に凶事の始まりを晴明が読み取り、晴れわたった空に雨が来ることも予告したところから幕開けたのでした。
その晴明が再び夜空を見上げ、星が落ちると宣言し、そしてあのときと同じく大雨がざあざあ降る。
呼応する始まりと終わりが鮮やかに突きつけてくる、兼家の死をもって一旦区切られる物語の節目に、兼家という存在の大きさを改めて思うのです。

しかし、晴明は今回ただ星が落ちると述べたのみで、第1回のとき今宵から始まるぞと宣言していた凶事の、その終わりはまだ告げていないんですね。しかも、落ちる星の次を継ぐ者も「長くはあるまい」と既に見切っている。
官僚陰陽師で、国の未来を担うと自負する晴明にとって、帝を引きずり下ろし奉る不忠者ではあっても、花山天皇への反感を利用し左大臣ら上層部の総意をまとめ上げた上で自分に呪詛を依頼(脅迫)してきた兼家は、政権の安定性を担保できる意味では、たとえ強引でもやはり国の行く末を託すに足る人物だったはずで。

それに比べると道隆、そして嫡男の伊周は、やはり第11回の面談時点で晴明から危ういと見られちゃったんだろうなあ。
摂政になる前は意外とじっくり根回し隠忍自重の期間があった兼家に比べれば、父の余勢でそのまま独裁にスライドし、帝の御意思だとして首脳陣の意見をぶっちぎる道隆はいかにも危うい。少なくとも物語上では、例えば兼家にとっての雅信や頼忠のように是々非々でも政略で手を握れる相手を、今のところ道隆はつくっていないですから。

・兼家パパ、もともと時姫腹の三兄弟それぞれの個性に使い道を見出し、また道兼がうっかり過ち犯してからは余計に兄弟間の役割分けを強固にして巧く回していたけど、その縦割りが強すぎたからこそ、兼家という統合するリーダーがいなくなれば連携できず、もろく綻びていってしまうのも皮肉な話だ。

というか、第7回で道隆兄上が道兼を懐柔しにかかったとき、てっきり道兼の罪も父の脅しも全て分かってるのかと思ってたのですが、道隆兄上、弟の殺人までは知らなかったんですねえ…。
道兼があそこまで父に尽くす裏にある搾取と脅迫も、道兼の功名心や承認欲求の根底にある罪への怯えも、何も知らないまま道兼の働きを「分かっておる」などと言っていた道隆兄上は、つまり、あの程度の慰めと理解で、道兼が父上に対すると同じぐらいに自分にも尽くす男になってくれると見ていたのか。穏やかな余裕は、無知の甘さと表裏一体。かつて詮子がなじった「嫡男のくせに何も知らないのですか」が蘇る。

嫡男を汚れなき場所に置いておく兼家パパの徹底した情報統制は確かに成功していたけれど、それは、道兼という「汚れ役」の使い方を道隆の代に伝授できなかった(もしくは、する気もなかった)ことでもあるんだよなあ。

父のやり方の表面しか受け継がないまま前例なき例を始めていく道隆と、事あるごとに自分の穢れを自覚し怯えつつも、父に過酷な形で使われるほど「影が同じほうを向いている」一族の中のアイデンティティを保てていたのに、その意味も目的も見失っては荒れるだけの道兼。

2人の兄を今はじっと見るしかない、でもそれが却って学びの期間になっているはずの道長は、やがて晴明に楽しくて仕方ないと言わせるだけのやり取りができるようになるのか。果たして。

・兼家が死んでも、いや死んだからこそ、彼が育て上げてしまったもの、御しきれなかったもの、迂闊だった部分も顕になっていく。
星落ちてなお凶事を燃やす。死せる兼家生ける息子らを走らす。
開始15分で兼家が亡くなり、しかしその後に「なお」の部分がじわじわ迫る構成でした。


・寧子に『蜻蛉日記』を読んでいたと告げるのも、また兼家らしかったなあ。最後まで寧子の心を掴んでいく憎いモテ男仕草だし、また政治家として外部の目に対する感度高さも見える。
一見、妾の恨み悲しみを書き綴ったような『蜻蛉日記』を「輝かしき日々」と評するのは、あの日記を身分の高い殿御に愛された日々の自慢話だと見抜いた まひろと同じ解釈で。実際、一人の女をここまで恋い焦がれさせる身分高き色男という自分のイメージが流布されるのもあるから、寧子の日記が作品として広まるのを許容していたわけで、そこにも兼家の賢さが伺えるのです。

ところで、「嘆きつつ~」の歌に対する兼家の返歌「げにやげに 冬の夜ならぬ槙の戸も おそく明くるは侘びしかりけり」については白洲正子が、道綱母の鬱陶しさに兼家がうんざりしている気持ちが「げにやげに」のお座なりさに現れていると、割とけちょんけちょんに評していたのが印象深くて。
確かに道綱母の文章には、じっとりとまとわりつく執念も感じられ、長年もし毎日相手していたら胃もたれしそうだなあとは思うものの、そのいかにも人間らしい鬱陶しさや腹立つことがあった日々すらも、ひとつの文学に昇華した上で、こうして死ぬ前に「輝かしき日々」と二人が思い返せるとしたら、それは何だかんだで救いなんじゃなかろうか、と今回の場面に思えたのでした。

・自分への恨み節混じりの日記をこう評せる兼家のDNAをもし道長が継いでいるとしたら、やはり まひろが書く『源氏物語』は、直秀たち散楽一座の系譜の延長にある物語になるのかもしれない。
次週予告、石山寺でまひろが寧子と会っている?ようなので、寧子にとっての「書く」意味が、散楽一座に続く啓発として まひろに刺激を与えるんでしょうね、きっと。

・そんな まひろの一人でも文字の読めない人をなくしたい、という志は、一旦頓挫してしまう。

たねの父は、庶民に文字は要らないと言いますけれど、先週まひろが、弱い立場の人が騙されないため文字を教え始めた直後に、国司の非道を文で訴える百姓たち、それが実際に陣定で取り上げられる様、解任にまで繋がった尾張国解文の話題が出てくるので、民にこそ文字は必要という下地は描かれている。

今回のエピは、道長と別れたからこそ「生きる意味を見つけねば」と思い定めている まひろの若い挫折であり通過点なのでしょうけど、生きるために文字は必要という志は今後も描かれるのかな。
人口比率的に一部でしかない貴族だけでなく庶民も描かねば意味がない、と散楽一座をあれほどの比重で描いた大石脚本なので、このあたりも布石としてぜひ拾ってほしいと期待しています。

そしてメタ的に考えれば、一人でも文字の読めない人をなくしたいと考える彼女の書く物語が、やがて和歌やパロディ物語も含めて人口に膾炙していき、工芸デザイン、香、酒などなど教養の共通土台になっていく未来は、大変胸熱なのです。

・それにしても ききょうさん、本当~に まひろのこと好きなんだなあ。
初めて会った漢詩の会の、白楽天より元微之だと思います!も、やはりあれマウント取りなんかでなく、対等に漢詩を語り合えそうな女子とやっと出会えた喜びでつい調子のっちゃった、つまり まひろの早口オタク語りと同じ種類のやつだったんですよね。慕わしい。

自分のセンスに合わないおっとりお姫様たちや理解のない夫を ききょうが遠慮なくまひろの前でバッサバサ斬り捨てていくのは、まひろ様なら私のこの真っ当な怒りも価値観も理解できるはずですよね!と信頼しているからで。
ジャンルは違うけど頭の良さは似ている同士だから、一見噛み合わないようでも本質は伝わり、肝心の部分が不当に扱われもしないと本能的に分かるんだろうな。
少し前に読んだ対談記事で、大石さんの紫式部に対する清少納言評に少し引っかかったのでどうなるか心配していたのですけど、安易なライバル描写ではなく、分かり合えない部分は分からないと線引きしつつも、互いに敬意と刺激を送り合える関係に描かれて、すごく良かったし安心した。

・悲しくても嬉しくても人は泣くし、悲しいか嬉しいか分からなくても人は泣く。まひろは既にそれを知っている。
今のところ嬉しさも悔しさも、そして恐らく悲しみも真っすぐ正直にそれを出している ききょうは、来週運命と出会った先にやがて、大きな悲しみを美しさだけに昇華する表現でこそ己の志を果たしていくのだなあと思うと、今この時点で交わされた まひろと ききょうの語り合いに、ふと感慨深いものを覚えたのでした。
この先、また二人の巡り合いはあるのかな。この物語の二人だからこそ、定点観測的に会ってほしいです。

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