籠釣瓶再見/古典芸能への招待
2024/05/26(Sun)23:30

ETV『古典芸能への招待』で、今年の猿若祭二月大歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』放送。
あああ……2月の観劇でも散々に打ちのめされ、しばらく席から立てませんでしたが、こうして久々に映像で見ても、あのときの衝撃が昨日のようによみがえる。

やはりこの悲劇、そもそも権八が始まりとして全て悪いんですけど、次郎左衛門が所謂「粋な客」に成りきれなかったこと、八ツ橋が「仲の町を張る花魁」に成りきれなかったことも、ピタゴラスイッチを加速させてるんだなあ…。

もし八ツ橋が、栄之丞の言うとおり廓の水に染まりきっていられたなら、いっそ、わちきは男を騙すのが商売でありんす顔で次郎左衛門を割り切って利用し、「佐野へ行くのが嫌なら、江戸の内へ所帯を持たせ楽に暮らさせる」とまで言う彼の優しさにつけ込み、身請けさせた上で栄之丞との関係をこっそり続けることもできた。次郎左衛門には夢を見させたままで。
もし次郎左衛門が、「売り物買い物」などと言うとおり、八ツ橋が自分だけの女でないことを分かった上で虚構の恋を楽しむ”通”な客でいられれば、八ツ橋の愛想尽かしで恥をかき絶望はしても、大人しく引っ込めるはずだった。所詮女郎はそんなものだと訳知り顔で。

でも、そんな狡い立ち回り方などできず、恋人栄之丞との誓いも上客への愛想も誠実かつ馬鹿正直に抱え続けた果てに、結局最悪のぶち壊し方をしてしまう八ツ橋は、やはりメンタルが姫路藩士清水家の真面目なお嬢様のままで。
花街の遊びを知り尽くした風でいながら、身請け話がほぼ決まりかかった時点で、八ツ橋もまた(商売でなく)自分を好いてくれているはずだと無邪気に信じ切ってしまっていた次郎左衛門は、やはり「生き馬の目を抜く」江戸に慣れていない純朴で単純な田舎の青年商人。

今まで映像で見た過去の大御所籠釣瓶よりも、次郎左衛門と八ツ橋のそんな若さゆえの思い詰め方、それぞれの立場役割を生真面目に振る舞おうとした結果一層際立つ欠落を余計に感じたのは、やはり今この歳の勘九郎さん七之助さんだからこそ、だったのかもしれない。

その欠落にまた、八ツ橋という個人の悲劇よりも、妖刀籠釣瓶が持つ因果よりも、さらにもっと背後にある大きな、吉原システムそのもののの理不尽さ、そこに心を持つ人間が嵌め込まれて生じる歪みを浮かび上がらせる『籠釣瓶花街酔醒』という演目の芯を改めて思ったのでした。

『家庭画報』5月号の記事で勘九郎さんが、八ツ橋殺しの場面は、これでやっと八ツ橋を苦界から解放して自分だけのものにできるという気持ちで演じた、と話されていたのが印象的で。
「自分だけのもの」にする手前勝手な理屈とはいえ、やはり次郎左衛門、単に裏切られた憎しみというだけでなく、八ツ橋が「苦界」で雁字搦めにされた立場であることもまた理解していたんですよね…。それを頭に置いた上で見ると、最期の場が一層たまらなかった。

お二人の初役を見られた二月の僥倖を、いま再び噛みしめています。
今後、お二人の次郎左衛門八ツ橋は、またどんなふうに円熟していくのかな。楽しみ。

 

 

 

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