・思いが通じた後のほうこそ人は寂しい。まひろが『源氏物語』を描く女へ、三郎があの「藤原道長」になる男へ、着々と歩を進めている第11回。
・遂に一条天皇即位。で、高御座の生首事件もきっちり映像化するんですね…。ここ何年か、高画質の首桶→晒し首で徐々に4K時代視聴者の目も慣らしていた大河枠なので、納得とともに妙な感動が。
ここで、事態を受け流し式を粛々と進めさせたのは、『大鏡』では寝たフリで報告を聞かなかったことにした兼家の剛胆ぶりですけど、それを道長の機転という話にするのが、単に(準)主人公だからというわけでなく、直秀の死体を見て自ら土を掘って埋葬し恋する女と一緒に穢れを越えた彼なら躊躇わずそうするだろうと、あの第9回の悲劇が下地としてじわじわ効いてくるのがやはり創作の繋げ方として巧いなと思うのです。
そしてまた、人を殺した次男坊を「お前は穢れてる」と脅しながらいいように利用してきた今作の兼家パパならば、この道長の”機転”を気に入るのもよく分かる。
道長が自分の享受してる立場を絶望するに十分だった友の無惨な死も、その同じ地獄を見て共有できるはずの女がぶつけてくる硬い志も、道長が望む望まないにかかわらず、彼を兼家パパの思い描く頼もしき摂政の息子ルートに押し上げる糧になっていくのですね…。
・しかし、道兼の言う「虫けら」が、自分にそう言い強く聞かせなければ罪悪感に苛まれ押し潰されそうなゆえの露悪的な言い方だったのに対し、兼家パパの「虫けら」は、ためらいも何もなく、すっぱりさっぱり心からそう思っていそうなのが、いっそ潔い。
去りたい者は止めぬ、されど一度背いた者に情けをかけることもせぬ、とは、いかにも合理的な冷徹マフィアボスの正論台詞だし、内裏の中だけでなく身内の息子たちそれぞれに異なった役目を負わせられる手駒の数の多さから来る余裕だなあ。
・道綱くんが、ぐいぐい息子を推す母上に若干引きぎみなのは、生来の性格に加え、前回の陰謀でそんな父の手駒となる怖さをつくづく思い知ったのもあるのでは。それで無意識にでも一歩引き始めてる道綱が、でも異腹兄弟の中で誰と繋がるかといえば3人の中で道長を選ぶところに、彼の絶妙な生存本能と、そして道長の(階段を一段上がってもまだ本質的に失われてない)人好きする性格が見えるのです。
・なので、道綱のこの立ち位置が見えてきた同じ回に、伊周の本役登場と、道隆伊周一家の盛り上がりに焦燥する道兼を入れてくるのが、対比として一層鮮やかでした。
道隆に引き継ぎを始めている兼家。私の嫡男の代までよろしくねと晴明に顔をつなぐ道隆。藤原を背負いますとやる気満々の伊周。これを肯定されたら道兼としては、自分が泥をかぶったのは父のため、父から恩寵を受ける自分のためであって、兄上、まして甥っ子のためではないと苛立つしかない。
それで感情を抑えられず宴に乗り込むのが道兼だし、なだめる言葉で「(いずれ)堂々と兄を抜くことができる」と余計な一言まで言っちゃうのがまた兼家で。手駒を短期的に抑え込み操縦する手腕は確かでも、自分亡き後の長期的な手駒同士の関係まではある意味知ったこっちゃない。今作の兼家パパが、憎めないと言ったらちょっと変ですけど、何とも言えず面白い人物なのはこういうところですね。割と酷いことするし、させるし、陰謀に思い切りよく頭から突っ込んでいくけど、それでも”巨悪”にはなれない、絶妙な詰めの甘さ。
この隙が、息子たちそれぞれの成長をうまく促し、だからこそ「ぜんぶ父上のせい」にできない自立性も生み出し、次代に火種を撒いている。
・「父上は笑いながら刃を隠し持っておりますぞ」と言ってしまう伊周くん。隠してこそ武器になるのが刃なのに、それをわざわざひけらかすのが力の誇示で大人の会話だと思ってそうな誇り高さが、青いのですよ伊周くん。
しかし、この怖いもの知らずを聡明さとポジティブに捉えるのが道隆貴子一家の気風なら、漢詩の会で聞かれる前から白楽天より元微之だと思います!と闊達に発言していたききょうさんが気に入られそうなのも、またよく分かり。
清少納言に関しては、大石さんの対談記事でやや引っかかる発言があったのでどう描くか今ちょっと心配してるのですが、ソウルメイト関係が蓋を開けたらまさかの中身だったように、こちらもいい意味で裏切られたらいいなと願っています。
・そして今週のクライマックスだった、まひろと道長二度目の逢瀬。美しく苦しかった一度目とは違い、現実が迫ってくる落とし所の提示と、すれ違い。
北の方は無理だが妾にという道長の提案を まひろが拒絶するのは、やはり第7回の雨宿り帚木会話が響いているんだなあ。
あの立ち聞きで まひろがショックだったのは、自分のことを地味だ何だと言われただけでなく、自分から見て輝くばかりの姫君であるはずの倫子さままで「もったりしていてつまらん」と俎上に載せられ、嫡妻は家柄で選ぶべき、あとは好きな女をよそにつくる、と話す男たちの勝手な都合よさと現実を改めて思い知ったのも大きいはずで。
北の方をとっても俺の一番は妾のお前だと言う道長の言葉が、もし実際そのとおりになったとしても、果たして まひろは自分の愛した優しい三郎が、北の方より余所の女を愛する男に成り果ててしまうことに「耐えられる」んでしょうか。まして幼い頃、母上を置いて別の女のところに行く父に憤っていた彼女ならば。
まひろの「耐えられない」とは、自分自身が妾という身分や、道長がほかの女(=北の方)を持つのを見るのが「耐えられない」というだけでなく、道長が、かつて自分が失望した男たちのようになってしまうのもまた「耐えられない」んじゃなかろうか。
それはいかにも少女じみた我が儘ですし、道長に政でトップを取れと言っている以上、北の方の家柄が重大事になってくることは彼女自身がよく分かっているでしょう。
この引き裂かれた矛盾が、歪んだ水面へ月とともに映した涙顔が、やがて光源氏がのし上がっていく政治劇の脇で、一番の女でありながら正妻になれなかった紫の上、大勢の中の一人になりたくないから決して男女の仲にならなかった朝顔の君という女たちを創り出す燃料になり得る、と想起させる作劇がとてもつよい。
・まひろの矛盾に道長が「勝手なことばかり申すな」と叫ぶのは実際そのとおりだし、気の毒でもありますが、前回は遠い国へ行くため父も弟も捨ててくれと迫り、今回は為時の失職タイミングで俺の妾になってくれと申し出るこの極端さ、自分の命を用いるべき使命は何かと常に自問自答し、史記や長恨歌を写本(おそらく糊口をしのぐためとはいえ、選ぶ本がさすが学者の娘)している堅物女に対しては、ほんと悪手というか、傍から見れば上流貴族の横暴になりかねないのでは…と肩ポンしたくなる。行成くん、今後もそばでやんわり助言してあげて。
・毎週唸っているけど、まひろと三郎の成長物語でありつつ、ちゃんと「やがて紫式部になる女と、やがて藤原道長になる男」の物語なんですよね。だから、平安中期文化政治ベース大河としても見ていて純粋に楽しい。
・ふんわりお嬢様として振る舞ってた倫子姫君が、父の政治的立場、身分社会のルールが侵犯されそうになったら、きっちり正しく厳しい主人の顔になるのも良かったな。それでいて、次に会った時は まひろが訪問しづらくならないよう公とプライベートは別だと、さすがの気遣い。黒木華さんの演技いよいよ本領発揮だった。
何も知らない二人の可愛い恋バナが、分かったときの一方の落胆が今から怖いですが、ここで倫子さまの鷹揚なリーダーの器が描かれてるので、きっと道長を挟んでも未来のよき主従になれるのだろうと安心しています。このままソウルメイトと別口で身分差シスターフッドを育み続けてくれ。

