2024/06/20(Thu)23:56

本日の朝日新聞に載っていた実写版BJのPインタビュー。
そうか、キリコ女性化はこのPの発案だったのか……と、同じく八重さん性別反転が起きた君ゆきと同じP()であることの答え合わせを得ている。

うーむ。まあメディア化でキャラの性別が変わることは今まで幾度も経験してきたし、その改編がちゃんと原作主題を抽出再構築するため意義があった例(どろろが中年男性コソ泥になっていた扉座の新浄瑠璃百鬼丸など)もあるので、本編見るまではと静観してましたけれど。

うーーーーむ。
キリコを女性に変えた理由は、実際に海外の安楽死サポート団体で働く女性からの発想で、苦しむ人を救いの死へ導く「優しい女神」のような存在であり、しかもキリコは「BJのエゴを暴く」役回りだと。
うーーーーーーーーん。

まず、サポート役=女性キャラ=優しさなど「女神」属性付与というその価値観が令和にどうなのよとツッコミが来るし。
そもそも、原作におけるキリコは自他ともに認める「死神」であり、医者としての真摯さと技術はBJと通底している彼が、その不吉な呼び名を受け入れてでも固い信念により安楽死という手段をあえて選択しているからこそ、原作『BJ』の泥臭い死生観が絶妙のバランスで成り立っているわけで。
そのキリコの立ち位置を「死神」ではなく「優しい女神」と捉えるって、作中における「安楽死」、ひいては死そのものの見え方が相当危くなる予感しかない。

しかも、BJ先生の信念が「エゴ」であり、キリコに暴かれるべきものだとPが認識している。うーーん。

主人公が持つ理想や信念をストレートに描かず、そこに「傲慢」や「エゴ」を見出し、作中の誰かに手厳しく指摘させるという作劇。
近年では子供向け作品でも珍しくない手法だし、そのカウンターが機能すれば物語の主題に厚みを持たせられますけど、よほどうまくやらないと結局、本来物語の主題として北極星になるべき理想や信念を「傲慢」や「エゴ」の地べたに引きずり下ろしただけで、議論の着地点が迷子のままストーリーが終わることも多いのでは。(そして、その後味悪さや収まり悪さを「リアル」「多面性を描写」と言い張る作り手もいる)

もちろん、そういう後味悪い作品は手塚マンガにもあるけど、別にそれを『BJ』原作でやる必要はない。
他人からわざわざ「エゴ」だと落とされるまでもなく、生命という巨大かつ厳粛にして厄介な存在を前に、限界を強く自覚し立ち竦み打ちのめされては、また諦め悪く食らいついて闘うのがBJ先生じゃないんですか。
BJが感情として揺らぎ葛藤することはあっても、その目指す信念自体は物語の背骨として揺らがないから、数多の試練やキリコ琵琶丸など道が異なる者との対峙や共闘さえも活きるわけで、その彼の信念を、キリコとのぶつけ合いでより輪郭が太くなるものとしてでなく、誰かに暴かれるべき「エゴ」と認識し、しかもその暴く役をキリコに仮託するPが、『BJ』という物語に考える落とし所は果たして何になるんだろうか。

フィクションで「答えの出ない問い」云々と掲げるポーズは、それでも問いにしぶとく向き合い続ける誠実さでなく、作品に通すべき芯はこうだと示す勇気も確信もない単なる怠慢でしかない場合もあるんですよ。

キリコが女性だろうが女神だろうが構わないけど(いやよくないけど)、Pが語る「キリコを女性に変えた理由」に、キリコというキャラクターの魂、そして『BJ』という物語をどう捉えるか、解釈として正直不安のほうが大きい。ちゃんと手塚マンガ実写化として意味のある改変になっていればいいのですが。
主演の方があんなに「原作準拠」と繰り返しているので、そこに込められたものは信じたい。信じさせてくれ。

何にせよ、今は放送を待つしかできないのですが。
Pはともかく脚本の方の過去作実績から予想すれば、恐らく破綻せずきっちりまとめ、主演の方の魅力も活かされ、ネットのドラマクラスタ的にも評判のよい内容に仕上げてくれるのではと思うものの、ただ個人的に、自分の手塚マンガ好きポイントとは絶対気が合わない脚色だろうなという確信もまたある。そこは、はい、覚悟して受け入れます。せめてドラマとしてきちんと成り立っていれば、もういい。

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