まさか令和にもなって、しかも今年初めにあのような悲惨かつ決して繰り返さないよう各方面がせめて教訓を胸に刻むべき出来事があった直後にもかかわらず、ここまで「原作を蔑ろにできるドラマ化」を目にするとは……。
それともあれですか、原作者が故人だから文句を言う心配もないと思われているのか。まだ著作権保護期間が終了する前にフリー素材と思われてるのか。
いや、たとえ故人の作品だろうとファンは今もいるし、何十年と愛し続けてきた作品と作者が軽ーく扱われてるのを見て傷つくファンはこうして現在進行形で生きてるんですけどね!!????
もうSNSも見てないですし、情報も薄目シャットダウンしてるつもりでも、手塚公式がトップページでがんがん情報更新して推しているからいやでも目に入ってきて、それで事前番宣をいざ見れば、やはり手塚原作どこいったーー?な内容である、この温度差。
そして、エンディングでみんな踊るのかーまあ『大富豪同心』もダンスが可愛くて好評だったもんねーと見ていたら、その曲タイトルが『夢HANABI』と知り、ここに来てなお、まだ、原作勢から見た「やっちゃいけない」領域を踏み潰していくポイントがあったのかと、ちょっと別の意味で感心してしまいました。
えーとだって、原作『新選組』にとっての「花火」って、例えば『いだてん』における満州回の富久とか、『フランダースの犬』におけるルーベンスの絵とか、『ごんぎつね』における彼岸花とか、物語の要素がいよいよ集約されていくクライマックス、もしくは生死にかかわる場面の、まさに象徴ではないですか。原作を読めば、あのラストの重たさとともに深く鮮烈に刻まれる、侵さざるべき画。
決して単なる小道具、二枚目を彩るエフェクトではない。
その花火の名を冠した曲で、青春群像劇の俳優さんたちがかっこよく歌って踊るキラキラの笑顔を、原作勢はどんな心で見ろと……???
仏の境地になれといっても三度はとっくに過ぎてる。ああそういえば原作から思想信条年齢性格何もかもキャラ変しちゃった南無之介、名字の「仏」も消えてましたっけ。
そろそろ記事が出る頃なのでTV雑誌もざっと見た中、自分が確認した範囲内ではTVstationの記事が、主演お二人の手塚原作に触れた言葉に結構紙幅を割いていたのですが、これは読み手のバイアス込みだとしても、どうも奥歯に物が挟まったようなというか、お二人とも原作をちゃんと読んでくださっていて、でもご自分が演じるドラマ上の役が原作とかなり違っているギャップに戸惑いつつ撮影を進めている感があるのは、気のせいでしょうか。
しかし、ドラマの役の性格が違うとしても、原作のキャラクターを無いものにしてはいけないと考えているらしい、少なくともそれを今の時点でコメントに含めている中の人の誠実さは、今この状況だからこそ原作ファンとしては心に留めておきたいと思いました。ありがとうございます。
つまり、とにかく企画元とPがあかん案件なわけで、これやはり…。
何度も繰り返し言っているように、これ手塚先生原作だと銘打ってないオリジナル、もしくは百歩千歩一万歩譲ってせめてサイレントパクリで手塚のても字も掲げていない話ならば、ただただ素直に、わー『探偵ロマンス』の脚本さんかー、若手俳優さんの時代劇新規枠楽しみだなーーと気楽に言える、全方面が幸せな話だったのにな。ついに私ですら知っている俳優さんが配役に現れたし。どうしてこうなった。
これは全く別の文脈の話なのですが、よねづさんが現朝ドラ主題歌に関連したインタビューで、対象を神聖視するのも卑しめるのも裏返せば根は同じ(だから気をつける)と話されていたのが、もうかなり以前から手塚方面で薄々感じていたことと似ていて。
結局、「神様」と過剰に神聖視することと、だから断片的に切り取ってネタ化したり茶化したりで過剰に引きずり下ろそうとすることとは、紙一重なんだよなあと。フラットに作品として純粋な面白さを評価できていない、もしくは今の受け手に評価される作品そのものの強さを信じ切れていない(言い換えれば、今の受け手の読解力や好みの幅だってものすごく狭く一方的なものとしか見てない)から、妙な権威づけか、おかしなネタ化、センセーショナルな部分の切り取りで”ウケ”を狙ってしまう、それを読者側でなく公式や公式に近い人がやり続けてきた、ここ十数年の積み重ねの果てが、メディア化作品の原作側として正当な扱いも受けられない、この状況なんじゃなかろうか。
お飾りのように掲げられる「手塚治虫の隠れた名作」という言葉以外に原作への言及も寄せる意図も全く見えない現時点で、手塚先生の原作、ひいては手塚マンガ世界そのものへの興味関心、ぜひそれを映像化したかった制作側の意欲も必然性も何も感じられない、今回のドラマ化。
たとえ本編がドラマ単体として面白くても(脚本の方の実績からして、エモい作品としてハズしはしないとは思う)、放送前にここまで原作に対してされたくない数々を短期間で積み重ねられたことは、決して忘れない。
もう、本編を一応黙って見るだけにして、愚痴は書くまいと思ってましたが、この悔しさ虚しさ怒りは今後公式を注視していく上でもやはり忘れちゃいけないと思うので、記録しておきます。
人生のベースが手塚マンガでできているオタクの意地として。

