2024/03/27(Wed)00:27

昼にちょっとありえんぐらい悲しくて落ち込んでしまったので、こんなときは最高の実写化だった歌舞伎版を思い出すんだ…と、一昨年の上演当時に配信された『紀尾井町夜話 第八十夜』を聞いたときのメモを、酒呑みながら読み返してました。当時びっしりメモ取ってた自分を褒めてやりたい。(そして、つくづくあの歌舞伎版が映像に残っていないのは惜しいし悔しい)

この回、歌舞伎役者の方々が、ご自分のフィールドにどう原作を引き寄せ取り込むかというプロフェッショナル部分のお話が面白かったのはもちろん、主要な役を演じる成駒屋三兄弟の皆さんも、脚本を書いた咲十郎さんも、そして席亭の松緑さんまで、原作としての「手塚治虫」作品に手厚く言及してくださってたのも、本当に本当に嬉しかったんですよね。

勘九郎の兄ぃに「お前が鎌切な」と原作を渡され、自分がこの役を演るんだと思いながら熟読し、拵えでも原作の絵を意識し化粧した福之助さん。

もともと『陽だまりの樹』など読んでいたが、今回の役をするに当たり改めてアニメなども見て、手塚作品の全ジャンルにまたがるメッセージを考えたという歌之助さん。

中学生のとき青山斎場の告別式に行ったほどの手塚ファンで、愛着ある作品だからこそ台詞は変えたくない、でも文字で読んでいい台詞と人が喋って気持ちいいセリフとは違う…!と、悩みながら脚色された咲十郎さん。

そんな咲十郎さんの苦労が詰まった脚本を、丘十郎の心の動きがしっかり繋がっていると評し、咲十郎さんが原作をめっちゃ愛して泣きながら削ったんですよねえ…と慮る橋之助さん。

そしてこの回には出てなかったですけど、この原作を舞台にしよう!と咲十郎さんと呑みながら語り合い、この作品だからこそ意味のある若手に主役を託し、咲十郎さんの脚本執筆中にも「南無之介の出番少ないよね?」と注文つけるなど隅々まで舞台をプロデュースした、その情熱が不在でも伝わってくる勘九郎さん。

どの方のお話にも、なぜこの作品を歌舞伎化したいのか?の意欲、なぜこの作品をこの形に脚色するのか?の必然性、ではそれを歌舞伎の技で実現するにはどうすれば可能か?のプロの知見が溢れていたし、そこに皆さんの手塚観、原作解釈が見られたのも本当に楽しかったんだよな…と、読み返しながらしみじみしてしまった。

 

前に書いたように、別に手塚作品メディア化に関わる人全てに、このぐらいの情熱を持ってと無理難題を言いたいわけじゃない。死後30年以上過ぎている作家ですもの。名前しか知らない人だって当然増えてきているし、仕事で初めて偶然に関わる方だっているでしょう。
リアタイ世代じゃないのに子供の頃から原作に思い入れを持っていた勘九郎さん、上演に際し宝塚の記念館まで訪問してくださった主演お二人の、あの手厚さがむしろイレギュラーだったわけで。

でも、せめて、看板に「手塚治虫原作」を掲げるのなら、主要キャストにはまず原作を渡して読んでもらい、自分が演じる原作キャラクターや原作について一言でも表で触れてもらうぐらいは、建前でもパフォーマンスでもいいからやってくれていいんじゃないでしょうか。そして、そこはPのお仕事じゃないのか。
そこを取り繕う素振りさえ現時点で全く見えないということは、本当に今回、原作ファンはターゲット外で客扱いされていないんだな…と思い知らされ、つくづく悲しくなっているのです。

 

はーーーー、どこかに奇跡的に歌舞伎版の映像が残ってないかな。中村屋特番スタッフの未使用素材に眠ってんじゃないのかな。
もしくは、せっかくあの作品のため今まで歌舞伎に意外となかったダンダラ羽織をつくったのだから、成駒屋三兄弟の自主公演ででも再演できないものだろか。スターシステムお遊び要素を削れば、少人数でも案外いけるのではと思うんですけど。どうか。

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