そういえば、第9回の予告を見たとき。手を繋ぎ必死に暗い森の中を行く道長とまひろのシーンが、何だか「道行」のように見えてたのですが。その印象は割と間違いではなかったのかもしれないなと。
曽根崎心中「道行」で森の中に入った徳兵衛おはつが死を決意するのは暁七ツの鐘のときで、道長まひろが鳥辺野は死体を置く場所と承知で向かうのは卯の刻=明け六ツなので、まあまあ時間も近いですし。
実際の本編では、友を追って鳥辺野に向かう図だったのですが、あれでたどり着いたところで、直秀らの死を見て、埋葬することで、二人もまた一旦死んでいるんですよね。
第10回でまひろに、藤原の栄誉もお前の仇の弟であることも全て捨てる、どこか遠くの国へ逃げようと誘う道長の言葉は、たしかに女への愛ではあるけれど、あの時代に貴族であることをやめるとは、つまり”人間”でもなくなる(奇しくも直秀と同じ誘い文句を語ったことで、直秀が自称していた「虐げられ、もとから人扱いされていない者」と同じになることも暗示している)わけで、やはりそれは駆け落ちである以上に「心中」に等しかったのではとも思える。
それを止めさせた まひろの理性に、「いづくとも身をやる方の知られねば 憂しと見つつも永らふるかな」(意訳:憂しことの尽きぬ世でそれでも私はこの先も生きていく)とやがて彼女が詠むだろう歌も、ふと連想したのでした。
という、月曜昼休みのとりとめない反芻。

