・ロマンスパートの成就が全くロマンスではないどころか陰謀劇との密接な連動であることに、今年の”平安大河”が意味する定義と気合を感じ、慄いている第10回感想。
・山南さん切腹回翌週の寺田屋大騒動。上総介誅殺回翌週の義経八幡大菩薩化。瀬名さん自決回翌週のぶらり富士遊覧えびすくい。
深い哀しみを描いた翌週は、がらりと気分を変え視聴者を引き上げるのもまた長尺大河枠の手腕ですが。直秀ら散楽一座の悲惨な死を描いた『光る君へ』は、さてどう持ってくるのだろうと思っていたら、こう来ましたか…。
身分を超え二人を結びつけていたトリックスター的存在・直秀の死と埋葬は、やはり二人にとって青春の終止符であり、そして違う道(本来あるべき史実へ合流していく道)へ歩を進めていくスタートでもあるんだなあ。
・会いたい、愛しいと古今和歌集の引用を送る道長と、帰去来の辞から漢詩で返すまひろの応酬。本来ならば、幼い頃から両片想いの二人がいよいよ急接近していく胸高まる場面のはずなのに。はずなのに。
直秀らの死体を目にして厭世的な気分になってるところで、元々気乗りしない父の陰謀に加担させられ、失敗時のエグい保険は課せられ、姉からは父と別方向のプレッシャーをかけられ、全てをかなぐり捨てたい、いっそ好いた女に逢って駆け落ちしたいの気分にもなるのもしようがない道長坊っちゃんに対し。
学問嫌いの弟が大学へ行くのを見送り、「自分が男であったなら世を正す」の思いを固めちゃってた まひろからすれば、自分と同じ痛みを持っているはずの愛しい男が、せっかく右大臣家に生まれた幸運を持っているからこそ、何甘えたこと言ってるんだと突き放し発破かけるしかない、このすれ違い。
魂が深く結びつく同じ体験の先に違う視座が開けているこの差を、和歌=切々と訴える情で泣きつきすがる男と、漢詩=志を説く理で拒絶する女とのやり取りで表現するのが、とても巧いなあ。平安文化大河ありがとう。こういうのを見たかったんです、ありがとう。
・考証担当倉本先生の本によれば、実務官人や参議の経験を積まないうち納言になり政権に就いた道長は、漢文を習得する機会もなかったので、御堂関白記の漢文は独特の文体(端的に言えばめちゃくちゃ)である、とのこと。
そう考えると、恋文の返事がまさかの理屈っぽい漢詩であることに戸惑い、その意味を行成に聞き、それで結局「志」でなく「情」=逢いたいをストレートな漢詩にもなってない漢詩にしたためて返すところが彼らしいし、まただからこそ、理詰めで考えるまひろと決してロマンス的意味では結ばれない宿命を証明もしていて。
・行成くんの和歌解説は、古今集仮名序の「世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり」でしょうか。これに続く部分では「男女の仲をもやはらげ」と続くはずなのに、道長が送り続けた和歌は、まひろとの間で決して「男女の仲をやはらげ」にならないのが切ない。
・そもそも、ここで まひろが道長の誘いに乗って激情のまま駆け落ちできる女なら、もうとっくに、為時パパの指示で始めた倫子さまサロンでの間者業も破綻してるし、仇の道兼が来たときに怒りで全てぶちまけてるだろうし、いっそ直秀らと一緒に遠くの国へ行けてるはずなんですよね。
そんな情緒的なことはできず、自分の命を燃やすべき務めは何なのかと常に理屈っぽく問い続け、在るべき場所に踏みとどまるのが まひろのまひろたる由縁だし、それを愛しい男に強く求めてしまうのも彼女らしさなのだろうなあ。
彼女が、鳥辺野で泥まみれで泣く道長を見てさらに好きになったという、その「好き」とは、すなわち彼の優しさにこそ(女の自分には決して叶わないから)託すべき政治的使命を見てしまったのと地続きの感情ですし。皮肉だ。
・道長がまひろを抱くシーンと、事後に寄せる二人の顔。幼い頃から育み続けた思いの達成として美しい画のはずなのに、この一回で終わらせないつもりの男と、この一回のみで区切りをつけるつもりで抱かれた女とのギャップが、明らかに一瞬で伝わってくるのがすごかった…。ゆらりと上気しながらも寄せる相手の頬を拒絶し「人は幸せでも泣くし、悲しくても泣くのよ」と言うまひろの表情の凄まじさよ。
直秀らをともに埋葬し、同じ穢れにまみれる共犯意識で完成されたはずの「ソウルメイト」でも、しかし交わした情に見出す意味は違う。賄賂の渡し方をしくじり友らを死なせてしまった=そんな汚れた下層世界も知らずに生きてこれた上流貴族お坊ちゃんの道長の見通しに対し、家人さえ逃げ出す困窮生活を知っている中流貴族まひろが、駆け落ち先で手ずから働くあなたの姿など想像できないとばっさり言い切る意味。絶対身分社会の平安中期ドラマで、女が愛しい男に、お前はお前の場所で宿命を生きろと告げることの重さ。
・この逢瀬を、花山天皇退位事件サスペンスと同じ回に持ってきた構成も素晴らしかったなあ。
一人の女を愛しすぎた純愛のために地位も責務も全て投げ出し出家する帝。自分を愛した男が純愛のために全てを投げ出そうとするのを止めさせる まひろ。この対比の狭間で粛々と進行していく、鮮やかにして苛烈なクーデター。
そういえば『大鏡』だと、剃髪した帝を置いて道兼が父に会ってきますとか何とか言って退出しますけど、そのくだりがドラマだと道長まひろのやり取りに吸収アレンジされていたのは、やはりこの2組が対比されていたからなんでしょうね。
考えてみれば、自分はもう一族の在り方につくづく嫌気が差してるから駆け落ちするのはいいとして、まひろに、父や弟に別れを告げに帰れば決心が鈍るからこのまま行こうと迫るのは、帝を連れ出す道兼並みに強引ではある。
その不合理な申し出をまひろに拒絶され、まひろに言われたとおり己が使命を果たすべき場所に帰った道長が、陰謀の夜に父の策の成功を関白に告げる目の、覚悟定まった静かで暗い色。
・それにしても今年の政治陰謀パート、兼家パパをはじめ結構えげつないことをやっているはずですが、あまりドロドロした後味を感じないのも、今作を見ていて面白いところだなと。
これ、演出や画面の造りがさらっとしていて、湿っぽくなくコントロールされているのも大きいですし、あと登場人物たちも意外とドライだからで。自分のやっていること自覚した上で嬉々として励む兼家パパを筆頭に、能吏として乗っかる晴明、割と強かな嫡男道隆、詮子姉上だってやだやだ言いながら父と同じ手段で反撃するし、道兼も不憫キャラでありつつ帝に平然と「楽しゅうございました」言い放つヒール顔など意外とつよい。
『鎌倉殿の13人』が、台詞と映像とをよくよく分けて考えてみたら、脚本レベルだと実はかなり人物を突き放した俯瞰視点だったものに、演出でウェットに情緒を載せていたのではと思える部分が多々あったので、このあたり対照的だなあと。
今後、兼家一族内のあれやこれやが続くことを考えると、このぐらいのドライさが1年見るのにちょうどいいかもしれない。
・そして、兼家一族の隆盛が始まると同時に、為時パパの無職時代もここから始まるのか…
越前編は5月だとネットニュースでちらっと見ましたが、そこまでの期間はオリジナル話をどう繋げるんだろうなあ。まひろに振られて己の政治使命をどう生きるか覚悟を決めていく道長、道長を振った手前、では自分の命をどう用いていくか模索していくだろうまひろ、このあたりの空白期にソウルメイトの軌跡をどう描いていくのか、ここまで10回の盛り上がり曲線をさらにどう処理していくのか楽しみです。

