(前ブログから転載)
東京シティビューにて開催の『ブラック・ジャック展』に行ってきました。
いやあ、すごかった。
公式が展示コーナーを「曼荼羅」と銘打ち、「これだけのエピソードの原稿が展示されるのは史上初」と高らかに宣伝していただけあって、ここまで一挙に“原画”を都内で見られたのは、いつ以来だったか、と快哉を叫びたくなる熱気と圧倒的量。
また今回、1作品のみに絞ったテーマの原画展示だったからこそ、今更ながらのことに気づいたのですが。
『ブラック・ジャック』という作品は、細かい台詞の改編はともかく、画面としては意外と大きな編集や描き替えがされていないんですね。あくまでも手塚作品にしては、ですが。
もちろん、手塚作品(特に初期月刊誌時代の作品)で描き替え・切り貼りが発生する事情は、単行本化の際に雑誌掲載時のタイトルコマや「次回へつづく」部分を一本のストーリーにするためつなぎ直す、つまり長編作品ならではの要因が多いので、毎話読み切りでそのまま収録できる『ブラック・ジャック』は、描き替える必要がもともと少ない作品ではあります。
とはいえ、今回展示されていたタイトルの中でも、『指』を結末まで含め別物に描き替えた『刻印』、『緑柱石』前後編をまとめた『ふたりのピノコ』、キャラクターの表情仕草自体を描き替えた『フィルムは2つあった』のように、切り貼りの跡が生々しく見える原稿も少数ながらあった(=手を加える必要があればいつでも加えられた)ことを考えると、やはり全体として『ブラック・ジャック』における変更履歴の少なさは、手塚作品にしては珍しいほうではと思えるのです。
つまり、あれほど編集作業大好きで執着さえしてた手塚先生であっても、『ブラック・ジャック』については、ほとんどの回に対し、毎回あの20頁前後に描きたいことを過不足なく詰められて、あえて改編する必要を感じない程度に満足されていたのかな、と。
しかも、当時を振り返る各種インタビューなどから分かるように、毎週凄まじいスピードで描き上げられていた、初出時そのままで。
今回の展示で、「カミカイ」と銘打ち全ページ展示されていた回の一つが、『ピノコ愛してる』。
この回の原画を見て、まずなるほどと気づいたのは、ピノコにはほとんど描き替え修正の跡がなかったことです。
『手塚治虫 原画の秘密』(新潮社)やEテレ『漫勉』でも既におなじみのように、連載初回でB・J先生は初登場時の顔にあそこまで修正と試行錯誤の跡が残っていたことを考えると、実質的にこの回で本格初登場だったピノコが、ここまで淀みなく描かれているのは、手塚先生にとって、この愛らしくも奇妙な生い立ちのマンガ的生命体が、いかに描きやすくペンに馴染む存在だったか、想像がつきます。
また面白いのは、この回は単にピノコのお目見えだけでなく、B・Jというスターシステム新人俳優の演技(と手塚マンガに関してはあえて書きたくなる)もまた、連載第13回目にして新境地を見せている転換点でもあるんですよね。
第1回『医者はどこだ!』の謎めいた登場から始まり、『人間鳥』の情感、『海賊の腕』のふとした優しさ、『鬼子母神の息子』で一瞬見せる怒りなど、感情のゆらぎは見せても、基本的にはニヒルで抑えた演技で通していたのが初期のB・Jですが、『ピノコ愛してる』では爆発的なピノコのエネルギーに引っ張られてか、急にマンガ的な表情、仕草を見せてくれる。もしくは、ここまでの回で脇にゲスト登場していた古参スターシステム俳優たちのような手塚マンガ的演技を、ニヒルが売りだった新人B・Jもまた取り込み自分のものにした、と言い換えてもいいかもしれません。
そして、この手塚マンガ的演技表現があるからこそ、テンポアップしたコマ割りが可能となり、あれほどのドラマを毎回20頁前後に収める離れ業が可能になったのだろう、と、つい“原画”を見に来たことも忘れ、うっかり普通にマンガとして読み込んでしまうほど、1枚の中で視線誘導が完璧なコマ割りの流暢さに、つくづく思ったのでした。
『ブラック・ジャック』の連載が始まった70年代初頭は、ちょうど手塚先生の絵が大きく変わっていた頃。夏目房之介先生のマンガ表現論でいうところの、マンガ的記号表現と劇画的表現のハイブリッドとしての再構築が、完成されてきた時期です。
例えば、もし『ブラック・ジャック』がもう少しリアル寄りになる80年代手塚マンガ絵だとしたら、もしくは青年誌掲載だとしたら。マンガ的表現はもうちょっと抑えられ、コマのテンポもやや遅くなっていたかもしれない。(同じ手塚マンガでも、少年誌掲載作品と青年誌掲載作品では、コマに留まる滞空時間、コマ間に流れる体感時間が微妙に違う)
そうなると、あの毎週20頁前後の質と量が果たして可能だったろうか、とも思うのです。
もちろん、毎回読み切り形式の手塚作品は『ブラック・ジャック』以前にも、近い時期であれば『空気の底』(1968年)や『ザ・クレーター』(1969年)がありますし、同一キャラクターを主人公にした連載という意味では青年誌掲載『I.L』(1969年)も割と近い形でしょう。
しかし、質と量という両面において『ブラック・ジャック』は、手塚作品箱推しなイチ読者から見ても、やはり特別に突き抜けている存在です。
ちょうど手塚先生の中でマンガ表現の再構築が固まりつつあった70年代初頭、しかも少年誌向けを意識した手塚マンガの絵だからこそ、劇画的表現に寄せてシリアスなドラマを語りながら、なおかつマンガ的記号表現による省略と誇張で短い読み切りページ数内に収めるコマ割りもできる。
『ブラック・ジャック』の成功は、あの状況から復活したベテラン天才の凄み、医師という経歴とのマッチング、キャラクターの巧さなど、様々語られていますが、やはり、題材(医療)と媒体(少年向け)と形式(毎回読み切り)に加え、それを語るためのマンガ絵表現もまた、全てがベストのバランスで成り立つタイミングだったのでは、と。それが果たして奇跡なのか、とにかく面白いマンガを描くことに情熱を注ぎ込んでいた人が呼び込んだ必然と呼ぶべきかは、わかりませんが。
そんなことを、ノリに乗りまくった手塚先生のペンの走りを文字どおり浴びられるような原画の壁・壁・壁を4時間以上行きつ戻りつしつつ、思ったのでした。
はあ、楽しかった。
いつもの手塚マンガの原画を見る機会だと、例えば雑誌掲載時のコマと、後に単行本のため足されたコマとで、明らかに絵柄の違うコマが同じ1枚の中に切り貼り同居している年代断層を見つめたり、例えば原画上では一見無造作にも見えるざっくりした線が、印刷されるといい意味で画面の中に埋没し、キャラクターの表情と動きを作り上げる無駄のないパーツになっていたことに気づかされたりと、原稿をあくまでも印刷用の版下と割り切っている手塚先生の描き方を見られるのが楽しいのですが、こう一つの時代、一つの作品に絞ると、また違う視点も浮かんできますね。
歳月が経つほど保管上の問題もあり、頻繁には難しいと承知はしていますが、原画上の切り貼りや描き替えの研究、記録化などと併せて、ぜひこういう機会は折に触れて設けてほしいなあ。
白髪のご夫婦からよちよち歩きの子までまさに老若男女が集い、原画としても見入り、マンガとしても読み込んでいた、あの会場の幸せな空気が、今後もぜひ続くように。

