全ての「いい子」たちのために /映画『窓ぎわのトットちゃん』感想
2024/01/03(Wed)23:45

(前ブログから転載)
元日に、映画『窓ぎわのトットちゃん』を見てきました。

原作は言わずと知れたベストセラー。トモエ学園に行きたかった何百万人の元・子供の一人として映画館に行きましたら、いやもう、原作読者としての感情を超え、年明け早々にすごいものを見られたなあと。
何よりこれは、アニメーションでなければ出来なかった映像化では。

何が、というと、まず第一に子供たちの動きがすばらしいのです。

ママとつなぐ手を支点に周りをぐるぐる旋回しながら歩く。弾かれたように突然パッと走り出す。立っていてもクネクネ体をひねる。階段だってまっすぐは昇らない。
そうそう、子供ってこう無駄な動きが多いし、次は何をするか全く予測がつかないんだよねえ、と当たり前のことがとても丁寧に、しかも、体格も性別もハンディキャップも皆バラバラな子供たちの違いまで描き分けられている。
素人の私でも分かる、凄まじく難しい、そして贅沢なアニメーションの動きが、さらりと画面にあふれています。

恐らく、これを実写でやろうと思ったとして、その子供らしい自然な落ち着きなさを子役、つまり仕事ができるぐらい落ち着いている子に「演技」でやらせるのも、あえて演技してない子たちをドキュメンタリー的に撮った上で一つの筋にまとめるのも、どちらも至難の業でしょうし、また見ている側も、命の危険と紙一重な子供の動きにヒヤヒヤしてしまって、鑑賞どころではないだろうなあ。
特に、原作で「もし、大人が見たら、きっと悲鳴をあげたに違いない」と書かれているとおり、客観的に見ればあんなにも危険だった、小児麻痺の泰明ちゃんを木登りさせようと奮闘するトットちゃんの大冒険など。

しかし、その予測不可能な子供たちの動きをしっかり映像で見せてくれるから、トットちゃんの落ち着きなさやあっちこっち飛ぶ話の支離滅裂さが、原作の文字で読んでいたとき以上によく伝わり、面倒を見きれないと悲鳴を上げた前の小学校の先生(決して狭量ではなく誠実で平凡な教育者)のご苦労、そんな子供の話を転校初日から4時間じっと受けとめ聞いた小林先生がいかに稀有な大人だったか、またそんなトットちゃんらを包み込むトモエ学園がいかに幸せな空間であったかが、観る側の身体感覚としてバシバシ迫ってくるのです。


そして、原作にはない、トットちゃんと泰明ちゃんが雨の中で踊るシーン。
パンフレットで八鍬監督が「自由が失われてしまった戦時下における子供たちの、せめてもの抵抗や折れない心を、トモエ学園の教育方針でもあるリトミックによって表現しました」と語るとおり、寒さと空腹とおじさんに怒鳴られた恐怖で重苦しくくすんでいた商店街の景色が、学校で学んだリズムを2人が体で表現し出した途端、鮮やかに想像の中で色づき始めていく、ここもまたアニメーションならではの美しい表現。


このシーンで思い出したのが、坂口尚先生の傑作『石の花』でした。
まさに『窓ぎわのトットちゃん』と同時期、第二次大戦下ユーゴの過酷な歴史を描いたこの作品の序盤で、鍾乳洞の見学で大きな石柱を「花」のようだと見上げる主人公たちに、ユニークな新任教師が教えます。
そう、君にはこれが花に見えたんだ。石の花ではない。「花に見ているのは ぼくたちの まなざしなんだよ!」
人間には想像力という翼があり、どんなに過酷で理不尽な状況でも奪われはしない。この言葉は、やがて戦争に巻き込まれていき、ひとりはゲリラ戦線で、ひとりは強制収容所で生き延びる主人公の少年少女にとって、ラストまで尊厳を支える柱となっていきます。

また『石の花』が傑作なのは、その想像力で自分を守り過酷な今を生き延びることと、想像の世界を逃げ道にして今の現実そのものは受け入れ諦めてしまうこととを、決して混同しないことでして。
終盤、兵士として一人前になった主人公クリロが、それでも自分の中の矛盾と真剣に向き合い、誰一人まだ経験していない真の平和を夢物語と決めつけること、「現実」とやらを合点し肯定するのが、本当に大人のすべきことなのか、なぜ想像することをハナから諦めてしまうのかと上官に問い交わす激論は、何度読み返しても圧倒されます。


トットちゃんと泰明ちゃんの雨のシーンが素晴らしいのは、これが単にアニメーションとして優しく美しいから、だけではなく、物語の中できちんと意味を持っているからなんですよね。
想像の中で色づいた商店街を踊った2人が駅に着き、別れ際にトットちゃんが泰明ちゃんから貸してもらう本は『アンクルトムの小屋』。そして、トットちゃんの寝物語にその本を読んでやったパパは、支配されひどい目に遭っても「魂は売れねえ」と抗うトムの言葉に触発され、軍需工場からの仕事を断ります。僕のバイオリンで軍歌は弾きたくない、と。
泰明ちゃんから本を借りる話と、パパの仕事の話は、原作では別々の章なので、ここを『アンクルトムの小屋』で繋いだ脚色がまた巧いですし、その前フリになっているからこそ、トットちゃんと泰明ちゃんが雨の中でもリズムをとって踊り商店街を鮮やかに彩ったシーンは、ただの夢物語でなく「子供たちの、せめてもの抵抗」として意味を持ち、またさらに、2人を含む子供たちにリトミックを教えたときの小林先生の言葉「世に恐るべきは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず…の類である」が、重みをもって再び思い返されるのです。


映画の中、やがて泰明ちゃんは亡くなり、その友の葬式を思わず飛び出したトットちゃんが走りながら目撃するのは、万歳三唱で見送られる兵士、兵隊ごっこで倒れた相手を突き刺す子供たち、片足を失った傷病兵、遺骨を抱く老女……で溢れる現実世界です。まるで、泰明ちゃんがいなくなった世界は、泰明ちゃんのように兵士になれない子が拒絶される世界でもあると突きつけるかのような。
そして、トモエ学園は空襲で焼け落ち、パパは出征し、トットちゃんの可愛らしいお家は取り壊され、トットちゃんらは地方へ疎開します。

それでも、と。
ここでもう一つ、原作になかった脚色が、この物語の締めくくりとして光を灯すのです。

原作は、小林先生の「きみは、本当は、いい子なんだよ」を汽車の中で暖かく思い返すトットちゃんで幕を閉じますが、映画では、生まれたばかりの弟が満員の汽車でグズり始め、それをあやすトットちゃんが弟に「あなたは、いい子ね」と優しく呼びかけます。そしてこのとき、映画冒頭の頃は教室でじっとできず、チンドン屋さんを見れば窓から身を乗り出していたトットちゃんが、もう汽車の外にチンドン屋さんを見ても、足元をしっかり見て飛び出さないのです。そして観客は、前半あんなにハラハラしていたトットちゃんの動きを、今は安心して見られていることに気づきます。
でもそれは、決してこの重苦しい世界(泰明ちゃんが生きられない世界でもある)にトットちゃんが矯められてしまったわけではない。あの奔放なエネルギーを正しく自分のため制御して使えるようになった子供は、この世界を踊りながら生き延びていくことがきっとできるし、次の子供へ「いい子ね」と言うことができる、という一つの希望。

映画ラストの後も戦争は続き、戦後もトモエ学園が作り直されることはなく、泰明ちゃんのような子(に限らずほぼ全ての子供かもしれない)が生きづらい社会が悲しいかな今も続いていることを、観客の私たちは知っている。
それでも。だとしても。

どうか全ての子供が、いや子供に限らず全ての人が、どうか大切にされるように。なぜなら「きみは、本当は、いい子なんだよ」と言われた人は、別の人にもまた「あなたは、いい子なんだよ」と言われるべき権利があることを教えられるのですから。
そんな制作側の切実な祈りを、このラストの小さな脚色に感じました。

観る側の共感と懐かしい記憶さえ掘り起こすような、子供の身体感覚。
現実世界から一階層レイヤーが跳ぶ、子供の想像力。
アニメーションだからできる表現と、綿密な時代考証の中に余白を残す背景美術とが、物語の主題と見事に合致し、着地点まで寄り添っている、この心地よさ。

『窓ぎわのトットちゃん』という誰もが知りそれぞれ心の中に像を思い描いてきた小説の映像化としても、一人のはみだしっ子な少女のジュブナイル作品としても、じわじわ戦時下へ突入していく日常を描いた時代モノとしても、そして2023年から2024年という今この時期に上映されている意義を重く考える作品としても、ひとつ最高の解を見たアニメーションでした。


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原作にない脚色として、巧いなあと思ったのがもう一つ。
トットちゃんがパパの所属するオーケストラの練習を見に行く話で、ここを泰明ちゃんとの冒険にアレンジするだけでなく、休憩中に楽団員たちが三国同盟を肯定的に捉える会話を、しかも亡命ユダヤ人の指揮者ローゼンシュトック氏の前でうっかりしてしまうシーンを入れたのが印象深かったのです。
この短いシーンが途中に入るだけでも、後半で奪われていく子供たちのあの豊かな世界を、たとえ無意識にでも壊していった責任は誰にあったのか、それに制作側も自覚的なのだなと伝わる。
その点でも、戦争に限らず、子供たちに対して大人は何をなせるのか、と真剣な問いかけで作られた作品であることを感じました。

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