今週の『来見沢善彦の愚行』。
第2話を読んだとき、畑くんの回想に登場するお母さん、これは矢口高雄先生『ボクの手塚治虫』へのオマージュ構図じゃないですか…!と大興奮の感想を叫んでいたら、今週の第12話・畑くん過去編で描かれたお母さんの悲劇に、ああやはり…と確信を強め、胸がぎゅっと切なくなる。
より正確に言えば、健やかに育つことのできた矢口少年の場合とは真逆に、お母さんを田んぼ仕事による霍乱から救ってくれる隣のバア様はおらず、少年の向学心やマンガ熱を的確に掬ってくれる手段も現れなかった(一瞬現れたけどすぐ奪われてしまった)世界線のほうの話なんですね、畑くんが生き延びてきた人生は。
だからこそ、ここまで描かれてきた畑くんのマンガに対する餓え乾いた執着心にはとても納得がいくし、それが行き着いた果てで「先生は もう俺がいねがったら生きてげねってことだな?」と黒く笑う第12話ラストの暗転には、心底ゾッとしましたわ…。
サスペンスマンガの作劇としてはもちろん、大寒鉄郎=手塚先生の存在が重要な前提になっている物語として、このオマージュセンスがとても好き。
作中の今は1971年秋。史実であれば、大寒こと手塚先生が『ブラック・ジャック』で復活を遂げるまで、あと2年。しかし、畑くんがいよいよ本物の「怪物」になってしまったかもしれぬこの世界のマンガ史は、一体どうなっていくんでしょうね。
来見沢先生が犯したのは悪行ではなく「愚行」である、というタイトルの意味を、改めて噛み締めている。
ところで、第5話で仄めかされた「優秀なアシスタント」の存在、そして番外編でミッちゃんが読んでいる「お誕生日おめでとう」の手紙が筆跡の違う2枚であることからして、第1話冒頭のメガネ青年の来見(くすみ)くんと、今現在、読者の前に現れているモーレツ紳士の来見沢(くるみざわ)先生とはやはり別人、つまり『サイバージョー』を描いたのは実は2人1組の作家だった線が、濃厚になってきたんでしょうか。
これ、もしも手塚マンガの60年代少年向けSFだったらば、模写能力だけ異常に高い来見沢先生は実は宇宙人で、第1話冒頭の語らう来見くんとミッちゃんの元に不時着したか何かで、2人への負い目ないし恩義があるゆえ、2人の美しい夢に協力してきたのです…という話もありそうだなーと『W3』あたりの手塚絵で想像するなど。
とはいえ、この作品の時代設定はわざわざ手塚マンガ“冬の時代“1971年なので、そんな優しいジュブナイル展開はないですね、ともやはり思うのです。

