今年はちょうどよく予定を空けられたので、初めてお正月に芝居見物できました。わーいわーい。
『実盛物語』、実にすばらしかった。そうなんですよ、こういう時代物で線の太いお役の勘九郎さんをこそ、もっともっと見たいんですよ。一年の始まりに、ここまで見たかったものを真正面から浴びることができ、縁起が良いったら。
勘九郎さんの実盛、義太夫に乗って物語る所作がいかにも武士らしく折り目正しい美しさなのはもちろん、心ならずも小万の腕を切った出来事を思い返す目に翳る哀しみ、太郎吉を見る目諭す手に滲み出る、ふとした優しさが柔らかくて。
最後に実盛が太郎吉を馬に乗せてやる場面、太郎吉を演じる緒兜くんが素でニッコニコ楽しそうなだけでも微笑ましいのに、実盛の中から勘九郎さんの「かわいいーーー」感情がダダ漏れなのが、もう愛おしいったらないですね。
小声で、ささ、手綱はこう握るんですぞ、と持たせてやる姿、あそこは実盛じゃなくて巳之助パパのお友達の勘九郎おじさんでしたし、それがそのまま、太郎吉という一人の不憫な子供、そして手塚太郎光盛という新しく生まれた未来の源氏の忠臣へ、知勇あふれる武士実盛が向ける人間味あふれる優しさになっていて、とても良かった。
きっぱり義に厚く、しっとり情は深く、一陣の風が涼やかに吹き抜けていくような実盛。
いやもうこの実盛なら、きっと太郎吉こと手塚光盛が成長して敵として現れたら喜び勇んで若作りしちゃうし、光盛に討たれた瞬間も慈愛の目を向けて「この日を待っておったのだ…」と微笑んで死にますわ。
絵が浮かぶ。手塚マンガの絵で浮かぶ。
そう、手塚光盛と聞いたら、手塚先生のご先祖(説)だと即連想されるし、『火の鳥 乱世編』に登場した手塚先生そっくりな光盛が自動で浮かぶ手塚脳なので。
そういえば、実盛が小万の切り落とされた腕=手を塚に築かせ、だから手塚と名乗れと太郎吉に命じる台詞。これが『どろろ』で百鬼丸が自分の義手を埋めながら言うギャグ「手の塚だから手塚だ」の元ネタだったんだなあ…と、今更ながら気づきました。
映画や小説はもちろん、落語とか狂言とか歌舞伎とか新しいジャンルにハマるたび、あ、手塚マンガのあれはこれが元ネタだったのか!と気づくことが、この歳になっても多々あるのですが、今年も早速これ。
掘っても掘ってもなお尽きぬ手塚先生の知識と守備範囲と記憶力の深さに改めて感嘆しつつ、今年もまたこんな点と点がつながる幸福な瞬間をたくさん味わえたらいいなあと思う、良き2026年エンタメ初めでした。

