ジャンプラの新連載。
冒頭1ページ目に「大寒鉄郎」の名前が…!と興奮して読んだら、末尾に手塚プロより許可を得た旨の断り書きが。確かに、あえて1971年を舞台にしてここまで「冬の時代」を書き込むなら、公式に仁義通しておくほうが色々やりやすいだろうなあ…と、好感とともに納得する。
昨日の『あんぱん』感想にも書きましたけど、やはりフィクションにおいて徐々に、手塚先生という存在そのものが舞台装置として機能する概念になってきていることに、しみじみします。
単純に「手塚治虫」をパロディにした名前でなく、手塚先生本人が自伝マンガの分身として使われた「大寒鉄郎」名を出すところといい、『NEXT WORLD(来るべき世界)』ならぬ『NEXT CENTURY(来世紀)』の初期手塚ペンタッチのすばらしい再現度といい、劇画に押された大寒先生の「迷走」作品として挙げられる『アラバスター』ならぬ『アナコンダー』といい、第1話副題に掲げられた『幽霊男』といい、手塚ファン心が否応なくときめく芸の細かさに泣けてきちゃいますね。
主人公が、本名:来見(くすみ)、ペンネーム:来見沢(くるみざわ)なのは、本名:高見澤(たかみざわ)→TAKAMIZ・AWA(たかみずあわ)→ペンネーム:田河(たかみず)水泡(あわ)とされた『のらくろ』田河水泡先生のもじりでもあるんでしょうか。
病魔に侵された儚いヒロインが「1番の読者」として主人公の心の支えとなっているのは、石ノ森先生とお姉様の関係を彷彿とさせますし、来見が空腹の畑くんを連れていくのはラーメン屋「松葉」ならぬ「竹葉」だし、何より作者の方のお名前が「ときわ」なところまで含めて、これ相当ガチに狙って描かれてるんだろうなあ……。そして、これがジャンプラ連載であることの妙ですよ。
冒頭のヒョロリとした眼鏡青年の来見くんが、作中現在はオールマイトみたいなマッスル紳士になっているあたりも、何か仕掛けがありそうで、第2話以降がこわい楽しみ。
主人公が大寒鉄郎に心酔して描きたがる「ヒューマニズムや生命賛歌」は古臭いと切り捨てられ、大寒鉄郎マンガがはっきり「お子様ランチ」「もうウケない」と否定されている、作中の1971年春。
しかし読者の側は、ここから約2年後の1973年末に、『ブラック・ジャック』で大寒鉄郎こと手塚先生が少年マンガに本格的復活を遂げることを知っています。
愚行と知りつつ盗作に手を染めようとする主人公の焦燥と、その思惑すら呑み込んで化けそうな天才青年の底知れなさとで、第1話から不穏が満ちるこの物語において、その”史実”は果たしてどう機能してくるんだろうか。
終盤、「あるいは自分のために」とナレーションが入っているコマ。左手に食べかけの板チョコを掴みつつ、丸のアタリだけ入れた下書きにいきなりペン入れをしているあの手は、とても分かりやすく”手塚治虫”概念だよなあ…と凝視しつつ、この世界の大寒鉄郎先生の動向も含め、楽しみに1971年以降を見守っていきたい。

