『あんぱん』に手塚先生こと手嶌氏が出るので、手塚ファン目線の感想を記録していくための記事。手塚ネタがあったら随時この記事に追記していきます。
■第17週
#081 7月21日(月)
月曜版長尺OPのテロップ「資料提供」に「手塚プロダクション」の名前を確認。ということは、今週どこかで手塚ネタが出てくるのかも。
あらすじによれば今週は、史実で言う南海地震(1946年12月)~やなせ先生上京(1947年1月)までらしいので、ちょうど『新寳島』が出るあたりでしょうか。もしクライマックスの金曜日で、嵩の上京とオーバーラップして、そのころ関西ではとあるマンガが発行され…と『新寳島』発行イメージ映像的なものが入ったら、きたきたきたーと叫ぶ用意はできています。
あとは、東京に行ったらしい健ちゃんの『のらくろ』推しが、どこかでまた物語に活かされるといいなあ。
『のらくろ』といえば思い出すのが、1985年に雑誌『丸』での特集で手塚先生が描いた『のらくろ』二次創作。
入隊したのらくろが御飯を食べようとするたび、邪魔が入って腹ペコになるという落語的なストーリーで、最後はのらくろが田河水泡先生宅に行って御馳走になり、田河先生が手塚先生に「くれぐれもマンガの主人公には ひもじい思いをさせるなよ」と忠告するオチでした。
こう読むとアンパンマンにも通じるものがあり、やはり、たとえ場所は異なっても戦争中の飢えを体験した世代には切実な共通認識があるよなあ…と、改めて思うのです。
#083 7月23日(水)
・『マァチャンの日記帳』登場
金曜あたりを見据えて呑気に構えていたら、不意打ちの水曜に手塚ネタ。不意打ちの『マァチャンの日記帳』。
月曜に書いていたように、この時点で手塚ネタが出るとしても歴史的背景の説明で『新寳島』が出るぐらいかなと正直思っていたので、まさかデビュー作『マァチャンの日記帳』から登場とは、嬉しいびっくり。しかも講談社全集版でなく、ちゃんとオリジナル版を使っているのはポイント高いですね。オリジナル版タイトルの「塚」を「嶌」に書き換えた分かりやすい加工の跡も愛嬌。
この時点からもう、主人公・嵩が読む漫画としてしっかり絡んできたということは、後に出てくる手嶌青年もキャラクターとして割と大きい扱いになるんでしょうか。
『手塚治虫デビュー作品集』巻末の解説によれば、『マァチャンの日記帳』が掲載された毎日少国民新聞・大阪版は、配布エリアの北限が富山~石川あたり、南限が四国一円だったとのこと。だとすれば、あの時期の高知で嵩が目にしてもおかしくはないので、ここで手塚マンガに出会わせておくのは、いいアレンジかもしれない。
(この同時期に、毎小北限エリアの富山で藤子両先生も『マァチャンの日記帳』を読んでいるんだよなあ…と考えると、さらに感慨深い)
ちなみに編集長が嵩に見せたあの回は、史実だと1946年1月31日掲載回。
まあ恐らく今の視聴者が見ても分かりやすいネタを考慮して選ばれたんでしょうけど(旧仮名遣いのセリフや時事ネタなど分かりにくいものも結構ある)、本日回の作中は1946年秋~冬なので、いくら「評判」だからとはいえ、わざわざそんな前の号を持ってきた編集長は、ちょっと面白い。
そして、実はこの頃もう『マァチャンの日記帳』連載は既に7月で終わっていて、次の連載『AチャンB子チャン探検記』も佳境に入っている時期でもある。
なので、スランプ嵩くんには酷ですが、オーソドックスな日常4コマ漫画『マァチャンの日記帳』よりも、新聞4コマでSF冒険劇連載という離れ業をしてのけた『AチャンB子チャン探検記』でこそ、どんな感想を抱くのか見てみたかった気もしますね。
■第18週
#086 7月28日(月)
今週の始まりも、月曜版長尺OPのテロップに「手塚プロダクション」の名前を確認。
恐らく今週は2人の結婚~三越入社まで行きそうなので、出るなら1947年あたりの作品でしょうか。とはいえ本作は結構大胆に時間が飛ぶため、どこまで年月日を史実と合わせているのかは正直判断しづらいですが。
1947年なら、いよいよ『新寳島』が出るか、それとも奇をてらって『火星博士』『黄金バット』あたりの量産型怪魔モノ赤本が来るか。
そういえば、デビュー直後4コマ作品の中でも特に手塚青年のオタク趣味が色濃い『火星から来た男』関西與論新聞版も1947年作品なので、もしも天下の地上波であの作品の怪しいイケメン牧岡探偵が登場したら、大笑いで拍手します。
そして嵩くんが、ようやく「思いっきり漫画を描きたい」と後の国民的ヒーロー生みの親らしいセリフを言ってくれたので、そろそろミューズのぶさんをモデルにしたネタ以外で、彼の漫画も見たいところです。
#089 7月31日(木)
・嵩と八木の会話で「テジマオサムシ」に言及
・嵩が会社で『新寶島』を読む
ついに『新寳島』がこの世界に登場、もといケン一くん朝ドラデビューおめでとう!おめでとう!たっぷり30秒弱の出番!
手塚スタジオの秘蔵っ子にして初期単行本黄金時代を支えた伝説の名子役が、とうとう令和の朝ドラに降臨ですよ……と考えると、感慨が海よりも深くなるスタシス脳。
そして今日の回で、『あんぱん』の手塚先生≒手嶌氏がこの先どういう位置づけで描かれるのか、ぼんやりとアウトラインが見えてきた気もします。
史実だと、1947~48年初めの手塚先生は、関西の赤本業界で名が知られ始めてきたとはいえ、東京ではまだまだ無名の存在。戦後初めての上京で、イチ新人の持ち込みとして講談社であっさり跳ね返されたのは1947年夏。本格的な東京進出となる『ジャングル大帝』連載開始は、もう少し先の1950年終盤からです。
また、前の記事で書いたように戦前からの流れをくむ正統派大人漫画の世界に属するやなせ先生から見れば、少なくとも『新寳島』を含むこの時期の手塚先生の作品は、素人の絵で描かれた漫画がなぜか流行っているという、異質で不可思議な存在だったはずじゃないでしょうか。
これは1970年代以降の絵本の会に関連しての話ですが、手塚先生に関してやなせ先生は、「(子供マンガの)大巨匠で神様みたいな人」と讃えつつも、その絵本作品については「正式に絵の勉強をした人じゃなかった」「絵本にした場合、完成度としては必ずしも高くはなかった」とも言及されています。(立風書房『未発掘の玉手箱』収録インタビューより)
戦前の正規美術教育を受けた先輩プロから見る手塚先生の<絵>として、これはすごく客観的な評価だと思うんですよね。トキワ荘メンバーを含め戦後ストーリーマンガ手法どっぷりの世代とはまた違う、絵の巧さの定義と評価軸。
しかし、『あんぱん』の嵩は、そんな手嶌青年をデビュー作の4コマ漫画の時点からもうネタも絵も「紛れもなく天才」と手放しで讃え、『新寳島』にも強烈な感銘を受けている。
ということは、やはり戦前篇に引き続き『あんぱん』世界ではこの後も、大人漫画と子供マンガ(もしくはストーリーマンガ)との区別はつけないままストーリーは進み、嵩にとっての手塚先生こと手嶌氏は、実際のように別世界での売れっ子スターという認識ではなく、同じ世界で遥か遠くに焦がれ仰ぎ見る北極星という存在になるんでしょうか。
えーと、つまりこの流れで『千夜一夜物語』キャラデザ依頼のエピソードをやったら、「冴えない漫画家のボクがなぜか売れっ子天才作家さまに気に入られて熱烈スカウトされちゃったの件!?」的な展開になるわけですか。
てことは、トキワ荘史観よりもさらにスパダリな白馬の王子様おさむが見られるかもしれない。え、いっそワクワクしてきたぞ??
ところで、八木さんが嵩に「テジマオサムシ」の話を振る場面。
八木さんの「テジマオサムシだっけ…?」という言い方からして、嵩が高知で『マァチャンの日記帳』にショック受けていたのを八木さんも知っている様子。ということは、上京後に嵩がそれを打ち明ける場面か、もしくは同作者の『新寳島』単行本を発見して八木さんと驚きを共有した場面などが、脚本には元々あったんでしょうか。
この後の職場で嵩が『新寳島』を読み始める場面も含め、2人の間におけるテジマオサムシ情報の流れがやや唐突というか不思議だったので、カットされた場面があったのかしらと少し気になりました。
とりあえず、1948年初頭時点の東京において、大手出版社の編集者よりも先に関西赤本業界の駆け出し作家テジマオサムシの名前を認識し、彼が医学生だという情報まで入手している八木さんのマンガ通っぷりは、ちょっと面白かったです。さすが実写版百鬼丸の中の人、ということにしておく。
まあ、いろいろ言いたいことはありつつも、ちらり映るだけで鮮烈な印象を残す『新寳島』オリジナル版に、手塚マンガの画の強さを改めて実感できるのは、やはり嬉しい。
上述したように、戦前からの正統派漫画、美術界に属する先輩たちが思う絵の巧さ基準軸から外れるのは事実だとしても、幕開けのギューンと走る車のフォルムと画面構成が、やはりもう理屈を超えてキャッチーな絵なんですよね。
これは確かに子供や青年にとっては問答無用で引き込まれ、真似して描いてみたくなる絵だよなあ…と、画面越しでも納得させられるのです。
(だからこそ、やなせ先生の大人漫画家としての属性もしっかり描くことで、漫画に関し異なる評価軸が交錯していく時代背景をドラマ内で見たかった)
#090 8月1日(金)
予告編でついにニコニコ手嶌氏が映ったので、来週いよいよ本人が登場。
この時点で早くも出会わせるということは、やはり嵩の運命の人を手嶌先生にする流れですかね…。
あと手塚ネタとは関係ないけど、主人公の妹がカフェ勤めする展開はもしかして脚本中園さんの好みなんだろうか、と『花子とアン』の記憶をうっすら思い出している。
■第19週
#091 8月4日(月)
・嵩と打ち合わせをする劇団座長が『新寶島』を褒め称える
今週も月曜版長尺OPに「手塚プロダクション」の名前が出てきたな~と思っていたら、今週は早速、月曜日から手塚ネタが登場。わーい忙しい。
本日出てきた大根氏。兵役経験者、しかも三星劇場で舞台を上演できるほどの劇団座長ということは、割といい年ではと思われますが、「俺も漫画大好き!」と嬉しそうに取り出すのが、漫画集団あたりの大人漫画ではなく『新寳島』というあたり、未来人属性の目利きなのか、相当にナウでヤングなセンスの持ち主なのか。
というか、その漫画本を普通に持ち歩いているってどんだけ手嶌ファンなの。ちょっと飲みに行きませんか。
個人的には、せっかく1948年2月過ぎという時期なので、ここはぜひ前年に発売された『新寳島』ではなく、発売されたばかりの新作『地底国の怪人』をこそ、サブカル先駆者らしい大根座長には得意げに紹介していただきたかったですが。
いや、それとも、『新寳島』だけでも落ち込んでいる今の嵩くんに、手嶌オサムシの筆の速さまで突きつけてはさすがに刺激が強いという、物語の手心だったのかもしれない。(1947年~50年頃の手塚先生の描き下ろし量は、いくら若いとはいえ異常)
そして、長編漫画形式の作品を読んで手嶌オサムシの才能に打ちのめされる嵩と、「無字幕漫画」「似顔漫画」という明らかに当時の一般的な漫画=大人漫画の体裁での作品募集を見せるのぶさんとが同一線上で繋がっている流れに、やはり『あんぱん』世界では、大人漫画とストーリーマンガの区別は存在していないんだなあ…と確信を深める。
一応、美術学校受験の回で、嵩は横山隆一先生が好きという話は台詞として出ていたので、そろそろ漫画集団の存在を『あんぱん』世界の中でも確認したいところです。
#092 8月5日(火)
・嵩と のぶが『新寶島』の話をする
雑誌への投稿で賞を取り、ようやく周りからも「漫画家」と呼ばれ始める嵩。ドラマも残り2か月切ったので、そろそろペースを上げていかねばならん時期ですもんね。がんばれ嵩。
やなせ先生の作品に詳しくないので、映像中に出てきた投稿作品が実際のやなせ作品なのか分からないのですが、もしこれが実際の紙面でも、もしくはそれらしく作ったものだとしても、周りの似顔作品など含め、やはりこれは大人漫画の部類だよなあ…と、相変わらずそこが少し気になってしまう。
なので、嵩が「新寶島みたいな漫画、僕にはとても描けないよ…」とどんなに落ち込んでも、大丈夫!もともとジャンル違いだから!と背中をたたきたくなるし、『新寶島』を「新しい感覚」と褒める のぶさんが「でも、うちは嵩の漫画の方が好きや」と惚気けるのだって、そうですともジャンル違い!と合いの手入れたくなります。
そういえば1948年春先だと、年明けに創刊された『漫画少年』がそろそろ軌道に乗り出している頃。
史実どおり亡父が講談社に勤めていた設定で、父の面影を慕い『少年倶楽部』を読み耽る少年時代も描かれていた『あんぱん』嵩なので、そこに『新寶島』で強烈なショック受けるアレンジ設定も加わったならば、元『少年倶楽部』の名物編集長が手掛ける『漫画少年』へ投稿するトキワ荘ルートへの合流のほうが自然だよなあ…と、脳内でシミュレーションが止まらない。
しかしそうすると、『アンパンマン』に至るお仕事の数々が並行宇宙の彼方へ消えてしまうので、やはり、嵩は嵩の漫画に自信を持って史実ルートを辿っていけばいいのよ…と励ますべきですね。がんばれ嵩。
#094 8月7日(木)
・嵩が『鉄腕アトム』を読んで、嫉妬を口にする
えーと、月曜日の#91冒頭で新婚2人が仲良く出勤したのが1948(昭和23)年2月。
そこから、雑誌に投稿して掲載される#92が「ふたつき後」。そして蘭子とメイコが上京として のど自慢大会予選があり、「半年と少し」で健ちゃんとメイコがめでたく結婚しているので、#93ラストは1948(昭和23)年終わり頃でしょうか。
なので、本日#94で一気に5年飛んだ作中の現在は、1953(昭和28)年。
嵩が熱心に読んでいる『鉄腕アトム/フランケンシュタインの巻』第4回は、『少年』1953年2月号(1月発売号)掲載の回なので、今が1月~2月頃としたら、作中で2人が感慨深く言う「5年」は実際には4年ちょっと……とは野暮なツッコミですね。
もしくは、嵩が『アトム』を読んでいた雑誌は『少年』ではなく『晴天倶楽部』なるタイトルだったので、『あんぱん』世界では掲載誌だけでなく時期もズレている可能性があり得る。
それにしても、この時期に嵩が殊更、手塚こと手嶌治虫だけに注目して嫉妬するのは、やはり不思議な感じだなあ…と気になってしまう。
何度も書いているように本来のやなせ先生が属する大人漫画世界の感覚からすれば、1950年代初めに手塚マンガを見て抱く感想は、近藤日出造の「俗悪漫画」非難ほど酷くはなくても、それに近い違和感は持つでしょうし、もし仮に子供向けストーリーマンガも理解する感性を持っているとすれば、この時期に爆発的な人気を誇った福井英一を初めとする児漫会の面々も目に入ってくるはず。
なので、この頃まだエリート的地位で厳然とした権威を持つはずの大人漫画の姿が一切見えず、なおかつ子供向けストーリーマンガでも手嶌治虫以外の人気作家が存在していないらしい『あんぱん』世界は、やっぱり不思議なパラレルワールドだなあと首を傾げるのです。
ちなみに1953年の前年、1952年というと、手塚先生は国家医師試験に合格し、『少年クラブ』に『ロック冒険記』連載もスタート。詩人サトウハチロー氏の推薦文を得て『ジャングル大帝』単行本も発売されるという、『あんぱん』嵩にとっては刺激の強いトピックが並んでいるので、時間があればこの辺の嵩の反応も見たかったところです。嵩のぶ夫妻の人生を残り2か月で収めるには、すっ飛ばすしかない時期なんでしょうけど。
と、なんだかんだ言いつつも、『鉄腕アトム/フランケンシュタインの巻』が出てきたのはやはり小躍りするぐらい嬉しい。
アトムがメディアに出るといえば80年代テイストの顔が多いので、こよなく愛する50年代前半の瑞々しくてキュートな初期手塚絵アトムが、公共放送の画面に大きく映ったのは、オリジナル版『新寳島』に引き続きめでたいです。
#095 8月8日(金)
・嵩が喫茶店で手嶌治虫と出会う
ついに手嶌先生登場! 眞栄田郷敦さん演じる若き手嶌青年に、ベレー帽と丸メガネが意外と違和感なく馴染んでるなあ。爽やか好青年。
嵩の靴紐がほどけているのを目ざとく見つけ、さっと自ら立ち上がり結んであげる手嶌氏。
デビュー後から晩年まで、売れっ子作家だと身構えて会ったら拍子抜けするほど気さくで腰の低い人だった…という証言は、編集者同業者含め多数あるので、恐らくそこから着想した描写なんでしょうか。(最近は創作秘話のせいか、手塚先生の”クズ”エピをやたら強調する消費のされ方が強いけど、真面目に関連証言を読んでくと、少なくとも初対面の相手には愛想よくて人のいいインテリ坊っちゃんエピのほうが遥かに多い)
しかし、この出会い方。少し前に『100カメ』で流れていた、【蘭子の下駄の鼻緒を直してあげる豪ちゃん】の図をロマンチック全開で撮る『あんぱん』演出部の情熱も記憶に新しいので、【嵩の靴紐を結んであげる好青年手嶌氏】の図も、同じスタッフが同じ情熱で撮っているのかと思うと、こう、いろいろと可笑しみが湧いてくる。
副音声で「呆然と手嶌を見つめてしまう」と解説される嵩に、喫茶店のステンドグラスからは柔らかな光が降り注ぎ、遠くからは鐘の音が聞こえる。ロマンチックを愛すると公言する演出部渾身の出会い場面。
この流れだと、後に『千夜一夜物語』キャラデザ依頼してくる手嶌先生は、一体どれほどのスパダリ王子様になるんでしょう。
嵩くんは、自分だけ一方的にこじらせてるだけで、向こうは当然ながら自分のことなど知らない…と落ち込んでいましたけど、もしこの世界の手嶌氏も手塚先生と同じ精神なら、単に顔を知らないだけで、既に三星百貨店の給料と同じくらい稼いでいる兼業漫画家「やないたかし」の作品は、とっくにチェックしているんじゃないかしらん。
今日の回で自分をちっぽけだと卑下する嵩のズンドコ落ち込みようが、後に再会した手嶌氏から、やあやあ、あなたの漫画読んでますよぉーと笑顔で言われ、両片思いだったんじゃん…!となるための盛大な前フリだとしたら面白い。
それはそれとして、細かいところで今の『あんぱん』世界における手嶌作品の状況が気になってしまうのは、厄介自覚ファンのサガです。ごめんなさい。
まず、名前の読みについて。
オサムシと呼ぶ読者が多いので「次の回からお名前に振り仮名ふりましょうか」と、アトム担当らしき編集者が提案する。
手嶌先生はそれを笑顔で拒み、振り仮名記載ではなく、自身の努力で「名前をとどろかせられるように頑張りますよ」と答える良い話になっていました、が。
実際には『鉄腕アトム』初回、もっと言えばその前作品『アトム大使』の初回(1951年4月号掲載)から、『少年』誌上では手塚先生のお名前に「おさむ」とルビが振られています。
昨日の#94で嵩が読んでいた『鉄腕アトム/フランケンシュタインの巻』第4回にも、このとおり。

ちなみに、『アトム大使』連載スタート前予告(1951年3月号掲載)の時点だと『少年』編集部が記事中で「はるむし」とルビを振っているので、ちょうど第94回ですっ飛ばされた数年が、「おさむ」読みの定着時期だったと思われます。
しかし『あんぱん』世界線の『少年』ならぬ『晴天倶楽部』では、どうもルビを振っていない設定のようですね。編集部仕事して。
次に、手嶌先生と編集者が話す『アトム』の内容。
編集者が「今月号も評判よかった」と褒めるのに対し、手嶌先生はもう少し練りたかったと話し、「お茶の水と天馬は…」と言葉を続ける。
つまり、今月の『鉄腕アトム』には天馬博士が出ていた様子です。
しかし、第94回で嵩が読んでいたのは『フランケンシュタインの巻』。この話が掲載された1953年は、ちょうど『アトム大使』最終回(1952年3月号掲載)での行方不明から、次の劇的な登場『アルプスの決闘』(1956年新年号・別冊付録)まで、天馬博士の長い不在期間の真っ只中なんですよ。
それとも『あんぱん』世界線だと、この期間にも何か天馬博士登場エピソードが描かれたんでしょうか。え、読みたい。読ませろください。
そして、手嶌先生が意欲的に構想している次の作品。
「少女漫画」「革新的な作品になる」ということは、恐らく『リボンの騎士』。
しかし、何度も書いているように第94回で嵩が読んでいた『フランケンシュタインの巻』第4回は、1953年2月号掲載の回です。『リボンの騎士』の『少女クラブ』連載開始は1953年1月号からで、前年の1952年12月号にはもう既に予告カットが大々的に載っている。
なので、嵩が『フランケンシュタインの巻』を読んだ後だと、次の作品として『リボンの騎士』を構想しているどころか、既に描き始めて話も軌道に乗っている頃なわけでして。実際の連載だと、そろそろ競技会~戴冠式の陰謀までを別冊付録で一気に描く展開を考えている頃。
つまり『あんぱん』世界線では以下略。
いや、史実モデルの朝ドラで、出来事を時間前後させる脚色は珍しくないですし、こんな細部を気にするのは手塚ファン目線で見ている自分みたいな面倒くさい人間だけだろうことも承知している。
しかし、今日の回ではっきり、やはり『あんぱん』世界の手嶌氏はパラレルワールドの人なんだなあと改めて確認しました。
『あんぱん』というフィクションが、そもそも やなせ先生と暢さんを幼馴染設定にする大胆改変から始まっていることで、脚色のほとんどが嵩のぶ夫妻のドラマチック恋愛人生を盛り上げるものになっているように、嵩と手嶌氏の出会いが運命的な靴紐結びから始まるのも、やなせ先生と手塚先生の関係を『あんぱん』らしくロマンチック改変していきますねの宣言だったのかもしれない。
であれば、こちらもそのつもりで覚悟決めて見ましょうかね。
嵩と手嶌氏の人生に、次は『あんぱん』演出部がどんなロマンチック技を決めてくるのか、待機しておきます。
#098 8月13日(水)
本日は、手塚ネタが無かったこと、それ自体がネタという回。
なぜなら、冒頭の1953(昭和28)年2月からOPを挿んで歳月が一気に飛び、時は1960(昭和35)年3月になったからです。この!飛ばされた7年間に!『あんぱん』世界線でこそ美味しいネタがあったのに! ああもったいない!と叫びたい。
まず1954(昭和29)年には、文藝春秋の漫画特集別冊が好評となり、『漫画讀本』として定期刊行化、さらに後には月刊化もされています。『あんぱん』世界の片隅で漫画家として生きる嵩にとっても大ニュースだろうこの雑誌は、史実だと手塚先生初の”大人漫画”が載ったという点でも重大な雑誌。
1955(昭和30)年7月掲載の『第三帝国の崩壊』を皮切りに、大人漫画誌への読み切り仕事が徐々に増えていくのが、この時期の手塚マンガなので、もし『あんぱん』世界の手嶌先生も同じ仕事をこなしているなら、嵩にとってそれは嫉妬と羨望の対象がいよいよ自分の主戦場にまで侵入してきて、靴紐結びの感情貯金も使い果たす勢いで心が乱れる事態だったはず。
そして、1959(昭和34)年には『週刊漫画サンデー』創刊。
こちらは創刊当初から やなせ先生が描いているので、『あんぱん』でも嵩の大事な仕事場であるはずと同時に、これまた史実どおりならば、この雑誌にも1963(昭和38)年から手塚先生の読み切り大人漫画が載り始め、やがて後には長編ストーリー大人漫画『人間ども集まれ!』が連載されるので、やはりこの雑誌も嵩と手嶌氏の関係を描く上では、以下略。
また、これは今後ドラマ中で描かれるかもしれませんが、第96回(月曜日放送分)で出てきた「独創漫画派」、つまり史実でいう独立漫画派は、1960(昭和35)年に解散して漫画集団へ合流する流れになるので、これまた数年後に手塚先生が漫画集団へ加入するときに向けて、なかなか劇的な伏線になるはず。
『あんぱん』世界で、大人漫画と子供向けストーリーマンガの区別がされていないのは、もう今更言うことでもないんですが、今日の回ですっ飛ばされた期間は、両者の垣根の間で少しずつ手塚先生が移動し始める興味深い時期なんですよね。
なので、せっかく嵩と手嶌氏の出会いをロマンチックに演出した『あんぱん』ならば、この辺のトピックはいくらでも盛り上げて描けたろうになあ…と、至極もったいない気持ちになってしまうのです。
それとも、あの喫茶店での運命的な出会いからずっと接点が生じないからこそ、『千夜一夜物語』キャラデザ依頼という再会をドラマチックに盛り上げる算段なんだろうか。『あんぱん』世界線ならばあり得る。
ちなみにこの7年の間には、悪書追放運動もあったはず。
あそこまで児童漫画の覇者・手嶌治虫に注目している嵩が、特にそれを気にしている素振りもないということは、『あんぱん』世界では悪書追放運動が起きていないんでしょうか。それはそれで手嶌先生のストレスが減ってくれて、優しい世界かもしれない。
『あんぱん』にはあまり関係ない話ですが。
大人漫画と子供マンガ、そして悪書追放運動といえば、当時の大物漫画家・近藤日出造が子供向けマンガを痛烈に非難した文章を1956年『中央公論』に発表しています。そして、手塚先生だけは「さすが格段の腕前」と一応認めつつも、前年から進出し始めた大人漫画の作品については、「『絵の点』で力量不足」とばっさり切り捨てている。
その近藤日出造はもともと岡本一平門下で、その岡本一平邸のそばには手塚先生のお母様・文子さんのご実家があり、岡本太郎と文子さんは幼いころ互いの家を行き来する幼馴染だったのを考えると、なかなか興味深い。
もちろん、近藤日出造が入門するのはだいぶ後なので文子さんと接点はないはずですが、戦後マンガ史で交錯する近藤と手塚2人をつなぐか細い線に、何とも面白い歴史の妙を思うのです。
#105 8月22日(金)
金曜回ラストの次週予告で、ちらりと手嶌先生が登場。わーい、お久しぶり。
仕事場で仮眠していた?様子の手嶌先生が、ふと耳にしたラジオの内容にハッとしているようなカットなので、ひょっとすると『やさしいライオン』のラジオドラマ版を聞いているところでしょうか。
今週、のぶさん実家のあのラジオが上京してきて夫婦宅に感慨深く置かれたので、あーこれはもしかして弟千尋くんとの思い出が詰まったあのラジオで、『やさしいライオン』ラジオドラマを聴くという流れになるのでは…と思ったのですが、手嶌先生再登場も『やさしいライオン』に絡んでくるのかな。
これで、もしも映画『千夜一夜物語』キャラデザ話をすっ飛ばし、ラジオドラマに感動した手嶌先生が『やさしいライオン』制作を持ちかける…という流れに脚色されたら、すっ飛ばし過ぎて笑ってしまうかも。
しかし、ここまで再三書いているように『あんぱん』世界では、大人漫画と子供向けストーリーマンガとの区分が存在していない様子。
もっぱら子供向け作品を作ってきた手塚先生ら虫プロが、初の大人向け作品アニメラマを作成するに当たり、大人漫画家としてのやなせ先生に白羽の矢を立てた実際の経緯を、この『あんぱん』世界で描けるのかどうか正直不明だったので、『千夜一夜物語』関連自体をばっさり切る脚色もあり得るかもしれん、と覚悟しておきます。
『あんぱん』の嵩が色っぽい絵を描くのもあまり想像つかないですし。
とはいえ、『千夜一夜物語』関連の話は、やはり手塚ファンとしてはじっくり描いてほしいところなんですよね。
やなせ先生のキャラデザ才能を見抜いて依頼し、映画ヒットを大喜びして英國屋で背広をつくらせ、『やさしいライオン』をポケットマネーで制作させた手塚先生。
やなせ先生関連のお話は、うしおそうじ先生や馬場のぼる先生とのエピソードと同じく、手塚先生の暖かく朗らかな一面が垣間見えるので、できればドラマとして映像にしてほしいなあ…と、念を送っておきます。
(手塚先生の”嫉妬”エピばかりが面白おかしく消費されがちで、それ以上にほかの人の才能をよく見て時には仕事の橋渡しもしていたエピが、悲しいくらい無視されがちな昨今だからこそ)
そういえば『あんぱん』の嵩は、漫画を描く動機というかアイデアの源泉が のぶさんという描写が続いているので、もし『千夜一夜物語』エピをちゃんとやってくれるとして、盗賊の娘マーディアの元ネタまでもハチキンのぶさんになったら、ちょっと笑うかもしれん。
そのマーディアは、『千夜一夜物語』公開から2年後、手塚先生がマンガ『百物語』ヒロイン・スダマのキャラデザ案を練る際、ラフスケッチに「マーディアのような」と書き添えているぐらい、手塚先生にとっても印象的かつお気に入りだったらしいキャラなので、嵩と手嶌先生が運命的な出会いをした『あんぱん』世界でも、やはり登場してほしいところではあります。
■第22週
#106 8月25日(月)
・登美子が『リボンの騎士』の題名を口にする
えー、まさかあの登美子が『リボンの騎士』だけでなく、『オバケのQ太郎』の名まで挙げるとは。なかなかシュール。
ちなみに『オバQ』アニメ化で大ブームになるのは1965(昭和40)年、『リボンの騎士』のアニメ放送は1967(昭和42)年から。
つまり、冒頭で1964(昭和39)年秋と言及された今日の回、2作品ともまだアニメ化されていない時期に、かなりお年を召している登美子が、明らかに子供向けのこの2作品に言及するというのは、かなりのマンガ好きなのでは…と、じわじわ来る。いくら「空前の漫画ブーム」とはいえ。
それとも、せっかくお茶を習いにきてくれる嫁と共通の話題がほしくて、せっせとマンガ情報を仕入れてるのだとしたら、かわいいよ登美子。
あと今日の回は、息子に対するいつもの過剰な期待かけのための比較対象とはいえ、「いつになったら嵩は、手嶌治虫先生みたいな売れる漫画を…」と、登美子が手嶌治虫をちゃんと「先生」呼びしてるのも微妙に可笑しい。
漫画家、しかも子供向けマンガの作家にも「先生」呼びする人だったんだ…という驚きとともに、あの権威と名声に弱い登美子でさえ「先生」呼びするところが、今現在の『あんぱん』世界における手嶌先生の地位を表しているのかも。
やはり『あんぱん』世界の手嶌先生は、大人漫画界との軋轢も含めた史実の苦労要素を省略して、陽の部分をぎゅっと濃縮した概念になっているんだなあ。
#110 8月29日(金)
・手嶌治虫『どろろ』執筆中?に、ラジオドラマ『やさしいライオン』を聴く
喫茶店でのロマンチック邂逅以来の手嶌先生ご本人登場、お久しぶりーー。
ドラマとしては3週間ぶりでも、作中ではもう既に14年たっていますね。
※喫茶店回1953(昭和28)年→今日の回冒頭1967(昭和42)年5月
仕事机に突っ伏し仮眠している分厚い背中に、NHK特集『創作の秘密』でおなじみのあの姿を参考にされたんだろうなあ…と思っていたら、次週予告に出てきた半袖ポロシャツ手嶌先生が、まんま『創作の秘密』の頃の手塚先生に寄せてくださってて、嬉しくなってしまった。
もともと手塚先生ご本人があの年代にしては背が高くて恰幅のいい方なので、眞栄田郷敦さんのガタイのよさが、いい方向で手塚先生のパワフルさ表現になってくれるかもしれない。
今回、手嶌先生が夜中の仕事場で描いていた様子なのは『どろろ』。
1967(昭和42)年の手嶌先生の作品として、『どろろ』が出てくることに何ら異論はないし、タイトルのチラ見えだけでも大変ときめきましたけど、この年の手塚作品というと『人間ども集まれ!』も同時期に描かれているんですよね。
この作品こそが、手塚先生にとっては初の長編ストーリー大人漫画だった重要性はもちろん、やなせ先生も執筆されていた『漫画サンデー』掲載であることを思うと、やなせ先生モデルのドラマ的には本来『人間ども集まれ!』のほうが相応しかったのでは…と思わなくもない。
やはり『あんぱん』ワールドは、大人漫画と子供向けストーリーマンガの区別が存在していない世界のようです。
(もしくは、八木さんの中の人=実写版百鬼丸にちなんでの洒落もあったんだろうか)
あと、手嶌先生の机の前に貼られた「手嶌プロに朝はない」の貼り紙。
当時「練馬の不夜城」と例えられた富士見台虫プロの空気を彷彿とさせる文言ですけど、今の作中で手嶌先生が経営しているのが「虫プロ」でなく「手嶌プロ」である事実も、とても気になりました。
ちなみに、アニメ制作や出版を担う巨大組織となっていった「虫プロ」とは別に、マンガ制作のための独立会社として「手塚プロ」を手塚先生が新たに立ち上げるのは、1968(昭和43)年1月。
つまり、本来であればこの時期1967年に存在しているのは、虫プロだけのはずなんですよ。
手塚先生の名字を手嶌に変えても「治虫」はそのままだったので、「虫プロ」の名称もそのまま使うのかなと思っていたんですが、もしかして、『あんぱん』世界の手嶌先生がアニメ制作のため立ち上げた会社、そして手嶌先生が嵩に依頼する映画を制作するのは、「虫プロ」ではなく「手嶌プロ」になるんでしょうか。
もしも、『あんぱん』世界中で、虫プロと手塚(手嶌)プロの区別が明確につけられていないとしたら、このパラレルワールドでは虫プロ倒産も発生しないのでは…と、ちょっとほろりとしちゃいました。
それにしても、苦く切ないメルヘン『やさしいライオン』ラジオドラマに登場人物たちが聞き入る中、手嶌先生が大きく反応するのがクライマックスの銃声シーンであるという演出が、手塚作品の世間一般的パブリックイメージ(主人公の死を伴う悲劇的結末)に合わせているようで、ちょっとふふっとなる。
■第23週
#113 9月3日(水)
・手嶌治虫が嵩に電話を掛けてくる
手塚先生から突然の依頼に、漫画家仲間でよくある冗談だろうと思い本気にしてなかった…というのは やなせ先生の自伝にも書かれてますが、その前に漫画集団で一応互いにほんのり面識はあったから、いきなり電話を掛けられる(そして相手の話を冗談だと受け取れる)関係性でもあったわけでして。
なので、ここまで2人の接点をほぼ無しに描いてきた『あんぱん』脚色だと、うっかり嵩がいたずら電話と勘違いしちゃう化学反応になるんだなあ…と、両片思いのすれ違いに泣き笑いしてしまう。忙しい手嶌先生にあんな顔をさせてはいけないよ、嵩。
ところで、昨日の第112回で出てきた漫画家たちの世界一周旅行。
ドラマ中では独創漫画派の企画になっていたので、やはりこの『あんぱん』世界には漫画集団が存在していないのが確定しました。
実際には、独立漫画派(『あんぱん』の独創漫画派)は1960年に解散、やなせ先生を含む主要メンバーは程なくして漫画集団に合流し、1964(昭和39)年には手塚先生も漫画集団に加入、そして近藤日出造の音頭で手塚先生含む12名が1967(昭和42)年の漫画集団世界一周旅行へ…という流れなので、漫画集団が存在していない『あんぱん』だと、手嶌先生と嵩に接点が生じてないのも、手嶌先生が旅行に行っていない様子なのも、まあ確かに整合性は取れている。
やなせ先生が自伝で、この漫画集団世界旅行に誘われなかったことをちょっぴり嘆いているのは事実ですけど、文脈としては、漫画集団という伝統ある大人漫画ピラミッドの中で自分がいかにちっぽけだったか…という話なので、独創漫画派が世界旅行に行っている『あんぱん』だと、喫茶店でいつも仲良く切磋琢磨してたはずの仲間にハブられちゃったという印象が前面に出てきますね。嵩のウェットさに磨きがかかってしまう。
そう考えると、史実と違って手嶌先生がその旅行に誘われてないようなのは、『あんぱん』世界線のバランスとして、嵩にとってはギリギリの救いかもしれないなあ。
※史実だと、手塚先生を旅行メンバーに入れるよう近藤に提案したのは、『あんぱん』第96話で独創漫画派・大島コオとして出てきた小島功だそうなので、余計に。
……これで、明日以降の回で、実はボク世界旅行に行ってきたんですよぉ!と手嶌先生が無邪気にぶっちゃけたら笑いますが。
本日出てきた手嶌先生の1967年作品は『火の鳥』。
あのコマ割りは、恐らく黎明編でニニギが鳶にナギを襲わせるシーンでしょうか。
『少年』が『晴天倶楽部』、『週刊朝日』は『週間陽向』になっている『あんぱん』世界だと、『COM』は何というタイトルになっているのかな。
#114 9月4日(木)
・嵩宅に手嶌治虫がやってきて寝オチ&仕事を依頼する
・嵩が『ロストワールド』が特に好きだと手嶌治虫に告白する
よかった…… ドラマ中ここまで嵩が仕事の絵を描く描写が少なかった上に、あまり大人漫画の女性を描けそうな性格にも見えなかったので、どうなるかとハラハラしてましたけど、ちゃんとこの世界の嵩も大人っぽい女性を仕事で描いていたし、手嶌先生の依頼はしっかり大人向けアニメラマ『千夜一夜物語』でした。歴史は改変されず無事につながった。
それにしても、嵩が特に好きな作品として『ロストワールド』を挙げるとは。
第91回で劇団座長が嵩に『新寳島』を勧めたとき、せっかく1948年の場面なら『ロストワールド』に言及してくれてもいいのになあ…と思っていたので、ここで名前が出てきたのはびっくりしつつも、とりあえず嬉しいです。
『ロストワールド』に心酔したマンガ家といえば、赤塚不二夫先生もそうなので、やはり『あんぱん』世界の嵩は、大人漫画の作家というよりも、子供向けストーリーマンガ寄りの感性の持ち主なんですよねえ。
ちなみに実際のやなせ先生はというと、手塚先生が亡くなった直後のコメントで傑作として挙げているのは『アドルフに告ぐ』。大胆不敵な仮説と納得させる真実性、壮大なスケールの描出を「構成と知性と娯楽性を兼ね備えた作家」として激賞し、『火の鳥』よりも完成度が高いと褒めているので、やはり実際のやなせ先生は徹頭徹尾、大人漫画を土台にした方だなあと思うのです。
ついでに、このコメントの中で、「弱点であった絵も、この作品(※アドルフに告ぐ)では完成期に入ってしっかりと描けている」と評しているあたり、いかにも戦前世代の漫画家らしい絵への批評眼。
その権威や評価軸とともに大人漫画そのものがすっかり消え去ってしまった現在、分かりにくくなってはいますが、手塚マンガの意義や価値を歴史の中で位置づけるには、本来こうした大人漫画の世界から見た評価も複眼的に含めるべきなんですよね。子供向けストーリーマンガ中心の歴史観だけだと、見えないことも多い。
そういう意味で、『あんぱん』はフィクションでもそれを描けるチャンスだったはずなので、やはり勿体ない気持ちが拭えないのです。
手嶌先生が嵩宅を直接訪問するのは、恐らくヒロインのぶとの接点を持たせるストーリー上の都合ではありましょうが、実際に仕事関係で手塚先生本人が訪問してきて相手を恐縮させる話は複数あるので、まあそれほど無理やりな展開でもない……かもしれない。
何冊か赤本を出した頃、面識ないはずの手塚先生が連載を推薦して『漫画少年』編集者を連れてきて、あなたの作品読みましたよと次から次に列挙するので驚いた、うしおそうじ先生とか。
虫プロで『あしたのジョー』がアニメ化されるとき、こちらから出向きますと言っても「礼儀だから」と手塚先生が自宅まで打ち合わせに来られた、ちばてつや先生とか。
特に好きなのは村野守美先生のエッセイマンガ。
『バンダーブック』にアニメーター参加した作画料を手塚先生自らがわざわざ仕事場まで届けに来てくださったとき、その庭先に立つ手塚先生の足元で、いつもは人に吠えまくる大型犬2頭がなぜかゆったりとしていた…という話が、村野先生の温かなタッチで描かれていて、とても印象的なんですよ。
手嶌先生訪問と茶室での寝オチは、そんな手塚先生のほのぼの側面を出そうとしたのかしら…と思えば、思えなくもない。かもしれない。
そういえば、手塚先生が寝る間も惜しんで仕事するので、いつ寝るんだと同席者がびっくりした話は枚挙に暇がないですが、逆に出先で寝ちゃう話というのは意外と聞かないかもしれないなあ。
あえて挙がるとすれば、後に奥様となる悦子さんとのデートで、仕事の疲労と慣れない酒とでうっかり寝てしまい、箱入り娘の悦子さんはただじっと手塚先生の顔を眺めていた…という微笑ましいエピソードでしょうか。
そう考えると、手嶌先生が他でもない のぶのお茶でリラックスできて眠るというのは、朝ドラあるあるな特別ヒロイン力(りょく)として、実に分かりやすい演出だったのかもしれません。
#115 9月5日(金)
・嵩が、手嶌治虫の仕事場で『千夜一夜物語』の打ち合わせをする
今まで誰も入れたことがないという「神聖な仕事場」に、柳井さん「だけ」はその神聖さを分かってくれるから…と手嶌先生から特別に入室を許可してもらう嵩。
よかったね嵩、すごいぞ嵩、まるで主人公みたいじゃないか嵩。さすが喫茶店でのロマンチックな出会いから始まった運命の仲。
この時期、1967(昭和42)年ごろの手塚先生だと、アニメの仕事は虫プロのスタジオ、マンガの仕事は別に借りた部屋とで分けていたはず。(そして翌年、マンガ制作のために手塚プロ設立)
しかし、やなせ先生が実際に手塚先生と机を並べた富士見台虫プロのスタジオも、手塚先生がマンガ制作をしていた当時の仕事場も、もし真面目に再現するなら、それなりの広さとスタッフ役のモブが必要なわけで。
手嶌先生が『どろろ』『火の鳥』のマンガ原稿を描くのも、アニメ『千夜一夜物語』の打ち合わせをするのも、あの狭い一室でまとめて行うのは、嵩とのドラマチックな関係描写だけでなく、セットの省略も兼ねてるんだろうなあ…と、ドラマ的な手際が垣間見えます。
また、「男女禁制」と称して誰も入れないマンションの一室の仕事部屋は、明らかに『創作の秘密』でおなじみ高田馬場セブンビルのあのマンションが、イメージの下敷きでしょう。
実際には昭和50年代以降の仕事場であるはずの高田馬場の部屋とよく似たセットが、昭和40年代の手嶌先生の仕事部屋として出てくるところに、ドラマ上の都合だけでなく、フィクションにおける最大公約数的な<手塚先生っぽさ>とは何なのかが見えてきて、なかなか興味深いです。
大河ドラマをはじめとした戦国時代モノのフィクションだと、誰もが知る三英傑、例えば織田信長が、主人公に対し個人的な極太感情矢印を向けたり、逆に主人公だけが信長の意外な一面を特権的に理解してあげたり…というのは、よくある脚色のパターン。
その場合、「織田信長」というキャラクターは歴史上の織田信長というよりも、その物語における主人公の立ち位置や考えを分かりやすく見せる反響板であったり、また有名無名実在非実在を問わずその主人公が特別な<主人公>たる所以を保証する印籠となっているわけで、それは見る側がある程度の共通イメージを持てるビッグネームだからできる使い方なんですよね。
戦後マンガ史における大人漫画/子供マンガの境界や数多のマンガ家がばっさり省略され、ストーリー上その時々で嵩が抱く漫画家としての複雑な思いや立ち位置が、手嶌先生ひとりに向ける、もしくは向けられる感情に集約されて分かりやすく提示される『あんぱん』のデフォルメに、ふと、この手塚先生モデルの使い方は戦国モノにおける織田信長(またはほかの三英傑)の使い方だよなあ…と、ぼんやり思うのです。
なので、この題材で見たかったものへの様々な感情はまあ別として、手塚先生がもはや史実モデルの人物というよりも、フィクションの昭和におけるある種の装置というか、<概念>として機能していることには、妙な感慨を抱いてしまい。
没後三十数年、その語られ方が時代ごとに変遷してきた「手塚治虫」の言説史において、これもまた一つの通過点なのだろうと思うと、それはそれでワクワクしてきます。火の鳥時間の長い目で追っかけている、ただの手塚ファンの感慨。
記事が長くなりすぎたので、続きは→こちら

