■第24週
#116 9月8日(月)
・手嶌治虫と嵩が『千夜一夜物語』制作を進める
・のぶの茶をいただきながら、戦時中の空襲体験を話す
どのフィクション世界線の手塚先生(モデル)であろうと、寝ないで仕事をするのは絶対に共通なんだなあ…と改めて確認し、しんみりしてしまうの回。
眞栄田さんの手嶌先生は、手塚先生の体格よさが表現されているところが好きなのですが、今日の回は、嵩宅に来たところでドアの向こうからひょっこり顔を出したり、嵩に「もう少し寝なさい」と叱られてスミマセンする、ちょこんとした仕草が可愛らしいかった。
この辺は、やはり年上かつ大人漫画作家のやなせ先生モデルの物語でなければ、なかなかできないだろう表現なので、希少さをありがたくモグモグいたします。
それにしても、あんなに片思いで焦がれていた手嶌治虫と、狭い部屋で2人っきり文字通り背中を預けて仕事するほど信頼されてるし、Pの催促は気にせず柳井さんの納得いくものを!と全力で守られてるしで、これもし夢オチだったとしても納得しちゃうぞ…という余りにも嵩ドリームパックな回で、ふふっとなってしまう。のぶが点てるお茶を手嶌先生がわざわざ飲みたがってくれるのも、その延長線上で。
先週の感想で書いたように、手塚先生が仕事相手の個人宅へいきなり訪問する(または電話する)エピソードは幾つか思い浮かぶんですが、そのご家族とも個人的に親しくなる話となると、そういえば案外聞かないんですよね。親友として有名な馬場のぼる先生や小島功先生関連でも、ご家族とのエピソードまではほとんど出てこないように思います。
なので、嵩の才能に向ける絶大な信頼と同じく、手嶌先生が のぶに心を許しているのもまた、彼女が<主人公>であることの証としてやはり機能しているわけです。
その点でちょっと興味深かったのが、茶室の場面。
学校の講堂で見せられる「戦意高揚のための映画」にうんざりした子供時代を語る手嶌先生の熱い映画談義に、のぶさんが淡々と返して、会話は次の戦争話へ移ります。
この場面、戦時中は愛国のかがみ教師としてその軍国主義を生徒に叩き込む側だった彼女の経歴を踏まえての受け答えがあれば、史実の暢さんをあえてその設定にしたフィクションならではの面白い化学反応が期待できるところなんですが、それは描かないんですね。あくまでも、その後に手嶌先生が語る『紙の砦』引用の空襲体験のほうが、終盤で夫婦が語らうアンパンマン話につなげる展開のため大事なわけで。
この作品における手嶌治虫は、『あんぱん』世界線の基準に沿って史実から解体・再構築された人生を生きている一個独立のキャラクターではなく、『あんぱん』世界線と並行する史実線から のぶと嵩の<主人公>人生に必要なイベントをもたらして結び目となる存在なのだと、改めて思わせられました。
それがいいか悪いかではなく、手塚治虫という人がフィクション昭和における<概念>として機能できていることに、やはりしみじみと思いを馳せざるを得ない。
(もっと言えば、もし手塚先生モデルの人物が「戦意高揚のための映画」の思い出を語るとすれば、当然それは『桃太郎 海の神兵』であり、「二度と見たくない」のような単純化された言葉で語り切れるはずもないので、やはり手嶌先生という登場人物は、あくまでも のぶ嵩夫妻の心境を引き出す媒介として物語中に存在してるんだなあ…と思う)
まあそれはそれとして、『あんぱん』の手嶌先生は、とりあえず1時間は寝られてますし、仕事上がりにお茶をいただきに行く時間も取れているしで、そこは少しホッとするのです。どうせパラレルワールドなら、このまま適切な休憩を覚えて長生きしていただきたい。切に。
#117 9月9日(火)
・『千夜一夜物語』大ヒットで、手嶌先生が嵩に電話をかけてくる
・『ザ・クレーター』を描きながら、『やさしいライオン』映画化を持ちかける
1969(昭和44)年6月の映画公開後に、手嶌先生が描いている新作は『ザ・クレーター』第1話。
この年の手塚マンガだと、空気の底シリーズや『I.L』など青年向けコミック作品も多くありますが、劇画ブームで「僕は今や古い人間だと言われている」とその苦悩を話しながら見せる原稿なので、青年誌でなく少年マンガ誌作品でも劇画タッチを取り入れたのがよく分かる『ザ・クレーター』を出すのは、アトムからの時間経過を自然に感じさせて、良いチョイス。
背景とトーン貼りまで済み、ゴムかけも終わったキレイな完成原稿に、手嶌先生自らセリフを鉛筆で丁寧に入れているということは、先にネームから写植を準備しておくまでもないぐらいに優良進行だったようですね…。
やはり『あんぱん』の手嶌先生は、手塚先生よりは相対的に緩やかな時間で生きているようです。どうか長生きして。
(それはそれとして、手嶌先生が原稿台にコップを置くのは、とても心臓に悪い)
昨日までの回感想で書いたように、『あんぱん』手嶌先生はフィクション昭和における<概念>だと思っているので、史実もしくは伝説からどの要素を引っ張ってくるかの点に、制作陣が考える一般的な<手塚治虫っぽさ>最大公約数が見えるのでは、というのが最終的な興味になっていまして。
なので、ここで『やさしいライオン』制作話をちゃんと持ってきてくれたのは、なかなか嬉しい。
何度も書いてるように、手塚先生の”嫉妬”エピソードなどが文脈から切り取られ面白おかしく消費されている昨今の傾向があまり好きではないので、先生の懐深さがよく現れたこのエピソードが、朝ドラで映像化されたのはとても良かったです。
手塚先生が、プロ同業者の作品どころかアマチュア同人誌まで熱心に読み込み、適切な評を書いている数多の文章はもちろん、やる気の出る褒め言葉を本人にちゃんと伝えている数々のエピソードも読むと、ネタにしやすい”嫉妬”エピは複数あるにしても、基本的には手塚先生、「俺に面白いマンガを読ませてくれ(by高畑一寸)」の特大感情を死ぬまで瑞々しいまま持ち続けた全身全霊オタクだよなあ…と思うわけでして。
(あと、手塚先生が同業者にしばしば見せるあの面倒くさい言動は”嫉妬”というより、「子供っぽい負けず嫌い」と言ったほうが適切だと思う。あくまで「僕だってああいうのを描きたい!描いてやる!」というバイタリティの発露なので)
その点で、『あんぱん』手嶌先生が嵩に「僕が、やないたかし監督の作品を見たいんです」とグイグイ来るのは、解釈一致だなあと思った次第です。
■第26週
#129 9月25日(木)
・手嶌先生が『アンパンマン』アニメ初回を仕事場で見ている
TVアニメ『アンパンマン』初回放送は1988(昭和63)年10月。この4か月後、1989年2月に手塚先生は亡くなります。
やなせ先生の自伝でも、その時系列がアトムとアンパンマンという二大キャラクターの交錯として印象深く描かれていたので、ここで、朝ドラおなじみ最終週で再集結する懐かしい人々、という図の中に手嶌先生も入っていたのは嬉しいですね。
「やなせさん、おめでとう」と感慨深げにつぶやくのは、嵩の才能を高く評価していたこのドラマの手嶌先生らしい。
しかし、この『あんぱん』世界の手嶌先生、嵩とのぶへの”特別”矢印の向け方があまりにも強かったので、これは虫プロ倒産後のあたり、どん底精神状態で嵩宅へ来て のぶさんのお茶をいただいて奮起し復活を誓うイベントが起きても不思議じゃないな…とも思ってました。さすがにそれはなかったけど。ここまで来たらいっそ見たかったけど。マンガの神様奇跡の復活をも後押しする剛腕のぶさん。
実際の1988年10月当時の手塚先生はというと、3月の入院手術を経て、再び夏にがんの転移が発見された後。当時の写真などを見ても先生の痩せ方に愕然とする時期です。そして仕事場も、『創作の秘密』に出てきたセブンビルの一室から、同年完成した新座スタジオの広い部屋へ移っていた時期でもある。
しかし『あんぱん』手嶌先生は1988年10月にも、『千夜一夜物語』を作っていた頃と同じあの部屋で、のぶ嵩夫妻のような老けメイクもなく、原稿を相変わらず描いている様子でした。
なので、もしかしたら『あんぱん』世界では、虫プロに相当する会社の倒産はなかったかもしれないし、手嶌先生だって案外1988年以降も元気に活動してくれているのかもしれない。だって、嵩と手嶌先生が喫茶店でロマンチック邂逅を果たしている並行世界ですから。
金曜放送の最終回、のぶさんの死を直接描かず和やかに終わらせたドラマなので、そんな幸せな想像をさせてもらってもいいのでは、と思いました。
やなせ先生がモデルと聞いた制作発表のときから、これは手塚先生が必ず出てくるなと期待していた『あんぱん』。
00年代以降の朝ドラに限って言えば、『ゲゲゲの女房』では手塚先生の姿とうしおそうじ先生の名前を足したようなベレー帽&メガネの大物漫画家えびおそうじ先生が登場、『半分、青い』では『マグマ大使』の笛がキーアイテムとして使われ、『なつぞら』では虫プロアニメは登場したものの手塚先生の実名は登場なし。
なので、ついに手塚先生モデルの人物が重要なポジションで出てきたのは、個人的に朝ドラのエポックメイキングでした。
ただ、これは歴史脚色作品の宿命として、自分が特に思い入れのある分野だとつい、いろいろなことが気になってしまいますね。今作も、やなせたかし先生という絶好の立ち位置の方をせっかく描くのに、戦後マンガ史における大人漫画/子どもマンガの区別をまるっとスルーしちゃったのは、やはり勿体なかったし、それで生じた作中の矛盾も解消し切れてなかったなあとは正直思います。
とはいえ、感想で何度か書いたように、フィクションに登場する手塚先生の描かれ方に、世間一般に広く流布する<手塚治虫>概念のイメージ変遷史を観察し続けては楽しんでいるオタクなので、今作の終始にこやかで筋骨たくましい手嶌先生も、そんな流れの中に現れた令和7年時点のひとつの解釈としてありがたく味わいました。
それもまた、ヒューマニズム、反戦、ペシミズム、人間賛歌、センチメンタル、風刺、SF、諧謔……と、一言では言い表せない様々な面を持つ作家を、没後三十数年を超えてもなお追いかけ続けている楽しみの一つなのです。

