カムカムエヴリバディ 第21週「1994-2001」
#098 4月9日(水)
・第20週ラストの奇跡を経て、大月家の人々がまたそれぞれのサニーサイドへ向かう再出発。各々が決意を宿しながら徐々に日常へ戻ろうとする、お盆休み終盤のゆったりした時間が心地よい。
・算太の再訪以来、ひなたがずっと「おばあちゃん」の存在を気にしていたのに対し、帰郷してからも るいは一貫して「お母ちゃんのお母さん」と呼んでいるんですよね。その固い空気を察したか、第97回では ひなたも「お母ちゃんのお母さん」と るいと同じ言い方をしていましたけど、今日の回で戻ってきたとき、るいは ひなたが差し出したテキスト表紙の名前に、「ひなたのおばあちゃんや」と微笑んで答える。
藤本脚本らしい細やかな呼称の変化に見える、からりと晴れた るいの心。
・第1作からの最古参・雪衣さんが後輩ジョーさんにしみじみ語る「たった15分、半年であれだけ喜びも悲しみもあるんじゃから、何十年も生きとりゃ、いろいろあって当たりめえじゃが」。
朝ドラクラスタの代弁であり、藤本さんの朝ドラ観も詰まっており、そして雪衣さんの描かれなかった数十年も想像させる台詞が、とても沁みる。
るいの帰郷を純粋に喜び、算太失踪への責任をずっと背負ってた様子を見ると、やはり雪衣さんは、計算や計画で何かができるような人でなく、一度は諦めた勇との結婚も、密かに反発を感じていた安子が雉真からいなくなるのも、まさかの形で思いがけず自分の望みどおりになってしまったからこそ、余計に後ろめたさと不安に苛まれるという、ごくごく平凡な感情を持つ人だったんだなあと、改めて。
そんな雪衣さんが、雉真の嫁としての責務をこなしつつ、毎朝たった15分を楽しみに生きるうち、何とか自分の人生を「いろいろあって当たりめえじゃが」と折り合いつけられるに至った数十年を思うのです。
ジョーとの楽しい朝ドラ談義も、きっとこの家で誰かとこんな話ができたのは初めてだったんでしょうねえ…。それは、息子や孫とできなかったキャッチボールを桃太郎とできて大喜びの勇も同じで。
るいだけけでなく雉真家にとっても、この数十年に幸せなピリオドを打てた数日間。
・それにしても、ジョーに電話で呼ばれただけで東京から岡山まですっ飛んでくるトミー、情が厚すぎて泣けてくる。
デビューからずっと第一線で活躍し、華やかな舞台も数多く踏んできたろう男が、それでも未だに胸を熱くするのは30年前のあの共鳴で、ずっと諦められず抱き続けていた夢は「お前と一緒にステージに立つ」ことだったという一途さ。
自分のアルバムを全く聞いてなかったというジョーに「おい!」とツッコむ声の柔らかさに、トランペッター・ジョーの帰還を世界中で誰よりも(るいの次に)待ち焦がれながら、適切な距離を取って辛抱強く待ち続けてくれたトミーの思慮深い友情が見える。
そしてジョーもまた、再生の第一歩を、トミーのアルバムを「これから全部聴く」決意で言い表すことで、自分が音楽に戻るということはトミーと共鳴したあの場所にまた戻ることなのだと、音楽家として最上級の信頼で返すんですよねえ…。
「その話するために岡山まで呼んだんか?」と呆れるトミーに、笑って返すジョー。その会話に定一さんの写真がかぶり、ああジョーは再出発の表明と親友トミーの紹介を、自分に文字通り命をくれたディッパーマウスブルースでしたかったんだなあと、心が温かくなる。
・るいやジョー、進路をじっくり考えるという桃太郎と同じく、三代目ヒロインのひなたもまた8月15日のサイレンを経て「英語の赤ちゃん」としての再出発。
今回の里帰りが、それぞれの生まれ変わりのようで、それぞれの場所と時に必然性と理屈があり、こういうロジックに沿ったファンタジー味がやはり藤本脚本だなあと思うのです。好き。
#099 4月10日(木)
・トミーとの再会で若い頃のサッチモちゃんの顔にふわり戻る るいと、英語講座という日々鍛錬が板についてくる侍ひなたと。
毎朝小豆を炊きながらルーツを再確認していく母と娘が、だんだん親子であることを超え、年の差を超え、得難い親友のような関係になっていく豊かな時間。この回は日常の隅々まで静かな多幸感が満ちていて、温かくなる。
・ひなたが毎日つける英語日記と滑らかになっていく発音で、1年以上の時間経過と季節の流れ、移り変わる家族の環境をさらりと描写していくこの回の構成が、また素敵で。
安子と稔さんの往復書簡が、時代の不穏さに侵食されていく日常と四季の美しい変化を切り取っていたあの第6回を懐かしく思い出す。こういう省略が、やはり大胆で面白い百年の物語。
・そんな流れる日常の中にふっと差し込まれる「あかにしのおばあちゃんは、亡くなる前にひ孫を抱くことができました」の一文ですよ…。美都里の死を「稔のいる空の向こうへと旅立ちました」と言い表したように、『カムカム』が人を見送る言葉はどれも静謐で優しい。
そして、これらは全て ひなた先生が書いた講座テキストなんだと思うと、この優しさはつまり、るいとジョーのサニーサイドで育った ひなたが、60近くなったときに人生を見つめる眼差しなんだなあ…と一層味わい深い。
・るいがジョーさんの病のため30年積み立てていた治療費は、ピアノのレッスン代になり、勇が るいのため貯めていたのに受け取ってもらえなかった学費は桃太郎の学費に。
この、誰かが何かの願いを込め貯めていたお金がやがて思いがけぬ形で役立つという小さな描写が、最初に願った場所と違うところへ辿り着いてもきっと「ひなたの道」になるよと明るく歌いかける『カムカム』の主題に、そのままリンクしている。
『ちりとてちん』で、草々と若狭が新婚時代に「二人癖」オマージュで貯めた口癖貯金が、夫婦喧嘩で小浜の実家へ行き、そして最後は皆の夢である常打小屋建設への寄付として舞い戻ってきた、あの可笑しさと愛おしさも思い出すのです。
・トミー来訪に驚く母るいの指示で、流れるように片付けてお座布団を出す桃太郎と ひなたのスムーズな仕草に、この家で生まれ育ち暮らしてきた子供たちの生活感がにじみ出ているのも、ほのぼのと笑顔になるところ。
るいが「雪衣さんの梅干し」を可愛らしく喜ぶ姿に、雉真家で育った少女時代が垣間見えるのと同じく、『カムカム』のこういう匂い立つような生活感が、やはりこの虚実皮膜の物語を支えているんだなあ。
・母と娘でおまじないを唱えながらあんこを炊く朝の時間に、小豆の匂いがするファミリーヒストリーが ひなたに渡されていく。見てる側にはもはや懐かしいあの第1部後半の安子を、ここで ひなたが「進んだ人やった」と言うんですよねえ…。
るいの額の傷を子供ひなたが「旗本退屈男のようでかっこええ」と明るく肯定したときと同じように、るいがずっと押し込めていた母への思いとようやく向き合い、娘にも穏やかに話せるようになったとき、かつて傷を残し去ったかのような安子の生き方も、未来を今生きてるひなたが「進んでた」と語り直してくれるんですよ。泣いちゃう。
サニーサイドの子ひなたが、百年の物語を改めて紡ごうとしている。
・見てる側は、ただ普通の幸せな女の子だった安子が、ひたすらその「普通」を取り戻そうとするうち世間の「普通」から外れてしまった悲劇を見ているけど、母の昔話から まだ見ぬおばあちゃんを想像する ひなたの中で安子は、あの時代にひとりで商売して子供を育てようとし、実家まで立て直そうとした「進んでた」女性で、最終的には「進駐軍さんとアメリカへ行ってしもた」最先端の人と解釈されている。
もしかして ひなたの想像の中で安子という人は、持ち前の明るさと才能とド根性で時代の先を駆け抜けていく”朝ドラヒロイン”概念に似た像になっているんじゃなかろうか。
だとしたら、パリッとお洒落して颯爽と仕事するアニーの姿は、そんな ひなたがぼんやり想像していた”おばあちゃん”の延長線に、案外違和感なく収まったのではと思うのです。
この母子の会話が、るいの雪解けを表すだけでなく、人というものは語られ方や見る方向によって評価が変わるという真理をさりげなく示唆していて、アニー登場への下地になっていたのだなあと気づく2周目。
・それにしても、本放送のときもTLが揺れたけど、ひなたのあの黍之丞Tシャツは今からでも遅くないので早くグッズ化してくれ、ください。
社員特権で内々のスタッフTをもらったのか、それとも映画村の黍之丞グッズを自腹で買ったのか。いずれにしても、推し主張の強いTシャツを家でパジャマにする ひなたが、オタクの解像度高くて、ふふっとなる。あれを着て ひなたの気分を味わいたい。
#100 4月11日(金)
・とうとう第100回。この再放送感想記録を始めたとき、いつか来るこの日のために話数表記をあらかじめ3桁にしておいたんですが、いざその3桁回目が来ると、なかなか熱いものが胸に込み上げてきますね。
・ひなたの英語勉強とナレーションに乗せて時間はあっという間にたち、岡山帰郷編からも早5年。
岡山帰郷編での心揺さぶられる転換点を経て、また元のひなた編らしいトーンが戻って来るこの100~101回も、百年の物語の一幕として愛おしい。のんびりした日常展開ながらも、この後怒涛のラストスパートに向け、ぐぐっと力を貯めていた時期なのだと2周目で改めて味わい返す。
・再起からの念願を叶え、いよいよジョーは るいとともにアメリカへ旅立つ。
物語的には遂に!と壮大に盛り上げていいはずのこのイベントも、こんなにあっさり、あっけらかんと語られるところにかえって、毎朝小豆を炊き娘へ昔話を語るうち、るいの中の安子が少しずつ穏やかに再構築されてきた時間経過を感じるのです。
るいの「お母さんに会いたい」は真実でも、もはや心乱され振り回されるほどの傷ではなく、ひなたにとっても日々の英語勉強と同じく人生の中で並行し進む幾つもの線の一つに過ぎない。「それでも人生は続いてく」だ。
・本放送時の感想再掲。(正確には第101回も含めての感想)
30代独身女性の実家ひとりご飯を、過剰な自虐も特別な気負いもなく、ここまで平熱の日常ひとコマとしてあっさり描けるのも『カムカム』ひなた編の良さなんですよねえ…。
ヒロインとしての力みや「独身」「女性」に付与される記号表現でなく、ただ大月ひなたという人間がそこに居て生活しているだけのこの存在感は、上述した るいのアメリカ行きがあっさり語られるのと同一線上であり、実は”物語”としては創り手側に相当の抑制と胆力を要する表現なんだよなあと、しみじみ思う。
いわゆる”名場面”からはズレるでしょうけど、『カムカム』が語るものの一環、またドラマ表現としても印象深く、再放送開始前のアンケートで投票した場面。再放送で見ても改めて好き。
・五十嵐と付き合っていた1992年当時は、半ば本気で世界が滅びるかもと怯えてた「大予言」に対しても、いざ1999年が来てみたら、回転焼きの売上を落とすだんご3兄弟ブームの襲来だったり、ハリウッドから来るという映画村視察だったり、はたまた親友いっちゃんの悩みだったりと、怯える対象が日常周辺の大事件になってきている ひなた、着実に成長しているなあ…。これも「日々鍛錬」の成果か。
それでも、いっちゃんとポンポン交わす会話と深刻になりすぎない気遣いに、相変わらず明るく人間が好きな ひなたらしさを見るのです。「私、もう34え!」「知ってます、同い年やし」のリズムの良さ。
・この回の可愛い会話といえば、ひなたとジョーお父ちゃんの「アメリカで迷子にならんといてや」「それは大丈夫や、るいがいるから」もですね。
思えば大阪で出会ったばかりの頃、るいが「迷子」のマウスピースを届けてくれたあのときからずっと、ジョーにとって るいは「迷子」の手を必ずつなげてくれる存在だったんだなあ…と、くすっと笑える中にも沁みるものがある。
そして、パスポートしっかり握ってて今日もカッコいい るいさんが麗しいショートカットになり、いよいよ終盤だなあ…と感じ入るのです。
#101 4月14日(月)
・藤本脚本名物トンチキプロポーズはこちらでございますの回。
いやほんと、『ちりとてちん』壁ドン破壊プロポーズといい、『平清盛』御曹司たちのろくでもないW求婚といい、一生懸命なアホこそ真骨頂なのが藤本さん脚本。それにしては珍しく、『カムカム』はどの世代もプロポーズがみな爽やか王道だなあ…とずっと見ていたら、まさかの終盤で、まさかの榊原さんがその組になるとは、ですよ。笑顔。
・すみれさんを酔ったまま一人で居酒屋に放置するわけにはいかないのも、すぐ一恵ちゃんを追いかけて誤解を解かねばならないのも、諸条件すべてご尤もなんですが、それら全てを満たせる解決策を生真面目に短時間で弾き出した結果が【酔っ払いを背負ったまま部下の家で彼女にプロポーズ】になる榊原さん、もうどこまでも藤本脚本世界の住人で愛おしい。
そりゃ、ひなたも すみれさんも、そしてプロポーズされた一恵本人も笑っちゃうわ。
・皆が笑うので、「まあええわ、一恵ちゃんが機嫌よう笑てくれたらそれで」と自分もふんわり笑顔で言う榊原さん。これ、すみれさんが笑うてたら満足だと遠い目をしてた心底お人好しな榊原さんの「アホ」に惚れ、でも自分にはそう言ってくれないのではと泣いてた いっちゃんにとって、実は前段のプロポーズと同等以上にずっと欲しかった言葉なんですよねえ…。よかったよかった。
・「毎朝、一恵ちゃんのお茶が飲みたい」プロポーズ直後に、大月家の居間で 恐らくひなたが元々は入れた麦茶を2人して おいしいと飲む場面が入るのは、つまりプロポーズの主眼は「一恵ちゃんにお茶を入れてほしい」でなく「あなたと共にお茶を飲む日常を生きたい」だった証なわけで、ここもとても微笑ましい。
・茶の本髄とは所作ではなく「相手のこと思う気持ちや」という一子師匠の教えをしっかり受け継いだ一恵ちゃんが、すみれさん背負ってきて汗だくの榊原さんに、その喉を潤す麦茶を差し出すのが、プロポーズを承諾した証になる。
そしてその同じ回で ひなたも、アメリカから帰ってきた母るいのため、あんこから自分で作った回転焼きを差し出す、ゆったり幸せな時間を持つんですよね。
恋人であれ親子であれ、「相手のこと思う気持ち」がそこかしこに溢れている回。
・大阪に出てきた頃は張り詰めた顔の繊細なお嬢さんだったるいが、酒の勢いもあるとはいえ、アメリカでオープンマイクに歌うまでになったのも感慨深いなあ。短く切った前髪からあの額の傷がちらり見えていても、もう気にしていない。
数十年前に るいがジョーを暗闇から引き上げたあの海の記憶が土台にあっての言葉だろうトミーの「サッチモちゃんは度胸あるから」も、何と明るい状況で発せられていることか。
・一度の渡米で安子が見つからなくても るいは必要以上に気落ちせず、「また行ったらええやん、お父ちゃんの音楽に連れてってもらい」と当たり前の顔で言う娘と軽やかに笑う。国と国を自由に行き来し、自由に音楽を聞ける世界を るいが生きているしるしですねえ…。
・岡山帰郷編、母るいから毎朝昔話を聞く日々を経て、安子という人の思い出とあんこづくり、そして安子と同じ「甘いものを怖い顔して食べる人はいない」精神という三世代の散らばるピースが、ひなたの中に合流してきたところで、いよいよ1999年7の月にアメリカから「驚きの女神」がやってきた。
2周目だと、まだ顔のはっきり見えないあの人が「Ms.Otsuki」と名前を呼ぶワンカットだけで、ぐっと来るものがあるのです。
#102 4月15日(火)
・アニーがとうとう本格的に登場。つまり最終回ももう見えてきた。
2周目ならではの寂しさと、そして2周目だからより感じる、アニーの言葉一つ一つに秘められた感情と。
・この回冒頭の ひなた、アニーと個人的に親しく話す前、大勢の視察団の中の一人として接しているときから「何か素敵な人やなあ」と注目し好感を抱いているんですよねえ…。
るいに聞く昔話から安子おばあちゃんを「進んだ人」と評した感性の持ち主ひなたが、知らず知らずのうちに「素敵」だと惹かれている、日系アメリカ人だというチャーミングな女性。
(ごく個人的な話ですが、アニー平川の服装やしゃべり方が、子供の頃お世話になった日系3世のおばあちゃんにとてもよく似ているので、ものすごく懐かしくなってしまうんですよ…)
・ひなたが「May I…」と問いかけ、アニーが「Of course」と応える。なぜそんなに英語がしゃべれるのかとアニーが聞き、ラジオの英語講座だと ひなたが答える。
この一見普通のやり取りだけで、2周目の人間はもう目頭が熱くなってだめです。稔さん、そしてロバートと安子が交わした言葉が、時を超えて ひなたに彼女自分の言葉として宿っている。
・安子がロバートに掛けられた激励「(英語が)あなたを思いも寄らない場所まで連れていってくれる」を、今度はアニーが ひなたに優しく手渡す。
今思い返すと、第32回で安子がロバートにこう言われたとき、それは安子にとってようやく戦争が終わったと感じられた瞬間だったんですよね。「思いも寄らない場所」へ行く夢が見られるとは、つまり稔が願った「どこの国とも自由に行き来できる」がもはや可能になったという意味で。
孫とは知らず、昔の自分と同じ方法で英語を学ぶ若者を好ましく思ったアニー安子が、今の自分の基礎となった大事な言葉をその次世代の若者へ確信とともに贈れるのは、かつて絶望とともに「思いも寄らない場所」=アメリカに行った彼女が、それでも、ただ泣き暮らしていたわけでなく、その後の人生を彼女なりに肯定できるよう必死で生きてきたからなんだろうなあ。
稔が願った「自由に行き来し、自由に音楽を聞ける」世界を愛おしみながら生きてきた、アニー安子の半世紀がふと見える。
本放送当時は、アニーと安子を巡る「考察」がネット記事も含め喧しかったけど、後に制作側がやや戸惑った感じで、アニー=安子だと明確に提示してるつもりだったと語っていたように、確かにもう初手から安子を連想させるものは散りばめられていたんですよね。2周目だとこの辺、落ち着いて見られるなあ。
黍之丞が大好きだという団子を頬張るアニーの嬉しそうな顔に、ただディレクターとしてTV版黍之丞をチェックしたのだろう以上の思い入れが、にじんでいる。
・作中では2000年後期朝ドラ『オードリー』が放送。
こちら側の現実世界では、『カムカム』モモケンこと桃山剣之介のほうが、恐らく『オードリー』のモモケンこと桃山剣之助のオマージュなんですが、ひなたたちが生きてる『カムカム』作中世界線では、条映のスターにしてレジェンドのモモケンをモデルにした名前のキャラが朝ドラ『オードリー』に出てきたぞー!という認識になるんだろうと思うと、ややこしくて可笑しい。
というわけで、藤本脚本ワールド繋がりとしてはあの世界線の大阪に徒然亭が存在してるというのも捨てがたいので、いっそカムカム世界線の2007年放送『ちりとてちん』は、オリジナル脚本でなくBK実在モデルあり路線の作品だったらいいなと勝手に思っています。
・パリッと立派になった五十嵐の再登場で引きになった第21週ラストのこの回。
しかし同じ回の中で、ひなたは五十嵐との別れを失恋の痛みとしてでなく、千載一遇のチャンスまで待てなかった五十嵐という俳優への無念として「あほやなあ」と思い返し、そして小夜吉っちゃんの人生何周目かという結婚自由論を笑って聞いてる。
再会五十嵐とのあの結末も、そうなってみれば案外ひなたにとっては納得というか、既に固まりかけてた人生観の再確認でしかなかったんだろうなあと、その材料がしっかり積み上げられていたことに気づく2周目。



