見終わってまずは、え、わ、そ、そうだったのかああ~~~~~と深い溜息をついてしまった。
ただ70年の物語に圧倒されたとか、そう端的な言葉で言い表せないこの感慨を、どう消化したらいいものか。
これ多分、年を越してもしばらくは引きずるな… 来年までブツブツ何か思い出すたび感想を呟くかもしれない。
とりあえず、玲央が結局、荒木家と実は縁もゆかりもない赤の他人で、鉄平に似ているというのも いづみさん咄嗟の思い込みだったというオチが、映像だからこそできる叙述トリック(=端島パートは全ていづみさんの脳内映像)だった逆転の面白み以上に、この作品が最終的に行き着くテーマ、言い換えれば希望を現していたことが、すごく好きだ。
刹那的生き方をしてきた玲央が、いづみさん=朝子と出会い、鉄平の人生をたどっていくうち、人格の芯のようなものが出来ていき、文字通り人生が変わる。
これ、もしも玲央が実は鉄平の血縁者だったから救われたのですという話になると、結局は生まれで持ち札、もしくはゲームの勝敗まで決まってる物語にもなり得ますけど、はっきりと出自は描かれない、でも自分ではどうにもならない環境のために教育機会を逸してきた玲央が、全くの偶然で赤の他人のいづみさんと関わって始まったストーリーだからこそ、生まれる希望があるんですよね。そこから玲央自身が選び行動していったことも含めて。
実は赤の他人だった朝子のファミリーヒストリーを辿り、関係者に会ったり実物の写真を見るたび、俺の中では有名人!と興奮していた玲央が、やがて勉強してツアーガイドという職業に就き、どこに行っても鉄平の知り合いやその子孫がいると思えば楽しいと笑う。
どんな人が来ても受け入れる端島の象徴のようだったちゃんぽんの味、せめて自分みたいに騙されないよう子供らには知識を身に着けさせたかった一平の願いが、廃鉱とともに消えるのではなく、遠い未来の令和で、全く関係のない(家族という名の縁を持たず世界から切り離されていたはずの)玲央に繋がる。そして、玲央からまた別の他人に、同じような縁が繋がっていくのかもしれない予感も。
『MIU404』でピタゴラ装置の概念を描いた野木さんらしい、玲央の結末だったなと思うのです。
鉄平の人生には、百合子に関わりあるキリスト教の言葉を借りれば「一粒の麦、地に落ちて死なば」をふと想起しました。
植物が死骸になって、やがてダイヤモンドと呼ばれる石炭になるように。
一粒の麦が地に落ちて、やがて多くの実を結ぶように。
兄の罪を引き受けてただ一人逃げ続けた鉄平の人生を、辛い、哀しいと勝手に断じるのは簡単ですけれど、サワダージ誠が立派に育つまでその命を守り抜き、端島に引き留めたリナの人生をその言葉通り変え、朝子の心に外勤さんの心意気を植え付け、そして死んだ後にまで玲央の人生を動かすなど、確かに大勢の「実」を結んでいるその鉄平の生を、まして描かれなかった75年以降の後半生を、不幸だったかどうか軽々しく決めつける言葉は、私には出せない。
時代や環境のせいであのとき他の手段を選べなかった進平兄ちゃんやリナたちからまた続いていきそうだった負の連鎖を、鉄平は、もし相手を殺しては「果てしがない」(言い換えればあのヤクザたちと同じ土俵に乗ってしまう)と言ったとおり、自分の代で食い止められたのですから。故郷近くに帰ってこれたとき堂々と本名でいられた、つまりそれをやり遂げたところに鉄平の、ただ家族を守る責任感や自己犠牲という以上の(実に野木作品の登場人物らしい)鉄の意志を見る。
だから、ようやく自由になったとき、見晴らしの良い場所に家を買える程度の財力はあったことにもほのかな救いを見たいし、ボランティアで多くの人と関わっていただろう晩年が、どうか人好きのする鉄平らしい笑顔に囲まれたものであればと思うのです。

