カムカムエヴリバディ第6週「1948」
#026 12月23日(月)
・今週が第6週放送ということは、あのサニーサイド熱唱回がちょうど年末に合わせて放送され、年内の放送を締めくくることになるのか…と気付く月曜日。偶然とはいえ、本当にいい放送タイミングだなあ。
・まさかの優しい美都里さんお出迎えから始まったこの回。本放送当時も、そう来たか……!と逆に堪えて、藤本脚本の怖さに震えました。
るいの傷のことで余計に美都里が安子にキツく当たるベタな展開ではなく、雉真家の誰もが安子るい母子を温かく歓迎し、暮らしや傷のことを任せろと言ってくれる。精神的にも物質的にも十分満たされているはずの環境が、却ってじわじわ真綿で首を絞めるように、安子の芽生えたての「自分でおはぎを作り生計を立てたい」素朴な願望を”我が儘”の範囲に追い込んでいく、その始まり。
・なので、この回できぬちゃん再登場してくれて本当にホッとする。
自分に惚れ込んで追いかけてきた旦那を「あほう」と言いながら、その明るさに今は救われているのだと認める きぬちゃんは、さすが戦中の暗い時期に、アホなことばかり言っている算太を「今の世にゃあ必要な人材」と言ってくれた人だ。カムカムにおける『ちりとてちん』順ちゃん枠。「一生懸命なアホほど愛しいもんはない」。
・家族は全員無事で優しい婿さんと生家の商売を続けている きぬちゃんの今が、一時は見合いしてたちばなに婿を取るはずだった安子の「あったかもしれない」IFとして、あまりに眩しくもある。
・この回でさりげなく好きなのが、水田家が同じ商店街だった橘家の生死は当然知っていても、雉真家の長男稔さんの生死は知らないという微妙にリアルな距離感。
雉真があの辺りでも有数の大会社とはいえ、朝丘商店街は特に雉真と関わりなくとも回せる独立した経済圏だというのは、序盤からうっすら描かれているんですよね。例えば、安子は勇ちゃんや稔さん家の商売が学生服だと知らなかったし、子役時代に勇が安子をからかうときも、取り巻きが「雉真の坊っちゃんに逆らうとは」的なよくある加勢をしていない。つまり、親が雉真で働いてるなどで生計を依存している子が級友にいなかった。
特に進歩的というほどでもないけど、書店に外国語学習の本はあるしジャズ喫茶もある、そこそこの地方都市らしい中規模感(=いち産業・いち企業に依存してない規模)がすごくリアルだなあと。
・今思うと、この雉真の家と商店街の微妙な距離感、疎開や空襲で復興後に見知らぬ人が増えていたことも、安子が肩身の狭い婚家からここまで通って おはぎを売るのを可能にした(もしくは可能だと思えた)隙のようなものだったのかもしれない。
・そして2周目だと、雪衣さんへの印象もまた少し変わりますね。
本放送のときは、ひと目で分かる勇ちゃんへの恋心でそのうち何かしでかすのでは…と不穏さのほうが勝っていたけど、ひなた編終盤の苦しい告白を見てからだと、今の彼女の葛藤にも思いが及んでしまう。
・庭の勇とるいを幸せそうに縁側で見つめる雪衣は、安子が帰ってきたら自然に(それこそ女中として自然な動きで)影の差す台所へ退き、そして勇、るい、安子の3人が陽の当たる庭でキャッチボールをする。何重もの意味が込められた、ここの動線と映し方ですよ。
・温かく幸せな庭でのキャッチボールは、先週の回で英語講座テキストから安子が想像した、稔とのあり得た未来を模しているよう。と同時にこの頃の雪衣が、家族に縁が薄かったがゆえに一層雉真に心を尽くし仕えていたのを知ってから見ると、これ先週の初め、寒空に彷徨いながら壁の向こうの幸せな家庭の音を聞いていた安子の立場が、今の雪衣なんですよね。
今までの経緯を何も知らない雪衣にしてみれば、「欲しかった、でも手に入れることができなかった家庭の姿」を目の前で見せられてる上に、この後の安子がそれを蔑ろにしているようにしか見えなくなっていっても仕方がないんだよなあと。
・一時期の毒っ気が抜け、ただ子や孫を深く愛する弱々しい奥様になっている今現在の美都里しか知らなければ、そりゃ雪衣さんは美都里にこそ心底同情するはずだし、勇ちゃんに関わる嫉妬は別としても、もともと安子という出戻り嫁に良い印象など持てないまま迎えたのがよく分かる。
再びの岡山編が、静かな美都里さんの出迎えで始まった意味。
#027 12月24日(火)
・野球の話になると途端に生き生きと本来の可愛げが出てくる勇ちゃんの例え話回。「違う」と即ツッコミ入れられるけど、そんな的外れではなかったのではと2周目で聞いても思いますよ、社長どの。
・何というか、稔さんがもし生きてたら、若社長はさすが先代譲りの優秀さで…と称えられる二代目だったろうと思えるのに対し、勇ちゃんは恐らく周りに、しゃーないなあ、坊っちゃんのために一肌脱ぎますか!と自然と思わせられるタイプの二代目である。
・昭和のフィクション作品を見るときいつも参考にしている朝日文庫『値段の風俗史』。
学生服のページを見たら、戦中戦後は原料統制で値段の記録がぽっかり空白になり、ようやく復活するのが昭和25年なので、千吉さんの悩みがリアルに感じ取れるなあ。(また、昭和14年3円→昭和25年850円というインフレ率も恐ろしい)
今ちょうど同じぐらいの時期を描いている再放送『カーネーション』では、個人事業主の規模だから闇でも何でも布を探し当てて小回り効かせた商売ができてますけど、雉真繊維のように工場規模ともなると、また話が別なのだと比較もできて興味深い。
ちなみにこの学生服のページ、値段変遷の参考資料が本社・岡山の会社となっていて、カムカム脳的にも妙に感動してしまいました。
・再放送の『カーネーション』とは戦後の闇市や産業復興、現行放送『おむすび』とは野球だけに打ち込んできた青年の第二の人生模索、というトピックが偶然ながら繋がっていて、3作品並行が面白いことになっている。
・そういえば第10回で、甲子園中止に落ち込む勇を励まそうと安子が稔からの評価を伝えたときは、勇の耳にあまり素直に入ってない様子だったけど、勇ちゃんにしかできないことがあるはずという今日の安子の励ましがストレートに沁みていたのは、安子自身の言葉だったからなのか、あんこの匂いマジックなのか。
そして、恐らく一旦は義姉さんとして割り切ってたはずの安子に、ここで改めて惚れ直してしまったようにも見え。
・そして今日も相変わらず、どこまでも正しい千吉さん。
安子の実家と父親がどうなったか知っているからこそ、おはぎは「特別」だろうと”理解”を示しつつ、るいは「雉真の子」だから連れていくなというのは、この時代の家長としては嫁に対し最大限の優しい譲歩であるには違いない。
しかし、安子とるいの2人だと「外で働いている」と見られてメンツに関わる、だから安子一人だけなら許可するという理屈は、どこかで、安子一人ならば、あくまで生活に関わらない若奥様の道楽(もしくは亡くした実家を弔う手すさび)と見られるだろうと踏んでいる節がうっすらないだろうか。たとえ小さい規模でも、安子にとって おはぎの商いは大阪で生活そのものだったのに。
・るいを「雉真の子」とし、おはぎ売りに同行させないのも、当時としては当然の考えとはいえ、るいのもう片方のルーツである橘家から切り離してもいるんですよね。「ここらの人はみんな大好きで食べよった」ときぬちゃんが教えてくれた たちばなから。
ここから、安子自身の意地張りもあるとはいえ、橘の安子と、雉真のるいとでズレが生じていくんだなあ。
・駄々をこねる るいをついキツく叱ってしまう安子。気の利いたごまかしができない性格なのもあるけど、それだけ大阪では、幼い娘をなだめすかして言うことを聞かせる場面がないぐらい、密着して自由に生活していたことも思ってしまう。
・稔さんのときと同じ「May I~」構文で始まるロバートとの出会い。
は~~藤本脚本のこの重ね方好き…と2周目でも唸っていたら、堀之内Pも同じことを振り返りツイしてくださっていて、さすが『カムカム』一番のファン…!とこちらにも手を合わせたくなった。
以前の相互さんに教えていただいたおかげで、堀之内Pのこの貴重な振り返りを見逃さずに再放送と並走できてよかった。これ再放送終了時には、メモブ並みの分厚い資料になっていますよね…ありがたい。
#028 12月25日(水)
・全くの偶然でも、今回の再放送でジョー少年の初登場が12月25日であることに、じーんとできる2周目組の感慨。定一さんがこの子の籍をつくるとき、誕生日として選んでくれた日ですよ…。
・本放送のときは、この回が12月8日=太平洋戦争開戦の日放送で、それもまた、敗戦後に個々人がアメリカの文化とどう向き合ったか、それぞれ異なる反応を描き分けた回の放送として絶妙なタイミングだったのが懐かしい。
・いくら可愛い孫の歌声でも、いや、だからこそ、その子の父だった愛息を殺した国の歌に耐えられず拒絶する美都里さん。戦前からずっと好きだったジャズだからこそ、そこに息子や親しい常連客を殺した国の音楽という属性がついてしまったこと、その「戦勝国」に生活のため接するしかなく生じる卑屈な気持ちに、やけ酒あおる定一マスター。
どちらも人として自然な感情だし、やるせない。
・そんな中で、(今週の後半で爆発するように)まだ言語化できない怒りを底に抱えているとはいえ、安子が複雑な憎しみや卑屈さに引きずられず、初めてネイティブと言葉を交わし通じた経験を言語学習者としてまずはただ素直に喜べていることに、稔さんの願い「どこの国とも自由に行き来できる」が今も安子を守っている暖かさを感じるのです。
そして、「インテリの稔が考えそうなことじゃの」と笑う定一さんも、決してそのインテリらしい理想論の美しさが嫌いではなかったはずで。
・美都里の憎しみや定一の複雑な割り切り、安子のような臆さぬ好奇心とはまた別に、進駐軍に話しかけられただけで何かのお咎めではと怖がってしまう花売りのおばあちゃんみたいな反応も当時、案外リアルだったのかもしれないなあ。
辻真先先生(吉右衛門ちゃんとほぼ同世代)の終戦直後を舞台にした推理小説で、そのころ敗戦国側の人間として庶民が抱いていた進駐軍=”お上”への「触らぬ神は…」的な怯えそのものが、トリックの肝になっている話があったのを思い出す。
・そして、安子が稔さんの願い「どこの国の音楽でも自由に聴ける、演奏できる」を次の世代の子供=るいに生きてほしいと語っているとき、やがてそんな世界を るいと共に生きるジョーが店の外でジャズに憧れの目を向けているんですよ……。
2周目だから余計にグッとくる、この寓話的な構造。
・やはり『カムカム』の構成、ファミリーヒストリーを描く媒介として、ラジオ史の中でもとりわけ「英会話講座」を選んだという意味で、個人から見た日本とアメリカとの文化受容変遷史としても面白いのです。
・雪衣さんが るいに掛ける言葉。本放送のときはもしや何かの企みが…と怖かったけど、2周目で改めて聞いてみると、るいが「雉真の子」であることも、女手一つで育てていくのが無茶であることも、千吉が常々言っている当時の常識的な範囲の話でしかないことにも気づく。(とはいえ、るいに言うタイミングとしては悪すぎですが)
・後に告白するようにどす黒い気持ちからだったとはいえ、当時の雪衣にとっては本当に、安子が自分で資金を稼ごうと意地を張る心理は理解できないものだったんだろうなあ。一見毒のような「諦めた」も「返す」も、その理解できない安子の行動を、何とか彼女なりに落とし込んですり合わせたものだったのかもしれず。
まして、この回の美都里さんのように、もう怒鳴るエネルギーすらなく弱り切っている、お可哀想な大奥様しか見ていない雪衣にしてみれば。
・しかし安子は、男はダンサーになれんと言われても「誰が決めた?」と言い返す算太の妹だし、ダンスホールを締め付ける当局の狭量を苦々しく語ってた杵太郎の孫なんですよね。千吉が見込んだ金太の堅実さより、案外そちらの橘家DNAを引いている、実は頑固で内側に沸々小豆が煮え立っているおなご。
#029 12月26日(木)
・おばあちゃんがあんなに憎む英語をなぜ学ぶのか。るいの問いに、今こそ稔さんの言葉(るいにとっては父の大切な遺言)を使って答えてあげられれば良かったのではと言うのは簡単だけど、この時点ではまだ安子の中で、その理由が明確に言語化できてなかった描写でもあるんだろうなあ。平川先生が呼びかける「カムカムの赤ちゃん」が別の意味で突き刺さる。
・その理由が、英語というフィルターを通すことでどんどん明確になっていくロバートとの対話。
「英語を勉強することは夫を思うこと」と話す柔らかな口調から、一旦ふと口にした「Why?」から堰を切ったように、彼を失った怒り、理不尽、それでも自分は英語学習をやめられない矛盾が一挙に吹き出す安子の語りが、そのまま、お伽話のような序盤から戦争を挟んで今週まで作品のトーンが辿った変遷そのもののようで、上白石萌音さんの演技に引き込まれる数分。
・本放送の頃もラジオ講座だけでこんなに話せるかというツッコミが散見されたけど、実際に、NHKラジオ の み で韓国語を数年独学してた状態で、民間交流の場に通訳ボランティアで駆り出されたら、意外と通じてネイティブにも太鼓判押され、そのまま語学を活かせる職に転職した知人がいるので、そんな突飛な設定とも思わんかったです。
そもそも安子、中断期間を含むとはいえ14歳から英語学習を始めてるし、ラジオ講座のテキストだけでなく、辞書を引いたり、自作の単語帳で家事の合間に発音練習したりと、コツコツ単語を自分の中に貯めている様子は描かれていましたし。
・あとメタなことを言っちゃえば、これ講座テキストなので、史実(?)の安子おばあちゃんとロバートの会話がもっと身振り手振り日英文法も入り乱れてたかもしれなくとも、ひなた先生が分かりやすく整理した構文にしてる可能性あるんだよな…と思える2周目。
・何にせよここで重要なのは、最愛の人を奪われたときですら神社で「意地悪せんで」と泣くしかできなかった安子が、英語なら初めて「Why?」と適切な表現を獲得できたことなんですよね。
菓子づくりに身が入らないことだけは確かだった算太が、チャップリンの映画を見て初めて、自分が何を望んでいたのか外に出せるダンスという身体言語を手に入れたように。(そういうところも案外似ている兄妹)
・自分は何に怒り、何を悩み、何を望んでいるのか。それを的確に表現できる手段(言葉とは限らない)が、ネイティブの言語や文化圏内にあるとは限らないし、だからこそ稔さんの理想「どこの国とも自由に行き来できる」「自由に演奏できる」が、どれほど尊いかも浮かび上がる。
・非ネイティブ言語圏から獲得した表現手段。ジョーさんにとってのジャズもそうなるんだよな…と考えると、また少し切なくなり。(それを失ってからも、人生は続く話になるので)
・ああ、そして明日は遂にあの熱唱回だ。
#030 12月27日(金)
・リアルの様々な出来事で ひなたや虚無蔵さんの喜ぶ姿が目に浮かんでた2024年に、まさかの『カムカム』再放送開始というだけでもここ2か月ずっと幸せだったのに、さらに年内最後を締めくくる放送回が、この鮮烈な第30回になるという奇跡のタイミングですよ。感慨深すぎて、もう全てに感謝したい。ありがとう再放送。ありがとう2024年。
・勝手についてきた少年に定一さんが投げる「密入国」の厳しい言葉。単に少年を叱るだけでなく、進駐軍クラブの中は治外法権の”アメリカ”で別世界だと仕事で日々実感している人の、皮肉と自虐もにじみ出ている。
と同時に2周目だと、この少年=後のジョー(演:オダギリ氏)は、そういえば大河(※八重の桜)では本当にアメリカへ密入国してましたもんね…と、少しふふっとなり。
・アメリカ=戦勝国の豊かさを見せつけられ帰ろうとする安子が、ふと足を止めるのが「きよしこの夜」の澄んだ歌声。
初めてラジオの英会話講座を聴いたときも、英語は全く分からずとも歌ってるようでキレイだと聞き惚れていたので、もともと音楽に強く惹かれるタイプなんだろうなあ。そう考えると、ダンス好きだった杵太郎おじいちゃんや算太と、やはり近い感性を持っている。
・安子が定一さんに伝えた、娘を「るい」と名付けた稔さんの言葉。酒をあおり毒づいていたはずのステージ脇で、その由来と真意に気づき、目の前の少年(=稔が願った世界を生きる次の世代の子供)に重ねた定一さんが、ステージに上がり『On the Sunny Side of the Street』を晴れ晴れと歌い上げる。そして、たまたま居合わせてその歌を聴き、「ひなたの道」を歩もうと涙を流す安子。
ぐるりと巡ってくるこの連鎖が、やはり何度見ても優しい。
稔さんの願いが、定一さんを動かし、安子に形を変えて再び届き、またこのときは全く関係ない一人の少年の運命も動かしている。
・「僕(私)たちの子供にゃあ、そねえな世界を生きてほしい」の台詞に凝縮されているように、やはり『カムカム』は全編通して、どうか次の世代には少しでも生きやすく良い時代になりますように、という祈りがベースになっている物語なんですよね。三世代それぞれで同じモチーフが何度も変奏していくのも、いかにも藤本脚本らしい寓話的構図というだけでなく、その”祈り”を際立たせる構成でもあると思う。
定一さんが思わず歌ったのが、常連客の安子ちゃんを客席に見たからというわけでなく、ただ目の前で無邪気にトランペットの真似事をする戦災孤児少年のためであったのも、同じく。
・安子ととロバート、同じく配偶者を通して言語学習のきっかけを得て、戦争で配偶者を亡くした同士の語らい。
昨日の回で、安子が怒りを向けた理不尽の一つが、夫が学んだもの(英語)はその死で全て無駄になってしまったのではという虚しさでしたが、今日の回で、亡くなった人から受け取ったものは私たちがここにいる限り確かにあり、決して無駄ではないと返すロバートの答えは、すごく藤本脚本らしいなあと。
『ちりとてちん』で、草若師匠の病気が発覚したとき。
磯七さんが自分の親父のことを引き合いに出し、誰かが亡くなるということは「磨いてきた、研鑽してきた技術、身につけたもん全て」が灰になって消えることだ、そりゃ殺生だと泣くんですよね。でもそこから、”死”という残酷な締め切りを避けられないからこそ、どうやって技術や思いを次に繋げていくのか、一生懸命なアホたちが四苦八苦しながらやり遂げていくのが『ちりとてちん』という物語で。
戦争という事象を挟んでいるので、もっと複雑な割り切れない感情も含まざるを得ませんが、『カムカム』もまた同じ継承の形を描いていく物語だと思うのです。命そのものが亡くなることだけでなく、生きている間に身につけたものがなくなる苦しみまで描く。それでも、人生の全ては無駄ではないという人生賛歌。
・稔と出会ったから英語と出会った、そして稔と出会ったから「あなたは今日も”生きている”」とロバートに言われ、ほかの誰でもない自分自身が「ひなたの道」を生きるのだと受け止めた安子。
これでもう安子の中で英語を話すことは、亡くなった夫を思うことだけでなく、生きることそのものとはっきり不可分になってしまった。もう後戻りできない。
・偶然の再放送スケジュールだと分かっていても、この回が年の締めくくりになるの、あまりにも綺麗すぎて溜め息出ちゃいますね。安子編の終わりの始まり。
・軽い気持ちで再放送感想を書き始めたら、回を追うごとにどんどん文量が増えてきて、我ながら本当にカムカム、というか藤本脚本が好きすぎるな…と再確認する6週間でした。
来年もぼちぼち楽しく2周目の感慨をかみ締めていきたいです。

