カムカム再放送第5週
2024/12/21(Sat)22:02

カムカムエヴリバディ第5週「1946-1948」

#021 12月16日(月)

 

・第12回に続く、ド正論紳士千吉回。
るいを置いて雉真を出て再婚しろという、当時としては極めて常識的な意見を理詰めで安子に迫る千吉。その物言いはあくまでも優しく、自分の妻を「正気を失うた」状態だと認めて嫁の安子を思いやる気遣いに偽りはないからこそ、安子を追い詰めていく正論ブルドーザーなんですよねえ…。
決して憎まれ役ではない、ただその時代ごく普通に存在したろう家長として描出される千吉の人となりが、改めて絶妙。(るい編で回想される祖父としての顔も含めて)

・そして、この穏やかに粛々と穴を埋めていく敏腕経営者家長の千吉だからこそ、美都里はお嬢さん然とした線の細さのまま、狭い世界で息子に溺愛を向ける奥様でいられた(もしくはいさせられた)のだともよく分かる。
だっていかにも千吉さん、”内助の功”など必要なく、自分ひとりの剛腕で雉真繊維を大きくし、戦中戦後の混乱だってうまく切り抜けていける人ですもの。

・第16回、美都里がラジオに向かい叫ぶ「鬼畜米英」が、恐らくその意味を深く認識してるわけでなく、ただ息子2人と引き離された怒りや理不尽を表現するのにその言葉しか知らなかったように、今日の回で美都里が安子を「疫病神」と罵るのも、稔の死という受け入れ難い現実に対し、何をどう怒ったらいいか分からない人の当たり散らし方だなあと。

・この回、改めて見ると、先週から千吉はもう国民服を脱いでスーツだし、勇ちゃんも学生らしい洋装なんですよね。あさりの味噌汁を作れるほど食材も戻ってきている。美都里さんにしてみれば、稔がいないのに男たちは勝手にどんどん稔がいた頃と同じ生活に戻り、自分だけ置いていかれている。その苛立ちをぶつけるのに、「鬼畜米英」という分かりやすい対象は敗戦で雲散霧消してしまった今、「戦争」というもっと大きな背景概念を認識もできず、手近で具体的な安子という目の前の”異物”に八つ当たりするしかないことに、美都里さんが生きる世界の狭さと哀しさが現れている。

・2周目で見ると、やはりこのあたりの美都里さんは、後に英語という怒りの表現手段で爆発できた安子との対比だなあ。

・徹底して、我が子と自分の心地よい生活にしか関心のない可愛らしい奥様として描かれてきたこの美都里さんの気質が、第15回で稔の結婚を許すとき、稔が死んで病んでしまうときとで裏表に作用するのが、ああ人間だなあと思うし、この後の算太帰還回、雪衣さんが奥様に同情して安子に悪印象を持つ流れとで生きてくるのもまた。

・そして、そんな千吉と美都里の言葉どちらにも即座に抵抗する安子は、やはり、ただ気立てのいいお嫁さんなどでなく、「ひなたの道」へ歩こうとする意志を持つ人だと思うのです。それがこの時代を生きる(そして元々はこの時代の”普通”を望んでいた)安子にとって、幸いなのか不幸なのかは分かりませんが。

・それにしても、夜中に寝間着姿のところで部屋に訪ねてこられても、正面に座って急に手をつかんでも、安子に何の警戒心も抱かれてない勇ちゃん、幼馴染としての信頼というだけでなく、本当に「稔さんの妻」として義弟だと見られているんだな…。いや、この時点では勇ちゃんも、稔の写真に向き合ってから安子に話してるので、純粋に兄さんの妻としての安子を守りたい一心だから、いいんでしょうけど。



#022 12月17日(火)

 

・安子を雉真から出す勇ちゃんの侠気に本放送のときと同じく深く感じ入るものの、と同時に千吉の「無茶させたもんじゃ」にもまた頷けてしまうのが難しい。
惚れた女の生き抜く強さを信じて送り出すはいいとしても、金だけ渡して具体的に住むところや暮らしの手段をどうするかは丸投げなあたり、やはりこの時点の勇ちゃんは、自分でも「野球しか能がない」言っているとおり、野球以外の勉強はしなくても良しとされてきた次男坊で、稔さんと違う意味でまだお坊ちゃんなんだよなあ。
とはいえ、この勇ちゃんと安子の若い向こう見ずな思い切りがなければ、いつか安子が千吉の正論に押し切られていただろうことも事実で。

・この週からだんだん顕著になるんですが、ふんわり愛され王道(ゆえに受け身がち)ヒロインに見えていた安子が、ここから、稔さんの妻であることも、るいの母であることも、稔さんとの絆である英語も、橘家から継いだ甘い菓子作りも、そして大阪生活で新たに覚える女手ひとつで自活する手応えも、すべて何一つ手放そうとしない意外な頑固さを見せていくんですよね。
それは当時の常識として(もしかしたら共感を得るべき物語のヒロインとしても)、決して「こうあるべき」ではないし正しくもないんでしょうけど、ここからの安子も私はとても好きだ。

・おぐら荘のくまさん、事情は詳しく聴かずにガス水道の通った物置を提供してくれるのは、最大級のやさしさだなあ。鈴木くんの話をべらべらしゃべる口調にも、元下宿人たちのその後を案じる大家さんの情が見える。

・とはいえ、ここで最初に「誰も助けてくれへんで?」と言われたことが、今週後半に安子がムキになったとき誰にも頼らず無理してしまう布石の一つだったのかもしれない。

・芋飴売りターンの厳しさは、大阪闇市のガラの悪さというより、岡山で金太と一時だけ再建たちばなでおはぎを売ったあの経験も、店を構えて横に成人男性という暴力への抑止力があってこそ「甘いものは人を笑顔にする」が可能だったのだと、その現実を突き付けてくる厳しさでもある。

・戦争で家族を全員亡くし、夫は戦死。でも娘のため生きていかなければならない。「もっとええ商売紹介したるで」の先が何なのか、『べっぴんさん』悦子様の言う「ここに来るのは最後の最後」で朝ドラ民は見ているんだよなあ。
…と考えると、2016年に朝ドラ見ながら、安子のIFルートを思い描き、うわーんおばあちゃん一時でもお菓子屋さんうまくいってよかった~と涙ぐみ、その後の悦子様の展開に盛り上がるひなたとジョーさんが目に浮かぶ2周目。

・朝ドラおなじみ戦後の闇市風景を見るたび、そこにかつての母と自分を見て思い出を足していく るいもいたかもしれない。

・身も心のボロボロの状態で逃げた先、路地裏でふと耳に入ってきたのが幼いころの幸せな記憶とつながる「カムカム英語」という出会い方。『ちりとてちん』で自己嫌悪感にまみれた喜代美が走って逃げた先で聞こえてきたのが、大好きなおじいちゃんとの思い出につながる草若師匠の『愛宕山』だったという導かれ方のような温かさで。
やはり『カムカム』のラジオ英語講座は、立ち位置として『ちりとてちん』の落語とよく似ている。



#023 12月18日(水)

 

・くまさんが「誰も助けてくれへんで」と言った翌日に、安子と小川さんが出会う回の放送。3世代を駆け抜ける『カムカム』ならではの展開速さに、安子だけでなく見ているこちらも救われる。

・朝ドラ・スターシステム的に見れば、小川さんは『てるてる家族』あの照子さんの娘な春子お姉ちゃんだし、『スカーレット』で喜美子に注文してくれた橘さんなので、そりゃ女ひとり寒空に赤子背負って芋飴売り歩いてる安子にも気遣いしてくれるよな…とひと目で安心信頼できるキャスティングなんですよ。

・安子の心をふわり温かくした『英語会話』講座。心弾むその音楽と声が道端から塀越しにでも「驚いたことにほとんどの家から」聞こえてくる情景は、どこか不思議でおとぎ話めいてもいるけど、少しずつ上向き始めた安子の商売とのシンクロとして分かりやすい象徴だし、そして2周目だと、このナレーションを書いた ひなたが同じラジオ講座担当の後輩として、当時確かに大勢の人たちを惹きつけた先達 平川先生へ捧げる敬意にも聞こえるのです。

・金太が戦時中の材料不足でも試みていた甘さの工夫。ひさや小しずに習っていた裁縫。引き寄せられるように聞き入った英語講座。そしてラジオを無断で聴いたことを詫び、咄嗟に商品の芋飴をお礼として手渡す倫理観。
安子が今まで橘家で学んだものや稔さんから受け取ったものが、ちゃんとここで小川さん経由で次の商売へつながっていく流れが、とても優しくホッとする。

・46年時点で夫はサラリーマンとして勤めている、当時でいえば中の上ぐらいだろう小川さん。子供たちへの教育もよく目配りしているので、小川さん自身も女学校ぐらいは出ている人かもしれないなあ。
安子への気遣いは、赤子を背負って芋飴を売り歩く若い母親への人情深さだけでなく、英語は亡くなった夫との思い出なのだという安子の語り口と向学心にも信頼を置けたのかもしれない。

・しかし、この回で睡眠と食事を削った末に一度倒れた安子を見ると、体力は標準ぐらいというか、もともとそんな頑丈なほうではないのだと、ここの時点でしっかり描かれていたんだなあ…と。
今ちょうど同時再放送で『カーネーション』糸子の痛快なパワフルさを眩しく見ているので、朝ドラヒロインがやりたい道で生き抜くに必要なのは、才能とか環境とか運とか人脈も大事だけど、それ以上にとにかく体力、体力、体力なのでは…??と改めて思えてならない。

・平川先生が、赤ちゃんが言葉を覚えるように英語を学びましょうと朗らかに呼びかけた回で、よく喋る子役るいちゃんが「カムカムエヴリバディ」と初めて言葉を発する。この寓話的な終わり方も、『カムカム』らしくてとても好き。

・安子が店先のラジオに聞き入るシーン。後ろの壁に貼られた大きな看板「ワカヤ学生服」を見ると、このあたりでは学生服として雉真はまださほど販路を開拓してないってことなんだろうなあ。
安子にとっては、稔さんが住んでいた場所であり、まだ雉真の手は及ばないだろうと思える場所。それが今の大阪。


#024 12月19日(木)

 

・「あったかもしれない、だけどもう決して手に入らないもう一つの未来」というシチュエーションにとても弱いので、今日の回はもうだめです。

・平川先生が英語講座に親しみを持たせるため例文にした「日本人のありふれた日常」が、そのまま安子の「手に入れることのできなかった家庭」として突き刺さってくる切ない構成が巧すぎるし、また後々、京都編で小学生ひなたの一見軽いグータラ夏休み回が、実は母安子の手に入れられなかった「ありふれた日常」を るいが家族と生きている回なのだと気付いたとき、ああ……となったんですよ。
そして2周目で見ると、手に入らなかった「ありふれた日常」を夢見る安子の回も、京都編でありふれた「日本の夏」を生活する大月一家の回も、ひなたがテキストを書いていることに、より胸が熱くなる。

・昨日の回で、小川さんという地獄で仏な人を得て浮上のきっかけを得たものの、今日の回で、住吉まで配達する間もご近所さんか誰かにるいを預けておけない安子を見ていると、どうしても一人で責任を抱え込んじゃうタイプなんだよなあ…と、じわじわ納得できてしまう。そして明日の回か……。

・それでもやはり、たとえ2周目でこの後の展開を知っているとしても、安子がるいとリヤカーつき自転車で河原を走るこのシーンは大好きなのです。自分の手で菓子をつくって生き、自分の足でどこまでも行ける充足感。
顔を上げてこぎ続けとったら、ひなたの道を前へ進める。

・小豆を炊く匂いで目が覚める幼いるい。小さな店で母と営む商い。たった1回でも、この回の母子が本当に幸せに描かれているので、るいが後々まで母のことで戸惑い葛藤するほど刻み込まれた甘やかな記憶として、十分なんですよね…。

 



 

#025 12月19日(金)

 

・千吉さんの理詰め説得。改めて見るとこれ、稔の戦死で安子に再婚を勧めたときと同じ…というより、むしろ第12回で稔さんを叱り飛ばしたときと同じ構図だったことに気づく。
一間しかない小屋に住み、薄利多売のおはぎで何とか糊口をしのいでいるらしき安子が「ここで るいと生きさせてください」と言い張るのは、千吉にしてみれば、あのとき雉真を捨て家を出ると言い張った稔のように無謀な世間知らずにしか見えないでしょうし、そりゃ稔に対してと同じく(しかも今は可愛い孫の生活もかかっているので余計に)叱りつけたくもなるでしょう。
とはいえ、あのとき何の実績もなく言い返せなかった稔とは違い、今の安子には安子なりの、ここまで何とか生き抜いてきた誇りが少なからずあるわけで。つらい。

・そして千吉は恐らく、あの時代の(比較的紳士的かつ穏健でも)男性としては当然の価値観として、まさか女の内側にそういう矜持や誇りが発生し得ることなど想像もしてないんだろうな…と、雉真家での美都里さんの立ち位置を見ていると腑に落ちてしまう部分がある。
まして、「気立ての良さ」も評価して息子の嫁に選んだ安子が、それを持って自分の真っ当な判断にたてつくことなど。

・それにしても千吉さん、第12回の「お前の惚れたおなごを どねんして食わしていくつもりじゃ」といい、今日の回で雉真の子にふさわしい教育は「ここじゃあ 叶わんじゃろ」と去り際に言い残していくのといい、相手の心の奥底というか尊厳を的確にグサリ突き刺す致命的一言を放つのが巧すぎるんですよ。さすが一代で成り上がった敏腕経営者。これ絶対、商売上でも使いこなしてるでしょ…。

・稔と安子の結婚がめでたく叶ったときは、あっぱれナイスプレーと見えた千吉の独断即決ワンマン経営者マインドが、戦後編からじわじわと違う側面も見せてくるのが、また藤本脚本らしいなあ。勇ちゃんのどこまでも「弟」な気質も、同じく。

・「馬鹿にせられな!」の怒り。帰ってきた るいの傷を見て自責に崩れ落ちる涙。そばに懐かしい勇ちゃんがいるせいもあってか、ここで安子が示す一連の感情表現が、岡山にいたときよりも一段経験と歳を重ねた人のそれになっているのが分かり、上白石さんの経年変化演技にグッとくる。 
本当に安子、見返せば見返すほど難しい役だった……。

・勇ちゃんの言うとおり「みんなで るいを守るんじゃ」は全員心から一致しているのに、何が るいのためかで解釈不一致があり、しかもそこに芽生え始めた安子の自我も絡んでくるので、とても苦しく複雑になっていくこの時期の安子を演じきった上白石さんは、本当に凄かった。

・安子が目覚めたとき左腕は応急処置されているので、恐らく気絶した安子ごと千吉と勇が手近な医者に診てもらったのだろうことは推察できるんですが、そこから骨折した安子は家に戻して勇に任せ、るいだけわざわざ大きな病院に連れていく千吉の選別自体に、いかにも千吉らしい心配と圧が現れているんですよね。
言い換えれば、どうせ雉真家に2人とも戻すのだから、安子が菓子を作り自活するための生命線と言うべき左手よりも、将来雉真のおなごとして嫁に出す るいの額についた傷のほうが、よっぽど大きな病院に診せるべき大事なのだという、無言の圧。

・本放送のときの感想再掲。

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2周目で見ても、この時代のあくまで標準的な、決して突出したおなごではない安子が、たとえ一時でも たちばなの菓子をつくり るいと暮らせる充足感を知ってしまったことは、幸せだったのか不幸だったのか考えてしまう。
それでも一旦知ってしまったならやはり、来週以降のあの展開、そしてアニーがラジオで告白したとおり「義父の財力に頼りたくなかった」を突き進むのは安子自身にも止められなかったのだろうと改めて思うのです。
在るべき正しい形も、観る側の共感を得られやすい姿も吹き飛ばし、登場人物たちのそう生きるしかない業のようなものをゴロンと剥き出しにしてくるのもまた藤本脚本の醍醐味ですから。

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