光る君へ第48回/最終回感想
2024/12/19(Thu)23:10

・ああ楽しかったーーー!と素直に満足できる。そんな1年の終わりに、まずは感謝。


・前回ドキドキの「つづく」から今回始まった倫子さまと まひろの対峙。
面白いのは、正妻として精いっぱいの余裕と懐深さで「殿の妾」という提案をした倫子さまにしてみれば、まさか想定キャパをはるかに越える まひろの半生を聞くとは思ってなかったろうズレはもちろん、その「逃げた鳥を追いかけて邸を出た先で身分を偽った三郎に会った」も「道兼に母を殺された」も「殺された散楽者を2人で葬る」も、全て『光る君へ』ならではの強烈な創作なんですよね。身分や外出に関する倫子様の常識的疑問は、そのまま”史実”からのカウンター。
つまりこの対話、道長をめぐる倫子と まひろの最終対決という以上に、『光る君へ』がどんなフィクション、物語だったかの総括にもなっているわけで。
物語を創るとは、読むとは何かをずっと描いてきた作品、「物語の先に」と題した最終回にふさわしい幕開けでした。


・思えばこの作品の制作発表がされた当初から、史実上「紫式部」として知られる女性は「まひろ」という名で呼ばれ、道長との関係は「ソウルメイト」だと宣伝されていました。
なので最初から、この物語はあくまでフィクション、という風呂敷の広げ方が例年の大河よりも強く感じられ、だから第1話からいきなり「左大臣家の次男が下級貴族の女を自ら殺す」なんて衝撃度高いハードルも意外とあっさり越えられたのかもしれません。
公任の「このわたりに若紫やさぶらふ」エピを使ったのに、作中で「紫式部」と呼ばれることが一度も出なかったのも、これは紫式部の伝記ドラマでなくフィクションなのだという線引きの意思表示だったのかもしれず。

・もちろん毎年どの作品も、あくまでこれは大河【ドラマ】だと冠していますけど、解説だけでなくツッコミ(時にはストーリー文脈を無視した揚げ足取りにもなり得る)もすぐに飛んでくるSNS時代のせいか、いかに”史実”、もしくは最新学説とされるものに則っているかを押し出すかも宣伝戦略のうちになっているのを感じる昨今、ここまできっぱり、”史実”を土台にしたフィクションです!これがうちの道長です!うちの紫式部≒まひろです!と堂々押し切っていったのは、まこと潔かったなあと。
最初に打ち出した大ボラ「まひろと道長はソウルメイト」設定をちゃんと魅力的な大ボラのまま最後まで物語の芯として貫き通し、広げた大風呂敷の辻褄を責任もってキレイに畳んだところまで含めて。

・無論、その自由な展開がただ野放図な”ファンタジー”にならないよう地に足をつなぎとめるには、美術やセットに衣装、要所要所で顔を出すその時代ならではの価値観や風俗が、贅沢な厚みで造りこまれているから可能だったわけで、そこは大河ドラマだからできる考証の手間暇だったと思います。
細部の”らしさ”を積み重ねてこそ つける大きな嘘。

・「清少納言と並んで一条天皇と定子に拝謁・進講する出仕前の紫式部」も、「解放された心で朗らかに須磨の海を駆け抜ける紫式部」も、「紫式部本人に源氏物語解釈を熱くオタ語りする藤原孝標女」も、「縁側で好き勝手ずけずけ語り笑い合う老境の清少納言と紫式部」も、そんな振り切れたフィクションならではの痛快な大ボラだったなあ。これだけでも、今年の大河を見てきて良かったと思えた画。


・そんな『光る君へ』という作品の在り様そのものが、作中で語られる物語=創作の在り様そのものと合致していたことも、今年1年見ていて、個人的に特に心地よかった点なのです。
書物からの学びも人生経験も全て「物語の種」と捉え、創作というフィルターで濾すことで、喜びも哀しみも「真のことかどうかも分からない」「霧のかなた」へ一旦客観化される、物語を創るという営み。読んだ人それぞれが、自分の内側にある「物語の種」と照らし合わせ自由に解釈するから、時には気ままに楽しみ、時には人生さえ変えていく中、物語そのものも豊かに育っていく多様な受容の在り方。そして、全てを「お読みになる方次第」だと受け止める物語作家としての まひろの姿勢。
まひろがいよいよ物語を書き始め世に出てきた中盤から、作中で描かれるこの創作と受容の在り方が、感想記事でも何度か書いたように本当に好きでして。1年終わって振り返ると、これがそのまま『光る君へ』という作品のカラーそのものだったことにも改めて感じ入っています。


・だから最終回、この作品の締めくくりは「物語とは何か」へ向かって収斂していく。
倫子の許しを得て、道長と対面する まひろ。2人で過ごす最期の日々。そこで交わされるのが、ただ運命の元恋人同士が結ばれなかった人生を振り返るしみじみした感慨でなく、たった一人のため紡ぐ物語と「続きはまた明日」で灯される命の残り火という創作と受容の小さなやり取りで、それこそが最大級の愛の表現になるのが『光る君へ』らしい終着点だったと思うのです。
栄華を極めた男の命をつなぎとめる最後の糸が、物語の「続きはまた明日」という原初的な欲求なんですから。

・貧しく、兄たちは家を出て、母と二人で暮らす三郎の物語。もしかしたらそれは、ぼんやり三男坊だった道長の「こうであったら」願望だったかもしれず。
道長の栄華を書く仕事を断った まひろがこれを語るのが滋味深いし、また彼女ならば、ストレートに道長自身を書くとすれば、この形でしかできなかったろうとも思うんですよね。倫子の忠臣・赤染衛門が書いて倫子側からの正史として長く残る『栄花物語』とは違い、まひろと三郎だけに通じる、書き留められない刹那の口伝物語。

だから、この「あったかもしれない」三郎の物語は、道長だけでなく まひろにとっても、河原で会ったあの日からの人生を物語の内側へ落とし込み折り畳んでいく必要なプロセスだったはずで。寧子(藤原道綱母)が書くことで己の辛い妾人生を救ったように。ききょう(清少納言)が書くことで願いどおり定子様の光だけをこの世にとどめたように。


・ききょうが自負したとおり、物語は人を動かし、政さえ動かす。まひろが言うとおり、物語は米や水と同じく人間に欠かせない。「続きはまた明日」で繋がれる命が提示する、物語を読むことの原初的な喜び。
その一方で、物語の影響力がかすりもしない政局は当然あるし、物語が取りこぼす影はあるし、「続きはまた明日」で永遠に命を繋ぎ止められるわけでも当然ない。
武者たちに馬で追い越され、まひろが「嵐が来るわ」と予感する先にあるのは、容赦のない時代の流れと現実。

それでも、きっとこれからも人は物語を書き、読み、「続きはまた明日」と待ち続けるのでしょう。嵐のような時代の中でも変わらず。
第1回冒頭で晴明が、今宵から都に凶事が起き始めると予告し、幕開けとして大雨を言い当てた、その「凶事」が続いていく中でも、まひろの物語が道長にとって光になったように。


・『光る君へ』というドラマは、決して紫式部と周辺の”史実”に忠実な評伝ドラマではなかったけれど、千年前に描かれた書物がなぜ現代まで読み継がれているのか、そもそもなぜ人は物語を読むのか、という根本的なテーマへ自然と思いを馳せられる造りになっていた点では、まさに念願の文化大河として見たかったものが見られた大満足の1年でした。
1年間楽しかった。もう一言で、それだけ。


 

・そして『平清盛』好きとしては、中島Dチーフ演出で平安時代を見られたことも非常に感慨深い1年でして。
ARTBOOKに載っていたスタッフ会議のホワイトボードでも、『平清盛』との演出対比を思わせる言葉が描かれていて、逆に言えば『平清盛』もしっかり土台の一部として生かされた大河だったんじゃないかなあと。
いろいろ説明しなくても、まひろの一言「嵐が来るわ」だけで、視聴者は自然と『平清盛』『鎌倉殿の13人』他を思い浮かべ、『光る君へ』全話自体が大きな時代の流れの中にピースの一つとして収まる象徴的な終わり方は、大河枠だからこそできる終わり方だったとも言える。枠へのほのかな敬意が感じられ、とても好きな、閉じない閉じ方。

・今回かなり美術関係も新規に作ったものが多いようなので、また平安中期をやる機会があるといいなあ。というか、初の平安中期、しかも文化テーマでここまでグイグイ1年間引っ張れたのだから、取り上げる時代や人物ももっとカラーが増えていくきっかけになるといいですね。
大河枠でとにかく私が期待しているのは、いわゆる重厚な「大河らしさ」というより、大河枠だから可能な予算と考証の潤沢さをベースに、1年間の長尺でどんなダイナミックで面白い物語を見せてもらえるかということですから。

・考証の倉本先生がインタビューで、政治パートより恋愛パートが目立ってウケていたと学者側としては当然の愚痴を少々こぼされてたのは、まあ分かるものの、特に序盤の兼家がのし上がっていくあたりは大石さんもかなりノって政治パートを書いていたように思うんですよね。恋愛パートも文芸パートも、そこだけ独立では存在できない政の一部だと接続して書かれ、その時点時点の微妙なゲームバランスもストーリーの一部にちゃんと組み込まれていたと思うので、この点でも、今後もっと書き込んだ複雑な政治劇を大河でもやれるんじゃないかと希望が持てました。
陰陽や呪いを迷信や盲信としてでなくその時代なりの合理性ある決定要因として描いたり、記録が尊重される様子をじっくり映したり、時代の風俗や価値観の見せ方も好きだった。

 



・双寿丸が向かう東国での戦は、恐らく平忠常の乱でしょうか。
乱の首謀者平忠常も、最初の追討使になった平直方も、最終的に乱を終えさせた源頼信も、道長世代・その子世代と主従関係・利害関係が入り組んでいて面白く、またここから河内源氏の坂東進出が本格化していく点では『平清盛』『鎌倉殿』にもつながっていくので、いつかまた平安中期大河をやるとき、この平安武者たちに改めてスポットを当てた内容を令和大河の映像で見てみたいなあ。そんな願望も芽生えている2024年の終わり。

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