カムカム再放送第4週
2024/12/14(Sat)00:27

カムカムエヴリバディ第4週「1943-1945」

#016 12月9日(月)

 

・るい誕生回。この後、やがて安子と雉真家との間に生じる亀裂を思うと今から胸が痛いですが、このとき、るいが皆々に祝福され生まれてきたことだけは確かだったとこの先も信じられる、名付けシーンの多幸感、そして安子が万感の想いを込めて「るい」と呼ぶ声の美しさよ。

・本放送のとき、制作発表当初から二代目ヒロインの名が「るい」だとは分かっていたので、その名の由来、つまり安子が結婚する相手は、「ルイ」アームストロングを愛する稔か、「塁」を守る野球の勇ちゃんか…と予想が揺れるのが楽しかったんですよね。
そうしたら、本当の由来「ルイ」を安子と稔しか知らないし明かせない切なさと、たとえ勘違いでも「皆で塁=るいを守る」と解釈する野球バカな弟の明るいファインプレーとで、その予想両方を成立させたのが、お見事で。
ここに限らず『カムカム』は、作中と宣伝との情報の出し方というか、予想と期待を誘導する動線の引き方が物語として心地よかったなあと思う。

・勉強でも恋愛でも全てにおいて勝てなかった兄が残していった名付け「るい」に対し、それを唯一自分が兄に勝てるものと思い詰めていた野球に関わる名前だと心から信じきれる勇ちゃん。やはり兄さんのことは素直に大好きだし、自分も兄に大切に思われてる自信ありな次男坊なんだなと微笑ましくなる。
もし兄へのコンプレックスを面倒くさく拗らせていたら、いくら野球バカとはいえ、兄が野球由来の名前をつけたのだと、あんなあっけらかんと言えないですよ。

・そして、さりげないところなんですけど、義姉になった安子が湯呑みを運ぶのを「そねんこたあ、タミさん(=女中)にさせりゃあええ」と言うあたり、いかにも戦前育ちのお坊ちゃんが時代として当たり前に抱く「女中さん」への意識が表れていて、戦後に雪衣さんと軽率にああなる下地も思うわけです。

・藤本脚本、割と坊ちゃん育ちキャラの描き方に愛情もあるけど容赦もない。(好き)

・第1回で、たちばなの皆が初めてラジオを聞いて便利じゃなあと感動していた天気予報は、機密情報扱いでラジオ放送からなくなり、安子と稔が文通していた期間に商店街の正月餅つきが華やかに開かれていた広場は、婦人会の竹槍制作の場になっている。たった4週の間に描かれるから、より鮮やかに刺さってくる落差。

・2周目で少し印象が変わったのは、美都里さんがラジオに「鬼畜米英」と叫ぶシーン。
この後、稔さんの戦死という理不尽に接しても「意地悪せんで」という幼い言葉しか発せなかった(知らなかった)ときの安子のように、このときの美都里さんも、息子2人を遠い戦地へ行かされる嘆きや憤りを表すのに、どこかから借りてきた「鬼畜米英!」という言葉しか持ち得なかったんだろうなあと。恐らく美都里さん、開戦前まで普通に息子も言葉を学んでいた「米英」をあえて「鬼畜」と呼ぶことの意味もこの時点ではそこまで深く考えず、ただ発作的な怒りを表す定型句として言ってますよね。(まあ当時の大半の日本人がそうだったかもしれないけど)
そして、安子がやがて矛盾と向き合い葛藤しながらも英語という表現手段を獲得し「Why?」と怒りを表現できたのとは対照的に、美都里さんはずっとそれを得られないままの人だったとも思うのです。

・それはそれとして、本放送でこの回の日、ちりとて以来の相互さんが、二「塁」さん藤本ワールドに爆誕おめでとう!と言ってくださったのが、偶然の言葉遊びですけど今でもふふっと笑えるので、ここに思い出し記録しておきます。


 

#017 12月10日(火)

 

・安子の里帰り。たちばなのがらんとした店先が、それでも第5回冒頭で丹原さんが几帳面にケースを拭いていた頃と同じ小ざっぱりとした様子で、それが余計にもの悲しさと、休業してなお健在な橘家の「手堅い」性分を感じさせる。

・「こんなときだからこそ」るいの誕生が周囲の皆にとって祝福だったように、19年前の安子誕生もまた甘いあんこの香りという祝福に包まれたものだったと、ここで知らされることの意味ですよ。この回の後半で小しずさんもひささんも亡くなると分かっている2周目だと余計に、安子が今ここでそれを聞けていたことが、後々どれほど彼女の芯に温かさを灯し続けたろうかと。

・たちばなのあんこの匂いに包まれて生まれた安子。
たちばなの原点ひささんのお汁粉を実は食べていた るい。
どちらも「美味しゅうなれ」の祝福を受けている子供たち。
こういうところが、藤本脚本の物語的というか、神話的な構造だなあと思う。

・妹の誕生を賭けにする算太のどうしようもない悪たれぶりも、あかにし吉兵衛のケチっぷりも、それは平和な時だからこそ笑いになるんですよねえと、つくづく。
やはり何度も書いているように算太は落語で、彼の存在と業が許容されるかどうかが、あの世界のリトマス紙だ。

・吉兵衛さんの姓「赤螺」が明らかに落語由来であるように、算太の名前も「算段の平兵衛」由来じゃないかは、本放送のときからずっと唱えている説。
『ちりとてちん』で四草が「僕は平兵衛のような男になりたい。卑劣な算段をして、それでも悪びれることなく軽やかに生きていこう」と憧れた、うまく算段をして金を巻き上げては、しかし時々失敗するどうしようもない男。

・第3週で一度、庭の紫陽花が畑になる=四季さえ戦争に塗りつぶされる描写を見せておいて、ここで再び、失われたと思っていた満開の美しい紫陽花、そこに空襲からの煤けた雨が降り注ぎ染まっていくカットをアップで入れてくる十数秒に、慄くんですよ…。そこから、朝日にきらめく旭川へつながるカット。光と色のコントロールで無常さを突きつけてくる、もじり演出。

・そしてこの回はラスト、金太を演じる甲本さんの慟哭でもう何も言えなくなる。
何もかも削げ落ちたように虚ろな「ぼーくーごぉー…」の言い方、内臓から絞り出すような泣き声で、金太が防空壕”だった”場所で何を見たのか、直接の台詞や映像はなくとも分かってしまう、凄まじさ。
ああ、明日明後日は、いよいよあの回か…。
 


 

#018 12月11日(水)

 

・昨日の第17回ラストから明日の第19回までは、まさに甲本さん金太劇場とも言うべき3回なので、こちらも心して見なければならない。正座。

・特に今日の回の金太さん、長く臥せっていて体の内側から活力がごっそり抜け落ちてしまっている人の輪郭になっていて、その身体性のリアリティぃぃ……と演技力にぞっとするんですよ。

・ラジオを画面真ん中に主役として大きく配置し、その正面背後から食卓に座る家族を映す構図。
橘家の朗らかな団らんで何度も描かれてきたこの同じ構図が、玉音放送を神妙に聴く雉真家で繰り返されるとき、まるでラジオの真っ黒な影が、千吉・美都里と、るいを抱く安子とを分断するかのような不気味な構図になっているんですよね。
この反復とズレが生み出す象徴的なイメージをロジック的に仕掛けてくるところも、もじり演出の好きなところ。

・つい先週の回で、同じく堅実な商いを営む同士で通じ合った千吉と金太だけに、その2人が玉音放送を聞いた後、片や店も妻も母も空襲で失い心が壊れて泣き伏すしかない金太、片や家も商売も無事で「ちょっとずつ元の生活に戻りゃあええが」と言える千吉という、その差がきっぱりと残酷なんである。

・現行朝ドラの『おむすび』がちょうど、大震災という同じ局面に対しても、受ける被害や「心の復興」の速度は本当に人それぞれである現実を掘り下げて描いているので、雉真家と橘家、そして橘家の中ですら安子と金太との間にすれ違いが起きてしまうこの描写が、改めて響く。

・金太の介護、そこから派生したあんこ炊きの研究。
本放送のとき、この回の後半、美都里さんがるいの世話を買ってから、安子とるいが一緒のカットがほぼなく、間に無言で「夜は美都里さんが寝かしつけてるるい」が一瞬映るのが不穏で怖いな……と思っていたのですが、その小さな引っ掛かりが本当に安子編後半で返ってきたので、藤本脚本んんんん……!!と叫んだ。
時代性や美都里さんの溺愛を別にしても、このあたりから「るいは雉真の子」意識が着々と積み重ねられているんですね…。

・それでも、このとき金太さんだけでなく安子にとっても、あんこを上手に炊くことは何より必要だったのだろうと思えてならない。「甘えあんこの香り」に包まれて産まれた幸せな子なんだもの。

・このとき安子が何度か失敗したあんこ炊きを、後に るいは比較的スムーズに再現できたのは、肝心の砂糖という材料の有無(敗戦直後と60年代との経済格差)はもちろんですけど、女の子は工場に入るなと言われ父の背中だけ見て(=鍋の中は見えない)育った安子と、幼かったとはいえ母安子のそばで毎日小豆を煮る鍋を見て育った るいとの差が、確実に大きかったのではと思う2周目。

・配給の砂糖をちょっとずつヘソクリしていた金太さん。何か肝心のときのために小豆を分けてもらってきていた小しずさんと、やはり仲の良い夫婦だったのだなあと切なくも温かい気持ちになる、泥にまみれた宝物の缶。

・田辺聖子先生や手塚先生など、戦中・終戦直後の飢餓を経験した世代が後に、甘味へのうっとりと狂おしいような記憶を書いているものを思い出すと、金太さんが砂糖を抱きしめるくしゃくしゃの顔が一層胸に迫るんですよね。
手塚先生が、冒険連載マンガで夢のような「砂糖の滝」に出会った主人公の少年に「お砂糖なんて食べられるのは来年からだと思ってた」と言わせたのは、1946年後半。


 

#019 12月12日(木)

 

・月並みな言い方ながら、短編映画のようと形容したくなる回が多い『カムカム』の中でも、今日のこの第19回は出色の回なんですよね。正座で泣く。本放送のときと同じく泣く。

・夜中なのに小豆を炊いている金太。あの少年の声がしたのに入ってきたのは戦地帰りの算太。少年に渡したはずのおはぎをなぜか算太が売ってきたと言い、金持ちの紳士淑女がぎょうさんおる街の話をする。バラックに突如現れるラジオと、流れるエンタツ・アチャコの漫才。
小さな違和感が確かにあるのに、相変わらずな算太の悪たれぶりと、やっと「わし待ちょったんじゃ」と息子へ素直になれた金太との語らいに聞き入ってしまううち、虚と実の境目が曖昧になり、そしてラスト十数秒、あのナレーションの一文でストンと全ての意味が腑に落ちる。演技演出ナレのタイミング何もかもが精緻に噛み合って昇華されるような、金太さん鎮魂の回。

・落語に出てくる地獄が陽気で楽しいのは、そうとでも考えなければ昔の人も「死」の恐ろしさに耐えられなかったからだ、と『ちりとてちん』で草若師匠がポツリつぶやいたように。
『ちかえもん』で近松ちかえもんが、現実のやりきれない死を虚実皮膜の人形浄瑠璃に仕立て上げずにはいられなかったように。
藤本さんはいつだって、嘘とホンマの境目にこそ優しさ美しさが宿るものとして描くんですよ。それは逆に言えば、優しく美しい”嘘”でくるまなければ、きっと押し潰されてしまいそうな”ホンマ”をも描こうとするからで。

・第1~2週の頃、ラジオからの落語『まんじゅうこわい』に家族じゅうで一番大笑いしていたり、算太を叱りながら彼のエンタツアチャコ漫才言い換えには吹き出したり、真面目一徹職人でありつつ、実はかなりのゲラでもあったんだよなあ、金太さん。
算太がやらかすその悪さを許すことはできなくても、「軍隊じゃねえんじゃから足並みそろえんでも」と言いのける算太が人を笑わせるときのセンスは、きっと好きだったんじゃなかろうか。

・このラスト5分、第17回からの金太劇場締めくくりとして甲本さんの演技が素晴らしいのはもちろん、生身なのか幻なのか、どちらとも取れる奇妙な浮遊感を漂わせながら、御婦人から金を掠め取った話を落語のように見事なひとり語りで引き込む濱田岳さんの演技も凄まじいんですよねえ…。名優2人のぶつかり合いが成立させた虚実皮膜のあわい。

・2周目で見ると、後に帰還した算太が面白おかしく語った、ジャングルで彷徨ったときに おはぎの幻を見たホラ話も、もしかしたらこの金太さんの夢と同じときだった可能性もあるのでは。とすら思える藤本脚本の神話性。

・11月に放送された甲本さんのインタビュー。NHKサイトの文字版だともう少し詳しくて、三谷さんが朝ドラの演技で涙ぐみ、わざわざ甲本さんに「素晴らしかった!金太」とメール送ってきたエピソードが、とても印象的で。恐らくこの第19回のことだったのではと。
ちなみに三谷さん、2022年元旦のラジオ深夜便で、『鎌倉殿』脚本執筆に行き詰まり街を徘徊して喫茶店に飛び込んだら、そこに偶然『カムカム』執筆中の藤本有紀さんがいらして、執筆遅い同士エールを送りあった…という、視聴者からしたら何ですかその惑星直列みたいな奇跡という話を披露されてるんですよね。それは本放送時の第19回(2021年11月25日)の前後だったんだろうかと、ちょっと気になっている。

・金太の夢の場面で、前半の様々な苦労を越えた現実の雉真安子でなく、実家でひささんの汁粉を無邪気に食べてた頃の橘安子の顔になっている、上白石さんの演じ分けもさりげなくすごい。

・安子にとって数々の「戦争さえなければ」の一方で、「戦争があったから」叶った稔さんとの結婚、そして金太に教えてもらうあんこづくり。人生の理不尽と不可思議さ。

・そしてこの回、あの少年に商売を教えてやる金太さんの賭け。この少年の物語もまた、安子るいひなたがたどるのと同じ百年の物語で。
何かを継ぐこと、受け取ることについて、血縁を超えた風通しよい場所まで辿り着く『カムカム』という物語の、大事な柱をこの少年も担っている。

・あの少年が帰ってきたら算太も帰ってくるという賭けに、金太さんは勝ったんですよねえ…。安子が産まれたとき算太のアホな賭けを叱った真面目な金太さんの、恐らく一生に一度の賭け。
 


 

#020 12月13日(金)

 

・金太さん劇場だった第17~19回から一夜明け、その衝撃をゆっくり受け止めつつ、それでもなお、という本日もみっちり充実の15分。おのれ藤本脚本(褒め言葉)。

・藤本脚本はどんなに明るいベースの話にも、通奏低音で「死」がまず前提にあると常々感じていて。『ちりとてちん』でも、塗箸と落語の両輪で「伝統の継承」を語りながら、その「継承」という営み自体がそもそも、どんなに優れた技術を持とうが弟子に慕われようが人はいつか死ぬ、それゆえ継承が必要なのだという厳然たる事実がそこにあった。
だからこそ、消えゆく命を愛おしみ、受け取ったものを繋いでいこうとする人の営みに、優しい希望を込め描くのもまた藤本脚本で。

・金太は少年を信じて商品を託し、少年はちゃんと知恵を絞って商いの楽しさを覚え、安子は「お仕事ご苦労さまでした」と頭を下げる。たちばなの「堅実でいい商い」が赤の他人のはずだった少年へ確かに繋がるこのエピソードは、市井の真面目な職人だった金太さんに対し、藤本ワールドとして最大級の敬意ある送り方だったと思うのです。

・そして2周目として見ると、このとき「商いいうのは楽しいもんじゃ思うた」は、少年だけでなく安子にも知らず知らず響いてたんじゃなかろうかと。遂に教われた念願のあんこ炊きだけでなく、材料の調達から値段つけまで、安子もまた商いの工程一連をこのとき金太の横で教わってたのですから。
「ちょっとずつ商いを始めて、しっかり生きていかれえよ」は、この後(まだ知らない)少し未来の自分に向けても言っているようだ。

・おはぎの少年、元は良い生地だったようにも見える体に合ったサイズのベストとシャツを着ているし、安子へのお辞儀もきっちりしているので、戦争で家族を失う前はそれなりの家の子(=教育を受けている)だったのかな。
金太さんの言葉の意味をすぐ飲み込み、おはぎを一銭でも高く売るよう自分で考え実行できる勘所の良さは、何か商売の家だったか、それとも元々の機転か。どちらにせよ、この短い描写だけでも、安子の「しっかり生きていかれえよ」のとおりの人生を歩んでくれるだろうと思えるし、実際ラストでその解き明かしがふっと訪れたときは、胸がいっぱいになりました。

・本放送のとき、藤本脚本に関して「伏線回収」という便利な(ゆえに最近は意味もズレてきている)言葉をあまり使いたくなくて、感想でも極力避けていたのは、特に『カムカム』では、この人物ならこうする、あるいはたとえ”正しく”なくてもそうするしかない描写が的確で、その積み重ねで百年を構築していく意志が物語に透徹していたからなんですよね。それをテクニックや“考察“合戦煽りとして最近は使われつつある「伏線回収」という言葉で表したくないという、藤本脚本好きの単なるこだわり。
藤本さん自身が珍しく自作について語った言葉「特に長いものを書いた時よけい思うのは、どのキャラクターにも愛情を注ぐことに尽きる。この人だからこう喋る、この人だからこう動く、ということが自分で分かって、その人が動きたいように動かしてあげれば、最後はその人たちが私を助けてくれる。と、いうふうに思うんです」(月刊『ドラマ』2016年9月号)は、藤本脚本作品を見るとき、いつも頭の片隅にある。

・このおはぎ少年も、藤本さんに確かに愛情を注がれたキャラクターの一人だったなあ。

・人生を変える出会いを得た戦災孤児少年、安子が手に取る『基礎英語講座』テキストの奥にある『日米会話手帳』。これらのモチーフも、『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』第3部と共通なので、やはり藤本脚本つながりで再放送か配信してほしい。

・再開された安子の英語学習が、実家で幸せなお嬢さんだった時代よりも立場や時間が厳しい分、より日々の隙間時間で生活に密着したものになっている描写がさりげなく良いんですよね。稔を思う時間であると同時に、確実に安子自身の呼吸になっていく英語。
あと、恐らく端切れを使った表紙の単語帳が、お洒落好き安子らしくて可愛い。

・この回で好きなのが、勇ちゃんが帰ってくる直前の闇市のワンカット。
座り込むボロボロの傷病兵、尋ね人の張り紙に見る空襲の傷跡の中に、つい先日まで敵性語だったローマ字が使われている進駐軍向け案内板という“自由“と、チャンバラ禁止令下だから刀を持たず「歌」を押し出してるモモケン映画のポスターという新たな“不自由“も交錯する情報量の多さ。
そしてモモケン父子二代の物語が分かった2周目に改めて見ると、この戦後早い時期にすぐ制限にもめげず撮影公開する条映の逞しさと大スター様モモケンの矜持も思うわけです。

・稔さんの戦死という安子の絶望を表すのに、色だけでなく、全ての音を喪わせる演出が『カムカム』の世界観としてあまりにも鮮烈だったこの回ラスト。
稔さんとの自転車練習、文通で2人がともに「ひなたの道」を思ったとき、木立から降り注いでた明るい日差しが、ここで黒い木々の間をギラギラ揺れる不気味な光へ暗転する、この苛烈な繋げ方ですよ。

・そして2周めで見ると、この同じ揺れる光が、やがて今度は「木漏れ日」として安子とロバートの間に降り注ぐことにも、感じるものがあって。
藤本さんが最初から最終週までのプロットを作って共有されてたとは制作秘話で聞いてますけど、例えば「木漏れ日」のような細かいモチーフはどこまで先々のことが分かっていたのかな。映像として、イメージの繋げ方に感嘆するカットが『カムカム』は多々ある。

・しかし今はとにかく、「意地悪せんで」と幼い言葉でしか表現できない安子の慟哭を、ただ共に悼みたい。

 

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