光る君へ第46回
2024/12/07(Sat)18:25

・刀伊の入寇やら周明やら忙しい回でしたが、なにげに印象深かったのは、長編完結ロスに陥っていた作家まひろが、彰子の女房として『源氏の物語』を書く仕事は「私が私であることの意味」だった、と述懐したこと。

思い返せば第2回、少女まひろが初めて書くことを仕事にし始めた代筆業アルバイトで、それに夢中になったのも「私が私がいられる場所」だからという理由でした。(為時への反抗期まっさかりで家に居たくないのもありましたが)
あれからずっと彼女にとって書くことは、直秀ら散楽一座との交流も、たねに文字を教える試みも、初恋の人に愛を囁く和歌でなく硬派な志をぶつける漢詩を返すのも、そして道長の依頼から始めた物語執筆にいつしか自分自身がのめり込んでいったのも、すべて「私が私であることの意味」を探すトライアンドエラーの旅だった、ここまでの46回分を振り返る。

・…とこう書くと、光君は道長との大時代的ロマンスという皮をかぶりつつも、女性の自立自存がテーマの王道朝ドラ的なストーリーラインでもあったんだなあと改めて。
金曜あさイチ吉高さん回で大石さんからのコメントにあったように、気難しく欠点の多い(しかし吉高さんの演技でチャーミングに仕上げていた)ヒロインまひろが「私が私であることの意味」を獲得するまでの話を時代モノで無理なく成立させるのは、意外と幕末や戦国でもなく、平安中期という時代、しかも文化系大河という今年の題材だからこそ相性が良かったのかもしれない。
 

・「物語は生きている」とまひろ自身が言ったとおり、書かれるうち依頼主道長の意図や理解からどんどん離れたものになっていき、最終的には道長が「まだ書いているのか」と言いおる横で、執筆者まひろ自身の喜びになっていた『源氏の物語』。
たとえその仕事を まひろが道長の傍に居られる意味と同化してしまい、物語が終わったならあの人の役に立つこと=書く意味は終わったと燃え尽きているのが今だとしても、実はもう既に まひろにとって書くことは、道長の意図と離れたところで成立し得るものになっているはずなんですよね。

だって、一度は物語を終えてすっかり筆を置いたつもりの まひろと、病で半分死にかかっていた道長が、それでも死んではならぬと互いに言い合って再起動するのが第42回でしたけれど、そこから再び まひろが筆をとって書き出す宇治十帖と、再び策謀し出す道長の政治意図=三条天皇降ろし奉り計画とは、全くかすりもしないところで動いていったのですから。
この時点から実はもう、まひろの「私が私であることの意味」=書くことは、道長の役に立つか立たないかに関係なく彼女自身のものになっていたわけで。

・あの人の役に立てることはない、都に居場所などない、でも書くことが全てだった、とはいえもう書くものがない。そんなぐちゃぐちゃな まひろの感情を解きほぐし、整理していく周明は、若き日の思い出の人という以上に、実によい医者だ。

「書くことは、どこででも出来る。紙と筆と墨があれば」の言葉にちょっと、紙とペンさえあれば一人で映画が作れる!系のど根性発言がしばしば飛び出すトキワ荘グループが思い出され、ふふっとなりましたけど、日本人と宋人のどちらにも所属し切れない狭間を逞しく生き抜いてきた周明が、お前ならどこででも書ける=生きられると太鼓判を押すのは、今のまひろにとって何より信頼できる肯定なんじゃなかろうか。

と同時に、都を離れようが道長という理由を失おうが、まひろにとって書くことはどこまでも追いかけてくる業のようなものかもしれず。
ききょうや あかねに まひろ自身が勧めたように、ここまで書くことが書く本人を救う効用がしばしば描写されてきた光君なので、文化系大河として残り2話でそこまで踏み込んだら面白いかもしれない。

・都でも地方でも、どこでも変わらないのが まひろの「書くこと」だとすれば、今週の回で隆家が出てきたのも興味深い対比だったなあ。
都では彼の放った一本の矢が家を滅ぼす始まりとなったのに対し、太宰府ではその同じ矢が国と無辜の民を守る武器になる。隆家自身のやんちゃさは実はそれほど変わってないので、都では災いのタネにしかならなかった性格をようやく活かせる場にたどり着いたのが今なんですよね。登華殿で兄伊周と青海波?を舞っていた頃よりも、むくつけき武者たちとの舞に加わる今のほうがずっと生き生きしている。

・どこでもできるはずの「書くこと」。太宰府でこそ意味がある武者ぶり。
都から遠く離れた地でこそ浮き上がる、まひろと隆家それぞれの「私が私であることの意味」。次回、恐らく2人とも都へ戻るようなので、この2人の対比がより一層鮮やかになるのかな。そのとき、まひろにとって「書くことは、どこででも出来る」がより重さをもって実感できるんだろうか。

 

・それにしても、刀伊の入寇をまさかあそこまでたっぷり見られるとは。
もちろん隆家が重要キャストとして発表されていた時点で期待はしてましたけど、それにしても年の終盤にここまでしっかりロケしてくれるとは思いませんでした。予算配分スケジュールすばらしい。
歴史系番組では『北条時宗』『平清盛』の使いまわしが定番になっている海戦映像ストックに、来年以降は『光る君へ』の令和制作映像も加わるのかな…と思うと、ちょっと楽しみです。ぜひこんな感じで、まだ映像化されていない時代をどんどん映像化してほしい。

・ちなみに、今年ようやく出た待望のART BOOKを読んだら、最後あたりに載っていたスタッフ会議のホワイトボード写真で、ああやはり今年は平安中期大河として『平清盛』からの積み重ね、対比も意識されていたんだなと推測できる記述があり、嬉しくなりました。
もしかして最終話のネタバレ…?という写真もあったのですが、もし残り2回で描かれる大きな柱が、まひろ道長の関係の決着だけでなく、その写真から推測できるもの(双寿丸に託されたもの)だとしたら、『平清盛』の中島Dが今作に参加されていること、そして刀伊の入寇がここまで印象的に描かれたことの意味で、また胸が熱くなるかもしれない。
うん、やはりNHKは来年以降、光君ファンの鉄が熱いうちにすぐ『平清盛』再放送しましょ?

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