藤本脚本は2周目が本番ということで、今日からの再放送、なるべく追いかけつつ振り返り感想を書いていきます。
1週ごとに1つの記事へ書き足していくスタイルでしばらく行く予定。
カムカムエヴリバディ第1週「1925-1939」
#001 11月18(月)
・「A long time ago(むかし むかし)…」でノスタルジックに始まる百年のおはなし。
もうこの幕開けだけで、『ちりとてちん』では落語、『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』では童話、『平清盛』では神話をドラマ構造の駆体にし、『ちかえもん』では虚実皮膜こそ一番おもしろいのだとうたいあげた藤本脚本らしさが溢れている。
・全てが実は ひなたが執筆・放送したラジオ英会話講座だったということは、つまり実際のところ、どこからどこまで嘘か本当かは分からないわけで、しかしそこに織り込まれた百年の願いはきっと本当なんですよ。藤本脚本は、物語の意思が強い。
・藤本作品を見ると、フェデリコ・フェリーニ監督の「嘘には、ありふれた見せかけの現実よりも真実味がある」「人が見せる物事は本物でないほうがまし。本物でなければならないのは、経験する感情」を思い出すんですよね。特に『カムカム』はそんな藤本作品らしさが強い作品だった。
そして、その巧妙に仕込まれたリアリティラインの揺らぎに乗れるか乗れないかで、結構好き嫌い分かれる作風だとも思うので、なおさら、全体を通し世間に好評だった様子なのは、歴代の藤本作品が受けてきた評価(一部熱狂的マニア受け云々と言われやすい)を思うと意外でびっくりかつ嬉しかった。
・算太のラジオ泥棒と、それが何だかんだで許されちゃう流れも、戦前の緩やか人情というより、やはり落語の世界なんだよなあ。しょうもないアホが、呆れられながらもそのまま存在していける世界。虚構だから叶う業の肯定。
・本放送のときは、この初回ラスト「安子はこの上なく幸せな女の子でした」の「でした」過去形に、いやいや絶対これジェットコースターの前フリでしょ?と震えてたけど、この物語の構造を分かった上で聞くと、また違う気持ちがわく。
ひなたが、安子のあの”失敗”に至る辛い悪戦苦闘を「おばあちゃんは進んだ人やった」と明るく上書きしたように、安子の少女時代を「幸せな女の子」だと言い切って百年のファミリーストリーを始めるのは、sunny sideの申し子ひなたらしい、おばあちゃんの人生への敬意と優しい言祝ぎだ。これも2周目ならではの感慨。
#002 11月19日(火)
・改めて見ると、この2回の間だけで、後々まで作品を貫く大事なあんこがギュッと詰まってるな…!と驚嘆してしまう。
・数世代にわたり引き継がれていく小豆炊きのおまじないは、いかにも藤本脚本らしいファンタジーにも見えるし、実際これを唱えてるあいだは鍋から目を離さず火から焦って引き上げず、最適のタイミングまで待てるよう集中力が保たれるという長年の経験則もあったのだろうと思える。
・算太、ダメな長男ではあるけど、年の離れた妹のおままごとに付き合ってやったり、気遣わせたことを謝ったり、安子にだけはちゃんと優しい兄貴ではあるんですよねえ…。この子供時代の幸福な記憶があったから、戦後に安子も店を再建したいという兄の言葉を信じたはずで。うっ。
・チャップリン映画、特に『黄金狂時代』前後の作品は、ドタバタ失敗を繰り返す放浪紳士チャップリンが最終的にただ一人ヒロインは幸せにするストーリーが多いことを考えると、算太があそこまでチャップリンに心酔してたことにも胸が詰まる。願っていた見たかったのは妹の笑顔だけだったはずという、それが第2回から提示され、実はずっとブレない。(ブレないからこそ、それを叶えられないダメさに自ら打ちのめされていく悪循環なんですが)
・女の子は菓子屋を継げない。男はダンサーになれない。兄妹それぞれに立ちはだかる性別の壁。自分がつくった失敗作の大福に寄せて、「軍隊じゃねえんじゃから、足並みそろえんでも」「人間だって、ちょっとはみ出すぐれえが味があろうが」と混ぜ返すしかない兄と、その兄が唯一心を開く妹。
そうか、このあたりからもう実は、安子が王道の”愛され系健気ヒロイン”の枠に収まるはずの子ではなかったことが着々と。
・それにしても杵太郎おじいちゃん、再放送で見てもso cuteだな……。大和田伸也さんは、私の中では永久名誉天馬博士声優なので、そのいいお声が毎日聞けるだけでもカムカムはやはり幸せドラマなんですよ。
・ダンスホール通ってた過去のあるおじいちゃんが、畳の上でヒョイと踊るシーン。お茶目さ爆発と同時に、ここで足元と見せかけて実は足袋をじっくり映しているから、後々お父ちゃんが千吉さんと雉真足袋の件で意気投合する流れにもつながるわけで…。ほんと再放送だと、一瞬たりとも油断ならない。
#003 11月21日(水)
・どこまでも完璧な初恋の擬人化として登場する稔さん。本放送の頃はこの完璧さが、作品を貫くテーマ「ひなたの道」の象徴であると同時に、安子と喧嘩する間もなかったぐらい長生きできなかった哀しみに思えていたけど、こう2周目で作品の構造を分かって見返せば、そりゃ ひなたがアニーおばあちゃんに思い出話を聞いて講座の脚本を書いたら、こうなるよと納得しかない。
日の当たる部屋であんこ食べながら祖母の遠い初恋話を嬉しそうに聞く、ひなたの笑顔が目に浮かぶ。
・ファッション誌を熟読し、14~5歳でパーマネントかけようとしていた安子、案外この時代にしては結構おませなお洒落さんなんですよね。後で出てくる小しずさんお手製の赤いセーターといい、戦争がなければ普通にこの先もお洒落を楽しんで成長したろうと思うと、やはりあの颯爽としたアニーヒラカワになる素地は、この頃からあったのだと。
・故郷の街と人々を愛し、このまま暮らせればいいと安子が無邪気に願う優しい世界に生きているのは、時局の厳しさとパーマネント禁止=生活に忍び寄る締め付けとの関連も分からないぐらいに狭い世界で生きていることと表裏一体なんだよなあ。それは、第2回の「女は職人にならんでええ」とも地続きで。
神社で心を込めて祈る願いが「早うパーマネントがかけられますように」でしかない、高等小学校を卒業してからは家と商店街がまだ世界の全てな女の子。
・そこからの、稔さんとラジオを通し初めて英語に触れ世界が広がっていく瞬間の喜びが、ヒロインの”始まり”として美しすぎるんですよ。
・何を言っているか分からなくても「うっとりと耳を傾け」英語に夢中になる安子の目の輝き。
『ちりとてちん』の「この雑音混じりの声が、やがて私の人生を面白おかしゅう導いてくれる道しるべとなるのです」「さあ、面白い人生のお話の始まりでございます」を思い出す。ラジオとカセットテープ。英語と落語。
・仕事には厳しい杵太郎さんが引退し、金太さんの代になってからは割と職人たちものびのびしていたので、甲子園中継のいいところで職人たちが配達を行き渋り、実際行かないのを許される=お嬢さんの安子が配達に行く、この流れが実にスムーズ。
安子と稔の出会いは運命的なおとぎ話のようだけど、実はすごーく細かく周囲の人物や背景まで「この人ならこうする」の積み重ねで組み立てられているのが分かる、2周めの第3回。
・それにしても勇ちゃん、初登場から本当にどこまでも次男坊で愛しいな。
MIUの香坂といい、近しい年上の存在へ向ける敬意と甘ったれ混じりな感情を繊細に演じる虹郎さんの「弟」感が、とても良い。
#004 11月21日(木)
・2周目なのに、あらすじが分かっているはずなのに、余りにも美しく見事な15分で、おお……とため息つくしかできなかった。
・父が満足する完璧な優秀学生で、母の愛情を一身に受けるハイパー爽やか長男な兄がいても、それを割と素直に受け止めている勇ちゃん。やはり全身全霊で「弟」だなあ…と思うものの、しかしこれも、あの終盤でようやく昔どおり安子(あんこ)と勇ちゃんへ穏やかに戻れた2人から話を聞いた、ひなた目線の物語だからかもしれない。
・そういえば第1回で、早慶戦ラジオ観戦を口実にした勇ちゃんの誘い方がもうちょっと素直だったなら、安子もあのころ中学生だった稔さんに会っていたかもしれないけど、もしそうだったら安子は稔さんにとって、ラジオもええけど静かにせえよと笑ってたしなめる弟と同列の同級生で、安子にとっても稔さんは優しく眩しくも遠い存在のまま終わってたかもしれんのか。…い、勇ちゃん……(泣)
・本放送の頃、この初週だけでも、ラジオで前作のおかモネ、エンタツアチャコからおちょやん、『丘を越えて』の歌でエール、ダンスホールとパーマネントでカーネーション、モモケンの時代劇映画でオードリー…と、過去朝ドラが自然と思い浮かぶのが凄いなあと感想書いたんですけど、今回の再放送はちょうど『カーネーション』のしかも1940年代と同時期放送になっているので、ますます時代がリンクして感慨深い。パーマネント禁止、店から今後消えていくお菓子、そして雉真繊維のあの並んだミシンが縫う軍服。
・たしか『ちりとてちん』のとき、遠藤Pが藤本さんは相当の朝ドラオタクだと話されていた記憶があるので、きっと私が気付けないほどのオマージュも仕込んでいるんだろうなあ。(記憶が遠すぎるので確定できないんですが、『春よ、来い』も放送の歴史が始まる大事な日に主人公が生まれる巡り合わせでしたっけ)
・再会を期待して配達に行くも、出てきたのが稔さんでなく女中さんだったとき、決してその落胆を表向きな顔に出さず、「今後ともご贔屓に」まで言える安子、ちゃんとお店屋さんの子である。この血筋は、るいと ひなたにも結構引き継がれていくんですよねえ。クリーニング屋も回転焼き屋も板についてた るい、初めての撮影村休憩所でもお茶淹れよかな~と一人で動けた ひなた。
・「顔上げて漕ぎ続けとったら、前進むから」。この先ずっと3世代の芯になっていく台詞。ああ、美しいなあ…… この後の喫茶店のシーン、ルイ・アームストロング『On the Sunny Side of the Street』と併せて、それしか言えなくなる。再びため息。
#005 11月22日(金)
・主人公安子の家だけでなく、友人きぬちゃん家の仕事も丁寧に映すオープニング。水の中できらきら揺れる水田豆腐店のお豆腐が、また美味しそうなんですよ。
商店街を歩く様々な職業の人まで含めた細やかな描写、夏祭りの浮き立つ高揚感どれもが、アニーおばあちゃんの優しい記憶をひなたが書き留めたものだろうと思うと……(2周目の感想要約すれば全てこれ)
・「甘うて美味しいお菓子を怖え顔して食べる人はおらんでしょう。怒りょっても、くたびれとっても、悩みよっても自然と笑顔になる、それが嬉しいんです」
日常のありふれたものに宿る喜び。これもまた素晴らしく藤本節全開の台詞。『ちりとてちん』は、それが常打小屋としてひとつ形になるまでのお話だったけど、カムカムの場合はそれが一旦残酷に失われる戦争を描くから、なおさらシビアだ。
次週現れる強面の田中=甘いお菓子食べても笑わない取り立て屋は、その始まりでしたね…
・勇ちゃんの「あんころ屋の女なんか釣り合わん」は、だから次男坊の俺にしとけという無自覚の叫びもあるだろうけど、前半の「兄さんはいずれ雉真の社長になる人」に込められた、嫉妬さえできないほど当たり前に尊敬してる兄への感情もまた、実は同じくらい重いんじゃなかろうか。
うっすら片思いしてきた安子の恋をまさか他人に奪われた焦りだけでなく、完璧な存在として尊敬してた兄が、まさか身近なあんこなんかと…という戸惑い。
・勇が店まで謝りに来たのは、安子に対し悪かったと思うのはもちろん、祭り以降しょんぼりしてる兄を毎日見ていた罪悪感もあったのではと確信できるほど、やはり勇ちゃんの「弟」感が最高。
・自ら恋を終わりにしても、体が覚えた時間に目が覚めたから…と、ラジオ講座を続ける安子の泣きじゃくり顔がとても良くて。きっかけをくれたのは確かに稔さんでも、もう安子の中で英語、そして世界の広がりは止まらないんだよなあ。
その象徴として走り出す自転車。顔を上げてこげば、ひなたの道を突き進める。
・ひさおばあちゃん「もう14なんじゃ。泣きてえこともあろうえ」の距離感がたまらない。『ちりとてちん』草若師匠の「何ぼでも迷惑かけてええんやで、あんた末っ子や、内弟子修行中の身ぃや」といい、未熟な若者が未熟なまんまスベったり転んだりできるよう周りの大人たちが見守る藤本脚本ワールドのこの暖かさが!たまらなく!好きなんです!
(同じ理由で現行朝ドラ『おむすび』も、最近の作品には割と珍しく主人公が若者らしいお調子者感を出し、周囲の大人がしっかり導いてるコントラストが楽しい)
・本放送のとき過去形に震えたラストのナレ「安子はまだ、ほんの14歳でした」も、これ「私はね、まだ何も知らない14歳だったのよ」と少しくすぐったく切なく愛おしむ目で回想するアニーさんの言葉を、ひなたが脚本に採用したのかもしれないじゃないですか…
・まだ14歳の安子や勇だけでなく、大卒初任給数十円~百円だった時代に、いくら中学時代のお下がりとはいえ英和辞典(『値段の風俗史』で確認したら昭和13年で3円)をポンと人にあげられるお坊ちゃんな稔もまた、まだ未成年なんだよなあ。
箱庭のように美しく小さかった世界が、これから綻びも歪みも抱えながら広がっていく。百年の物語は、まだ始まったばかり。

