第1回の「雀の子を逃がしつる」な まひろと道長の出会いに始まり、要所要所で 登場人物たちの人生に『源氏物語』オマージュを重ねてきた『光る君へ』。
視聴者にとってはメタな本歌取りでも、作中人物にとってはリアルな実体験である それらを、まひろが「物語の種」として作中世界側の視線で客観化して作中世界の『源氏物語』へ昇華させることで、ここまでの彼ら彼女らの人生(『源氏物語』モチーフ含む)自体が「真のことかどうかも分からない」「霧のかなた」になってしまうという、フィクションの玉ねぎ構造がここ数回の面白みでした。
そして今日の回で、その玉ねぎ入れ子にさらにもう一段加わった感。
一途に彰子を慕う敦康親王に、まひろの書いた物語を重ねて不安になり、いよいよ動き始める道長。
視聴者側は、今までのオマージュと同じく敦康親王と彰子の関係にもメタに『源氏物語』光る君と藤壺を重ねて見てきたわけですが、当然ながら作中世界の人物たちにとってみれば、まひろが最初に帝の伝聞取材だけで「桐壺」を書いた出仕前では、敦康親王と中宮様の仲睦まじさなど知る由もない=モデルにできるわけないですし、彰子は自分に紫の上を重ねてますし、11歳の敦康親王が物語を読んでるかも不明。
つまり、光君世界中の現実において、リアルの敦康親王と彰子に、まひろが書いた物語の光る君と藤壺の女御を重ねるのは、道長の後付け深読みでしかない。
今までも、光る君のモデルは私だ、いや私の父だと読者が勝手に誰かを重ね、その自由さこそが まひろの書く物語の強みだと微笑ましく描かれてましたけれど、ここに来て、本来は「真のことかどうかも分からない」、まひろが1の現実に99の想像と知識を加えて膨らませたフィクションに、道長の認識が引っ張られ現実の行動を起こしてしまう様が描かれるのです。
言い換えれば、作中世界で まひろの物語が現実を侵食し、規定し始めている。少なくとも、道長にとって。
創作と受容の様相をじっくり描いてきた延長線上に、物語というものの功罪も描く回だったのかもしれないなあ。
前に第31回感想で、晴明退場と まひろが世に出るのが史実とはいえほぼ同時に描かれるのは、道長にとっての晴明と藤式部の存在、そして光君世界における呪詛と物語の意味が同等だからではないかと書きました。
今日の回で、呪った分だけ自分に呪いが返ってきてしまった伊周と、彰子のため描かせた物語と現実を勝手に重ね不信を駆り立てていく道長とが同じ回に描かれたのも、偶然ではないのかもしれない。
そして、まひろが一心不乱に物語を書く紙が床で風に舞い光を浴びている様子と、伊周が道長に投げつける呪詛の紙が廊下で光りながら風に吹かれていく様子とが、とても似ていたことも。
そもそも、やる気のない末っ子だった道長が政へ深く足を踏み入れるようになったのは、兄らの死による成り行きもあったとはいえ、そこでトップを取れと剛速球の「志」を投げてきた まひろとの約束もあるわけで。
その結果、甥っ子にさえ深く恨まれ呪われるまでの立場になった道長と、そこまで押し上げる一助を果たしたために旧友から恨むと言われた まひろ。中庭を挟んで見つめ合う2人はこれから、道長は敦成親王を東宮にすることで、まひろは光る君の苦い晩年と宇治十帖を描くことで、始めてしまった物語の畳み方をそれぞれ模索していくんだろうか。直秀の遺体を埋葬したときのように。繋がない手を取り合って。
先週の引きだった ききょうさんの源氏物語評、割と辛辣なのにさっぱりと小気味いいところが本当に彼女らしくて、やはり光君のききょうさん好きだなあ。
褒めるべきところは褒めるのが先輩作家にして同じ学者の娘としてのプライドで、帝の心から『枕草子』=亡き定子さまの面影を消したことは決して容赦しないのが忠臣の矜持。
ちゃんと物語を読み込んでいるからこそ的確な感想を言えるし、的はずれな感想ではないからこそ、その『源氏の物語』への恨みが少なくとも ききょうの立場からすれば正当なものとして、まひろの心にぐさりと刺さるんですよね。
目の前で勝手な感想をきゃいきゃい言われたときよりも、これは堪えたんじゃなかろうか。
まひろが彰子さまを慕わしく思う心は本物だとしても、亡き定子さまの灯火を守り続けるために自分の命はあるとまで言い切れる ききょうの忠誠心は、やはり自分にないものとして鮮烈な「まぶしい闇」だったはずで。
そういえば まひろ、人のために何かをすることはあっても、誰かのために命を捨てられるほどの激情を抱くことは案外ないタイプですよね。怒りも愛情も強いけど、その厄介さを自分で分かってるからこそ それを理屈で抑え込むタイプ。それゆえの「根が暗くて鬱陶しい」。
ききょうの言葉を受けて改めて、なぜ自分は書くのか改めて考えてしまったんだろうなあ。ききょうの問いに答えた「帝のお心を捉える物語を書きたいと思った」は真実だし、宮の宣旨先輩の「生きるため」、和泉式部の「仕事でしょう」の割り切りもきっと本当。
中宮様の御為という建前や、まして左大臣の依頼という始まりをも超えて【職業作家】という在り方に まひろがなりつつあるのだとしたら、ここから残り2か月、まひろが「仕事」として書く『源氏物語』残りの章は、果たしてスポンサー道長にどんな影響、もしくは軋轢を起こすのだろう。

