そういえば『トクサツガガガ』で、良作は放っておいてもどうせ自主的に見るんだから、上映会企画して皆でわっしょいと強制的に見るべきは、取扱いに困る作品(婉曲表現)だろうが!と異業種オタクたちがそれぞれ自ジャンルの推薦作品を持ち寄り、健闘を称え合いながら見るという、やけに各ジャンル解像度の高い回があるんですが。
ローカルアイドルオタク北代さんが持ってきた円盤の内容(温泉合宿を舞台に互いの関係性が強調される謎インタビューやら、推しに謎目線で見つめられるイメージ映像やら)に、これはどう反応すれば…?とほかのオタクたちが尋ねると、聞きたいのはこっちだ!好きな子が頑張ってる以上、頑張ってる以外言えるか!!と北代さんが叫んでたなあ……と、2話で流れたのがフルバージョンだったらしいエンディングを見ていて、思い出すなど。
ほんと2話まで見て、とりあえず同窓会らしいからきっとファンの方には感慨深いのでしょうし、殺陣もさすが皆さん巧いし頑張ってますよね、と、それしか感想が出てこない。というか、そこだけ考えるようにしておかないと、エンディング曲タイトルにわざわざ「花火」の単語が付されている事実に、どうしても解釈違いの枠内にすら収めきれない感情が湧いてしまう。
しかし、原作にいない原田や斉藤がいかにもよくある新選組モノの人物像なのは、半年分に脚本を膨らますための省力化としてまだ理解できるとしても、原作で重要な立ち位置の龍馬まで、飄々とした「ぜよ」口調で癖っ毛という幕末モノあるある龍馬像になって登場してくると、いよいよ本当に手塚先生原作のアイデンティティはどこへ行ってるのか、これ中盤以降どうすんだろうか本気で心配になってくる。
「大胆に換骨奪胎」とか呑気に言ってる場合なのか、ここまでキャラの根本を変えながらストーリーラインだけは原作どおりやろうとしたら骨を換える前に複雑骨折するでしょうという心配。
ただ、今週ちょっと感想を検索してみたら、楽しく見ている方は勿論いいんですけど、若者だらけなことやBL風であることへのネガティブ感想の中に、そもそも手塚先生の原作がこうなんだろうと思ってるらしい未読勢もちらほら出てきているのは、予想してたとはいえ、やはりちょっと暗澹たる気持ちにはなりますね…。
原作では、主人公2人=少年以外はそれなりに年齢のいった大人たちで、その対比構造が主人公の成長物語を駆動させているし、そもそも原作における丘十郎と大作の関係が、BLか否かはまあ個人の解釈幅だとしても(私はあれは友情だと定義する)、根底にあるのはもっと乾いた死生観で、それこそ思春期に戦争を経験した手塚先生の作家性だし、手塚マンガの凄みの一つですよ。
つまり、原作のおもしろみが未読勢に伝わってないどころか、反転したイメージで伝播している。
だからほんと手塚公式は、「大胆に換骨奪胎」と言ってる場合じゃなく、1巻だからすぐ読めちゃう!と言ってる場合でもなく、もし金銭絡むんならドラマ公式に責任とってもらってでも、全編もしくは半分まででも原作を公開すべきなんですよ。
いまどき大河ドラマだって、妙な誤解を生まないよう、時代考証先生が史実とドラマの違いを懇切丁寧に解説されるぞ。せめてそれぐらいの努力はしてくれ。

