今月後半に歌舞伎座へ行くのに向けて籠釣瓶熱を上げておくぞ~!と、以前に買ってまだしっかり読んでいなかった『名作歌舞伎全集』第十七巻を取り出したのですが、こちらについている月報に載っていた坂東三津五郎さん(昭和46年当時なので八代目ですね)のお話が、とても面白かったです。
曰く、吉原の太夫が行う「見返り」について。
客に呼ばれ引手茶屋に向かう太夫は、その道中で他の茶屋にどんな有名な金持ちや大名がいても、挨拶をしてはいけない。そして茶屋に着いたら、自分を呼んだ客と盃を取り交わし、すぐに帰る。そのとき番頭新造が、どこそこの茶屋に誰々様が…と教えるので、太夫はその前を素知らぬ顔をして通り過ぎながら一寸振り返りニヤリと笑い、見返りされた客は皆に祝儀を届ける。客は見返りされるのが得意であり、太夫は見返りの多いのが名誉だった。
この見返りを、次郎左衛門が自分を見られたと思うところが、悲劇の始まりだったと。
見初めの場の見返りについて、今まで読んだ解説本だと、八ツ橋が「次郎左衛門をなぜ見たか」について、役者によって解釈が異なるような印象だったので、そもそも八ツ橋は誰を見ていたか、いわゆる史実の「見返り」を根拠にはっきりと「八ツ橋は次郎左衛門を見ていたわけでなく彼の勘違い」と言い切っている、少なくともこの時点の八代目三津五郎さんの解釈としてはそうであるのが、興味深いのです。
もしこの解釈で見たら、「売り物買い物」を飾り立て金を巻き上げるため、巧妙に美しく作り込まれた吉原のシステムに、八ツ橋も次郎左衛門も絡め取られていった悲劇、という側面を余計に強く感じるかも。
…と思っていたら、こちらの中村屋インタビュー記事だと、玉さま直伝の七之助さん八ツ橋にも当然しっかり独自の解釈があるようですし、しかもご兄弟そろって「(解釈は)言わないほうがいいよ」「すべてをつまびらかにしてしまったら面白くないじゃないですか」と、本当お上手だ。劇場に行くまでのお楽しみということですね。はい。
どんな解釈にせよ、次郎左衛門だけでなく客席全てを陶然とさせる八ツ橋の笑みと、次郎左衛門の受けの演技とが、この後の悲劇へ突き進む説得力になるわけなので、やはり役者が揃っていないと成り立たない芝居なんだろうなあ。楽しみです。
それにしても、この月報の八代目三津五郎さんの芸談、六代目菊五郎とか市村座とか普通にご自身の経験として話が出てきて、れ、歴史……!!となりますね。この全集、古本で少しずつ揃えてますけど、やはり月報つきを頑張って探そう。

