カムカムエヴリバディ 第18週「1984-1992」
#083 3月19日(水)
・謎の振付師こと算太が登場すると、ひなた編と安子編の共鳴が一気に強まるなあ。『カムカム』作中唯一、三世代で同じ俳優が演じて登場する算太が結び目となり、モモケン二代と虚無蔵さんの確執とクライマックスが、安子編が残していった傷にも自然と重なる。
算太が万感込めて語る「長かったのう…」は、果たしてモモケンひとりの20年だけに向けた感慨なのか。
・映画館で泣きじゃくっている団五郎に、ヤキモチのせいだろうと言い当てた算太の鋭さ。やはり算太、生来は人の気持ちに敏感なほうで、だからこそ両親の死を知ったときも露悪的に茶化してしまうし、借り物のスーツを着た自分の現状をことさら”惨め”に感じ取ってしまったんだなあ…と、一貫している。
こう、他人の懐にスルッと入れるあたりも、作中では伝聞でしか語られていない大阪ダンサー修行時代の姿を彷彿とさせて。(あちこちの女に借金してたということは、それだけ彼女たちに気を許されてたわけで)
団五郎ちゃんを慰めるようでいて、明らかに自分と父・金太を重ね合わせて算太がポツポツ語る「親父」というものの難しさ。
「許しとらんようで許してる」は、父に会えず、謝ることもできず、父のあんこも作れず、それを継いだ妹さえも裏切ってしまった後ろめたさをずっと抱え続けてるゆえの願望なんでしょうけど、最期に見た夢の中で金太は確かに算太を「許しとらんようで許してる」だったのを視聴者だけは知っているんですよねえ…。
先代は息子にいつか黍之丞をやってほしいから敵役の左近をやらせなかったのだ、という算太の推測は、正解かもしれないし、本当に息子への「当てつけ」もあったかもしれない。
それでも、算太の優しい想像のほうを信じたいし、信じさせてくれるのは、ここまで様々な親子を描いてきた物語ゆえで。
・「時代劇は、一流の斬られ役おっての主役じゃ」
よく出来た長尺ドラマにはお馴染みの脇役スポット回でありつつ、長い長いわだかまりを抱えてきたモモケン二代と虚無蔵さんの雪解けによって、この彼らの20年に重ねられている算太と金太、るいと安子という本筋のドラマにも、一筋の光が当たるのが趣深い。
偉大なる父・初代モモケンの評価を20年越しに伝え聞き、長く背負っていた苦しみをようやく下ろせた虚無蔵さんの笑顔を、ひなたがここで脇役として目撃している意味。
・虚無蔵さんの相手を自ら申し出たモモケンが、ここで「黍之丞、見参」と構えるのは、ほかの出場者たちが当然ながら演じていた『妖術七変化』初代黍之丞の型ではなく、自分が今演じているTV版黍之丞の型。
二代目モモケンがこのオーディションを企画した真意と矜持、「私は私の左近を探しに来た」「あんたに頼ったんじゃ、父を超えられない」を、立ち回りの始まりからもう既に言葉によらず体現している演出で、実に痺れますね…。
重厚な銀幕スターの初代と、華やかなテレビスターの二代目、菊之助さんが見事に演じ分けてきた父子の違いがあってこそ、その意味にハッとする演出。
一目で初代と二代目の違いが分かる黍之丞の構えといい、虚無さんがひとり黙々と稽古する姿だけで『妖術七変化』クライマックスの再現だと分かる立ち回りといい、この辺の細部がほんとよく作り込まれていて、フィクションとして時にポーンと跳ぶ『カムカム』の作劇を支えているんだなあと感じる。
そして、鍛え抜かれた歌舞伎役者といぶし銀俳優の殺陣というだけでも素晴らしい上に、一方は着物でなくジレ姿というのも、もう時代劇でも大河でもめったに見られない珍しさで、何度見ても眼福すぎますね。脚本と配役全てにありがとう。
ちょっと浮世離れした完璧なスターの振る舞いから、だんだん人間味がにじみ出てきたモモケンが、ここで虚無蔵さんとぶつかり合った果てに毅然と言う「私はスターですよ」の響き。
最終的に父に選ばれなかったし間に合わなかった、それでも父をロールモデルに(それは恐らくあの80年代で既にクラシックな在り方で)「スター」の振る舞いを務めてきた息子が、もう一人の”息子”にかける精一杯の優しい意地と誇りだなあ。
まさに「恐れ入りました」。
・そして藤本脚本好きは、父のものと違う自分なりの左近を探そうと決めた二代目モモケンに、小さい草若でなく新しい草若になると決意した小草若を思い出して泣くし、凄まじい立ち回りの末に二代目モモケンが満足げに呟く「これが父が見た景色なんですね」に、「いかがでござりますか、そこからの眺めは」の光バージョンだ…!と別の意味で泣きそうになるのです。
例えば「あなたのため」のズレが引き起こす悲劇であったり、逆に言葉が通じることの原初的な喜びであったり、コミュニケーションを巡る悲喜劇を描いてきた『カムカム』が、ここで”言葉”に依らない身体言語にぐぐっと焦点を当ててくるのが面白いし、また、実は序盤からずっと算太のダンスで、言葉ではない表現手段しか持ち得ない人間を描いてきたことにも気づかされるんですよね。
そして『カムカム』(もっと言えば藤本作品全般)で彼ら彼女らが切実に何かを表現するとき、それは、言葉であっても、それ以外の手段であっても、それでしか語れない、そうとしか生きられない業のようなものにも等しくて。
#084 3月20日(木)
・自分のしたことが相手の人生に大きな影響を及ぼし、直接的にありがとうと感謝される…という朝ドラヒロイン定番のシーンが、『カムカム』三世代ヒロインでは意外と ひなたが初めてだったのでは、と気づく。
そしてここでモモケンが御礼を言うのが、ヒロインの ひなた本人というより、むしろ ひなたが持ってきた回転焼きの甘いあんこに対してであることで、その回転焼きを焼いた るい、あんこの記憶を伝えた安子、遡ればその源流である杵太郎と金太にも、もっと言えば ひなたが時代劇好きになる基礎を据えたジョーにも、モモケンの感謝が時間を超えて届いている図にもなるのが、また感慨深い。
・そういえば大月開店のとき、あの『妖術七変化』のポスターを店に貼ると決めたのは、るいとジョーどちらだったんだろう。
大阪からの旅立ち時、裏のサインに託して願掛けのような意味で和子さんらが持たせてくれた、その思いを汲んでなのか。「サッチモちゃんのため戦う」と奮起させられた映画への感動を新天地でも忘れないためか。単純に二人の思い出の映画だからという新婚夫婦の可愛い盛り上がりか。はたまたジョーさん独特の芸術センスか。
何にせよ、るいとジョーの2人らしい小さな店の一部となっていたあのポスターが、ずっと別軸で並走してきたモモケンの物語とふと接触したとき、決して小さくないさざ波を起こしていき20年来の決着へ結びつく作劇には、やはり何度見ても痺れるのです。今日の堀之内Pの追想記にブンブン頷きつつ。
さらにはこのバタフライエフェクトが、単にモモケンと虚無蔵さんの当事者2人だけでなく、巡り巡って「実力以上が出せた」五十嵐にも、初めての名前つきの役という形で届くのが『カムカム』の優しさなんですよ。
・実家の商売を好きになれず飛び出した算太が、あんこのおまじないを一言一句違えずつぶやく。父と仲違いしたまま進む己の道に迷いを抱いていた二代目モモケンが、ちびっこファンの問いに父の口癖で真摯に答える。
「一筋縄ではいかん」のは、親父のほうだけでなく息子のほうもなんだよなあ…と、ほろりとする。
またそれは、ずっと母に捨てられたと思いながら、その母のことがいつか分かるかもと小さな祈りをこめて、母との記憶であるあんこを炊き続けている るいも同じわけで。
父子と母子の物語を結びつける、寝坊助ひなたがまだ知らない「おいしいあんこのおまじない」。
・それにしてもこの回、「あんこのおまじない」までは母に話さない ひなた、お互い数十年ぶりで姿形も変わっているから気付けない吉右衛門と算太…と、リアルにありそうなすれ違いのもどかしさを畳み掛けてきたところで、姪の顔でも額の傷でもあんこの味でもなく、呼ばれた「るい」という名前によって、全て”分かって”しまう算太の表情に胸を突かれるなあ。
るいにとってはようやく手に入れた穏やかな日常の象徴だった、シャツに醤油こぼすジョーさんの「るい」呼びそのものが、算太のスイッチになる皮肉。
ここで思わず逃げ出すということは、それだけ、安子だけでなく るいに対しても、今更どの面下げてという人並みの罪悪感を算太が抱いてきた証なんですよねえ…。
少なくとも、20年来の親友ダンゴちゃんによろしく頼まれていた映画の宣伝という仕事を放り投げてでも、逃げたくなるほどに。
・雉真のお嬢様だった るいがなぜか小さな回転焼き屋を営んでいる事実に、算太は何を思ったんだろうか。自分のしでかしたことが安子母子へ及ぼした影響への今更ながらの想像か、それとも、故郷を捨ててからもずっと忘れられなかった「あんこのおまじない」を恐らく姪が継いでいるらしいことへの感慨か。
ここからまた十年近く、再び大月に現れるまで放浪し続けていく算太の業に、改めて思いを馳せる2周目。
・今日の回で、PL学園の負けを悔しがる桃太郎を小夜ちゃんが「清原君にはまだ来年がある」と慰め、(後の回で出るように)実際そのとおりになるのは、来年こそはと思い詰めていた甲子園が戦争でなくなった勇ちゃんの、これもまた物語として世代を超えた上書きなんでしょうね。
主人公三代だけでなく、脇役の無念も丁寧に拾っていく『カムカム』。
そして、出てこない間も存在を感じる岡山が、少しずつ近づいてくる。
#085 3月21日(金)
・五十嵐の「寂しいだろ、ばか」もそりゃ名場面ランキングに入るも納得の可愛さなのですが、その前段で ひなたを相手に酒を飲むのが好きすぎる すみれさんも相当可愛いですの回。
・未成年だから酒を飲めない ひなたに「さっさと成長しなさいよ!気が利かないわね!」と絡む、つまりは「早くあんたと酒が飲みたい」を遠回しに言う すみれさんが最大級チャーミングだし、どれだけワガママ言っても、どこかふふっと笑えちゃうのが安達祐実さんの演技力ですねえ。
そして2周目で思うのは、この場面で すみれさんのワガママを受ける 川栄さんひなたの演技もまた、絶妙に すみれさんという人の愛嬌を描出していたんだなあ、と。
『らんまん』のとき、お坊ちゃんで周囲を振り回す万太郎という役をどうすれば視聴者に受け入れやすく見せられるか、演じる神木さんが、自身の演技はもちろん、周囲が万太郎の言動を受けてどう反応するかまで、かなり繊細に話し合い調整していた…という話が、とても印象的で。
なので、ここで すみれさんに ひなたが繰り返す「すみません~」の言い方が、しょんぼりしつつも深刻になり過ぎず、どこかすっとぼけた抜け感があるのが、すみれさんのワガママを”ワガママ”以上に見せない空気を作っていたんだなあと、改めて思うのです。
このあたりの すみれさん と ひなたの凸凹コンビ感、やはり何度見ても愛らしい。「いつまで私をほっとくつもり!?」にダダ漏れの懐き具合。
・本放送のときに相互さんが、すみれさんは「いい意味でも悪い意味でも、いつまでも少女」とツイされていたのを読んだとき、ああそうか、もしかして安子編の美都里さんに相当するのが、ひなた編のすみれさんなのでは、と思いまして。
美都里さんに関しては戦後パートの壊れ方が印象深くはあるけど、周囲の祝福と後押しあっての結婚後は意外と安子のほうも強くて、美都里さんの言動をスイスイ的確に受け流し、少なくとも稔戦死まではうまくやっていけそうな関係性を築けていたんですよね。
なので、ワガママで子供のような すみれさんと、妙に気に入られてお守り兼ツッコミ役をしている ひなたとを見ると、稔の戦死さえなければあの姑嫁も、こういう微笑ましいノリツッコミ関係を雉真の家の中で繰り広げられていたんじゃなかろうか、と幻視する。
良くも悪くもずっと「少女」のままである人が、家の内側にずっと閉じこもって壊れるしかなかった安子編から、少々困った人ではありながらも女優という仕事を外の世界で続けていける ひなたの時代へ、40年の懸隔。
・後に すみれさん一度目の結婚会見で大ショック受けていたのを考えると、ここで榊原が すみれさんに、あなたの仕事を「ちゃんと僕が見てます」と言い切る真剣さは、職務を超えてガチ恋だったんだな…つまり部下の ひなたにお守り業務させていたのもやや公私混同…とちょっと笑うところですし、ここで ひなたより先に榊原側の援護に立つのが いっちゃんだったことにも、2周目だとなるほど…顔になる。
とはいえ後の展開を思うと、ここが「正念場」と作法の勉強を真面目にさせた榊原さんの言葉に、偽りはない。一度は吹っ切れたとはいえ、「たかが映画村のステージ」「誰が見てるっていうのよ」という意識がまだ抜けていない すみれさんには、更に必要なワンステップだったわけで。。
ひなたが何気なく言う「刑事顔負けの推理をする茶道家」も併せて、来週以降描かれる時代劇低迷期にどう生き延びていくか、ここですみれさんのカードがちゃんともたらされていたんだなあ。
・お茶は「相手のこと思う気持ちや」と若者たちを諭すベリー師匠は、さすがの貫禄。
そして、わちゃわちゃしていた4人に”間”を与えて落ち着かせるベリーさんのこのプロフェショナルな茶が、終盤で るいの緊張を解くあの茶にも繋がることを思うと、今から胸が熱い。
「相手のことを思う」茶もまた、この作品に数多く出てくる「小豆の声を聞け」の一つ。
・すみれさんのお付き合いの合間に挟まれ、ひなたが会報の原稿を書いている描写がさりげなく入っていたのが、2周目だと案外重要なシーンだったことに気づきますね。
画面を止めて見ると、大好きな時代劇村の醍醐味をいかに伝えるか、相当に考えて書いている。新人時点からこれだけの長文を書けるなら、本当にあとは英語という手段を得るだけだったんだなあ、ひなた。言語学習でよく言われる、語学力そのものよりも何を伝えたいかの材料を持っていることが大事、というのがちゃんと現れている。
#086 3月24日(月)
・二代目黍之丞の『妖術七変化』が遂に完成して上映の、めでたき冒頭。
新しい左近役の武藤蘭丸を演じるが青木さんなのはもう藤本脚本好きとしても拍手喝采だし、また二代目モモケンが選んだ「私の左近」としても、これ以上ない配役。
確かに、TVシリーズ用に分かりやすく変えたという二代目モモケンの華やかな黍之丞に合うのは、銀幕スターの初代が選んだ虚無さんの渋い左近ではなく、この豪快でテンションの高い左近のほうだ、と納得すぎて。
青木さん左近の裏返った「きぃびのじょぉぉ!かぁくご!」の言い方、何回見てもクセになる。好き。
・1つだけ買ったポップコーンも、もう意地を張らず2人で分け合える。名前のある役として、彼女のご家族に映画の招待券を堂々と渡せる。この先少しずつでも前進していける望みが見えてきたから、かえって「家禄も僅か」の台詞を引用してプロポーズができる。この時点で五十嵐が堪能している充足感が、2周目はちょっと切ない。
お祭りデートからぽーんと8年飛んで、相変わらず進展していない2人の姿が示すのは、時代劇と時代劇村の停滞感でもあるし、8年夢の手前で足踏みしていても何とか生きていける、ある意味平和な時代でもあるんだろうなあ。昭和から平成になり、安子や るいの時代よりさらに長く居残りできるようになった若者たちの青春。
・一般的にはこの頃だと、「女子は20代後半までには寿退職」の圧がありそうだけど、ひなた本人が文ちゃんとの結婚への憧れは別として、そんな社会的圧や常識への焦りからはややズレてる子だし、会社のほうも、少なくとも上司の榊原さんは ひなたが27歳独身なことも気にしてない感じだし、ジョーとるいもその辺は呑気そう。
ジョーさんの在り方と同じく、「ちょっとはみだしてる」ひなたも、ほのぼのと生きていられる大月家の周辺。
・なので、やはり問題なのは、ひなたに「ついてきてくれるか」と言っちゃった五十嵐本人の気持ちなんでしょうねえ…。時代劇の場自体が減っていくという、実力以上の不運で見通しが崩れ、次の役がもらえたら…今度こそ…と思っているうちに8年経ってしまった。出会った頃まだ小学生だった恋人の弟が、高1になったとさりげなく知らされるのもショックなはずで。
かつて、冬の日の土左衛門役で身も心も凍えてたところを大月の回転焼きに救われて前を向けた男が、今日もずぶ濡れの役だったのに大月家の夕飯を断るのが、やるせない。
黍之丞の映画を見て、祭りで互いの気持ちが通じるという、安子編、るい編の恋人たちと同じ道をたどった ひなたと五十嵐。
しかし、自分自身の言葉でなく寸劇の台詞を(それ自体は2人の思い出の台詞だとしても)借りてプロポーズした文ちゃんは、もしかして、黍之丞の映画に影響された調子でたどたどしく「サッチモちゃんのため戦うよ」と言った、あのときのジョーさんの道にもハマり込んじゃったんじゃなかろうか。
自分と るいを結ぶのは音楽だけと一途に思い込んでしまったジョーさんのように、時代劇愛でつながった恋人が横にいるからこそ、その時代劇への「志」が、頑なな何かに変化しつつある五十嵐。
・ちょうど今日の『アナザーストーリー』が侍タイムスリッパー回だったので、「扮装や美術にお金がかかる時代劇は…徐々に減っていきました」のナレに、実感と切なさが増す。
・それにしても今日の回、ひなたに「何?その格好」と言われて、ふふっとポーズ決めたり、写真を撮るとき ひなたの腕に手をぱっと絡めたり、るいお母ちゃんの可愛さがまた最高値を更新してますね。
京都編で徐々に明るく逞しくなってきた るいさんが、このあたりではほぼ大阪編の翳りが抜けているのを見ると、この後のジョーさん告白、そして算太再訪からの岡山帰郷パートで るいが(そしてジョーも)見せる顔が、子どもたちにとってどれほど鮮やかな驚きだったのか、しみじみ思う2周目。
#087 3月25日(火)
・今日の回も仲の良い大月家。仲の良い大月夫婦。テレビを叩いて直して得意顔の るいさんと、改めて惚れ直してる顔のジョーさんが、今日も可愛い。(ひなた編中盤の大月夫婦はもう可愛いしか言えなくなる)
・子供のころは出来すぎなぐらいしっかりしていた桃太郎くんが、高校生になったら、母るい譲りなのか、姉ひなたに負けないぐらい心の声がアホでやかましいのも、ちょっと安心する。
・アイデア出しを指示していた部下が、唐突にノストラダムスを持ち出し、どうせ7年後には地球が滅びるんですし…とアホなこと言い出しても、怒りも呆れもせず、自分は最後まで映画村のため働くと大真面目に宣言する榊原さん、あまりにもいい上司すぎる。そしてスルースキルが強すぎる。
るいやジョーさんでさえツッコんできた ひなたのボケに、真面目に受け答えできる榊原さんを見ると、ああこの一点集中特化型で周辺のおかしな事象をスルーできる人だから、やがてあのプロポーズを大真面目に決めるんですね…と、今から微笑ましい2周目。
・すみれさんのヒット作『水無月ぼたん』は、きっとあの榊原さん企画『京都茶道家殺人事件』ステージをこなしたから来た仕事なんだろうなあ。(シリーズ化まで行ったのはちょうど時代の風があったとしても)
だとしたら、会社の重役が見てるわけでもなし…と「たかがステージ」気分だった すみれさんに、しっかり所作の勉強させた榊原さんはやはり正しかった。
そして、この「誰が見てるっていうのよ」「僕が見てます」のやり取りから実ったひとつの成果を見るとき、五十嵐も同じものを待ち望んできたのだろう8年間の焦燥が透けて見えるのです。
・パイ自体が縮小しつつある時代劇にこだわり、俳優としてのプライドにもこだわり、たとえお客さんが喜んでもお化け屋敷での仕事を「こんなこと」と言ってしまう五十嵐の、その苛立ちは分かるものの、大量生産のテレビ時代劇を「毎回同じ」「バカを喜ばせるため」と言ってしまい監督に叱られた9年前に逆戻りしちゃってるんだなあ。
五十嵐が「こんなことで楽しませたって仕方ない」と言うお化け屋敷だって、轟監督や大部屋俳優たちプロの仕事だからこそ客が本気で怖がる仕上がりになっている、その重さを理解していない。
・見方を変えれば、見果てぬ夢が夢のままで戦死した稔さん、夢をつかの間味わって潰えたジョーとは違い、五十嵐にはひとつの道で散々苦闘してまたスタート地点に戻ってしまうだけの、長い時間が与えられているとも言えるのですが。
・ノストラダムスを半分信じ、もし世界が滅亡するなら「一秒でも長く文ちゃんと一緒にいたい」とプロポーズする ひなた。
トンチキな前置きではあるけど、言っていること自体は、出征前にせめて愛する人との時間をと切実な思いで結婚した安子と稔と同じなんですよね…。それを周囲のお膳立てでなく、自ら恋人に言うのが三世代目ヒロインの平成時代だ。
・この週は、ひなたの「文ちゃんは?」で終わりだったんだなあ。改めて見ると、えらいところで翌週待ちだった本放送時。
そして今回のこの再放送編成だと、月曜日の五十嵐ひなた幸せ最高潮から、金曜日の挫折と失恋をエア刀ぶった斬り、まで一気に見られるので、月曜日放送の第86回で五十嵐がプロポーズでふざけて言った「今度は斬るなよ」が、実は最終的に微笑ましい冗談で済まなかったというのが、とてもよく分かってしまう編成だ…。
やはり ひなたはお姫様でなく、何かをぶった斬る侍なんである。




