カムカムエヴリバディ 第17週「1983-1984」
#078 3月12日(水)
・第77回でやらかした若者2人のある意味ケジメ回。
当初の予定どおり死体役を務めるべく五十嵐がちゃんと呼び戻されて虚無さんに繋いでもらえたり、ひなたが改めて すみれさんに謝罪できる機会をつくってもらえたり…と、2人の愛すべきアホをそのまま放りっぱなしにせず、きちんと叱り区切りをつけさせてくれる榊原さんや轟監督ら大人たちの態度にホッとしますね。まだ世間知らずの18歳を今後も見守ってくれるだろうと信頼できる世界。
安子の様子を「14なんじゃ。泣きてえこともあろうえ」と見守ってくれていた ひさおばあちゃんの時代から、『カムカム』が注ぐ若者への柔らかな視線は、ずっと変わらない。
・黍之丞シリーズでも特殊な『おゆみ命がけ』回だけ台詞まで覚えてたのは、おゆみが潔くて侍のようだったからだ、と言うひなたは、やはりコンテストのアドリブ演技で相手役をぶった斬っちゃう子だなあ。
なりたいのは、守られて恋するお姫様ではなく、あくまでも「侍」。
チビひなたが初登場時に「善良な民の糧を奪うとは!」とヒーロー見参ごっこをしていた頃から、ずっと一貫している。
そして、このポンコツな子がやがて、ポンコツなまま、でもしっかりと「侍」になれていくのが、ひなた編の好きなところなのです。
・「潔く、侍みたいに」すみれさんが吹っ切れたのは、ひなたの斜め上な時代劇愛で、忘れていた初心を思い出したから…というだけでなく、もともとすみれさんの内側には女優として渦巻く情熱があって、あとはそれがちゃんと噛み合うだけだったのだ、と、役の心情考察がびっしり書き込まれた台本で読み取れるのも、とても味わい深い。
すみれさんの一見ワガママな言動に ひなたが感じた「ええ作品にしようと思て一生懸命なんやな」は、実はそんな的外れでもなかったわけで。
ひなた編後半の展開を見ても分かるとおり、すみれさんは俳優という職業自体にすごく愛着があるんですよね。
細かに書き込まれた台本と、結果出力されるのがあの演技という空回りなあたりに、「若くて可愛くて」だけでは駄目だと思い知らされ、東京でもあれこれ自分の演技を模索していたのだろう すみれさんの苦心苦闘が、見える気がする。
・しかし、たった一言の台詞だけで、あそこまで珠姫の背景を考察したり、従者と「恋仲」ではと設定をふくらませる すみれさんの洞察力…もとい妄想力、俳優の緻密な演技プランを通り越してもはやオタクのそれにも近いので、そりゃ後にひなたと妙に馬が合ってしまうのも分かる気がするんですよ。
・ただの熱心過ぎる死体役の練習だった、五十嵐の眠りこけグセ。
てことは、第75回で、寝転んだまま起きない五十嵐に ひなたが救急車~!と慌てふためいたあれは、五十嵐的には死体役の演技として大成功、つまり五十嵐自身が「お前のような馬鹿」に刺さる演技をしてたのかと思うと、ちょっと可笑しい。
・ナレーション「この役回りのために五十嵐が練習していたのだと、ひなたは初めて理解しました」は、るいの心に”宇宙人”ジョーが入り込んできた第45回の「るいはこのとき、初めて錠一郎に出会った気がしました」ですよねえ…。
無愛想な男と思ってケンカばかりしていた五十嵐を、初めて時代劇役者として ひなたが見つめ直す瞬間。
・本放送時の感想再掲。
それぞれに作り手の都合や工夫や思い入れはありつつも、大量生産で「毎回同じ」を繰り返し手早く制作していく時代劇の中の一編が、ひなたにとって「潔くて侍みたい」と憧れを抱ける特別な存在になったように、母への特別な感情もあるとはいえ、まずは生活のため毎日るいが大量に焼いて売っていた回転焼きの中の一つが、「死んだほうがマシ」と凍えていた五十嵐を救う特別な一口になっていた。
ひなたと五十嵐が時代劇愛以外のところでも実は”共鳴”していた、と明かされるところで、小さな毎日の積み重ねという『カムカム』の主題が、さりげなく輪郭をくっきり現してきて、ワクワクする。
・この回は、慣れた手つきで五十嵐くんにお茶を入れるジョーの姿に、ひなたが待合室でお茶でも入れよかなと自分から動けたのは、あーいつもこうして客に茶を出すお父ちゃんを見てたからなんだなと分かるのも、とても良いんですよね。日常に根ざした父子の時間が伝わってきて。
そして、ランニング前にあさっての宿題まで済ませてくる出来すぎな桃太郎を、偉いでもスゴイでもなく、いつも見ているドラマに掛けて「破天荒やなあ」と褒めるジョーお父ちゃんのこのセンスが、出来のいい弟が下にいてもクヨクヨせず、明るく素直に可愛がる姉ひなたをすくすく育てたんだろうことも。
#079 3月13日(木)
・ひなたが張り切って映画村に就職し、そして遂にあの男が再登場する静かな転換点回。
ほんと2周目で見ても、この2つのポイントが同じ回に入っていたことに、ぐっと来てしまうなあ。ジョーさんがコンテスト前のナーバスな時期に偶然『妖術七変化』を見て時代劇好きになり、それを子供の ひなたが受け継いだから繋がった、小さな点と点。あんことジャズと時代劇とラジオ講座という、一見バラバラながらも物語の中で並走していた要素たちが、少しずつ収束していく。
・「宇宙人」が大月錠一郎に、「無愛想な男」が五十嵐文四郎に、「不機嫌な女優」が美咲すみれに…と、OPでのキャスト表記を初登場時の”第一印象”そのままの説明から、作中で認識される本名に合わせ変化させていく『カムカム』恒例のお遊びが、ここで逆転し、今まで見てきた視聴者なら誰もが一目で算太だと分かる男が、OPで「謎の振付師」になっていることの意味ですよ…。
たちばな再建の夢を自らの手で壊し、故郷を出奔し、「橘算太」という本名を名乗れないまま放浪し続ける男が、背負うもの。
・再登場の第一声「いけ~ん!」だけでもう、ああそういえば『カムカム』の中で久しく岡山弁を聞いていなかったなあと、懐かしい気分になる。
そしてここで、るい編当初はジョーに出身地を当てられるぐらい岡山弁だったるいが、だんだんと大阪弁になり、今はすっかり京都言葉に馴染んでいる経年変化を改めて思うのです。
「おえん」という方言を知らず、目の前にいるのが大伯父だとも分からない、ルーツの岡山から遠く離れて育ってきた ひなた。
・後に算太来訪クリスマス回で語られるように、ひなたも桃太郎も、自分の両親らに”親戚”の影が見えないことに薄々不思議さは感じていたらしいものの、それで変に勘ぐったりイジケたりもせず、そのまま素直に受け取ってすくすく育っていたのは、やはり大月家の良さだなあと思う。
・今日の回でも、モモケンに再会できた話を ひなたが家族に報告する仲良し食卓で、「いいお名前ですねって、るい~!」「あの時はお世話になったねえ」ときゃっきゃ語り合う大月夫妻、もはや可愛らしさが円熟の境地に達している。好き。
・ここで算太の再登場が、いよいよ安子編からの物語が収束していく最終章への足音を予感させるだけでなく、モモケンという人が抱えているものもうっすら浮かび上がらせてくるのが、物語の厚み。
テレビの申し子と言われ、『けったい侍』の芸風が持ち味だったろう二代目が、偉大すぎる銀幕スターだった父の名を背負い生きる人生において、算太のような人物を親友として傍に置き、襲名前の名で「ダンゴちゃん」と呼ぶのさえ許している事実が、何よりもその葛藤と孤高を語っている。
算太演出のダンシング映画村CMが、いかにも80年代っぽい軽さと絶妙なダサさを思わせつつ、黍之丞として踊るモモケンに団五郎当時のコンコンチキ♪な味わいをも纏わせているあたりに、やはりモモケンが演出家として算太に寄せる信頼と安心感が分かる気がするんですよ…。
#080 3月14日(金)
・パシャパシャと明るいフラッシュが焚かれる『妖術七変化』リメーク発表の記者会見。ラストまで知っていると、この華やかな場所を主導している二代目モモケン、テレビ画面を隔てて遠くから見つめる虚無蔵さんとがくっきり別れた構図にぐっと来ますねえ…。2周目でしか見えぬものがある。
・ひなた編に入ってからも ちらちら見切れていた、大月のお向かいさんに掛かる「立花」の表札が、今日の回では回転焼きを待つ文ちゃんの後ろによく見える。
このあかね通り商店街における立花さん宅と吉右衛門ちゃんの電器店あかにしの位置関係がちょうど、かつての朝岡町商店街でいう和菓子店たちばなと荒物屋あかにしの位置関係になっているのは、美術スタッフさんの遊び心なんでしょうか。
そして第78回で、五十嵐が「やめようかと思うとき、気合いを入れたいと思うとき」に大月の回転焼きに励まされていた…という告白を聞いてからだと余計に、一大決心を滾らせながら回転焼きを待つ文ちゃんの後ろに、かつて【甘いものは人を笑顔にする】という信念を掲げていた和菓子屋と同じ苗字が見えることに、何だか胸が熱くなってしまうのです。
吉右衛門ちゃんも清子さんももう思い出せない店と同じ名前が、その店のあんこを引き継いだ店を見守るように、ひっそりと存在している。
・それにしてもこの回、空き地で回転焼きを頬張る五十嵐が、ひなたにやいやい言い返されても、いつのように馬鹿だの愚か者だのと追い打ちはかけず、こんなにもいい顔で笑ってたんだなあ。
この時点でもう、ひなたとポンポン交わす憎まれ口応酬が、五十嵐にとっては回転焼きと同等の日常、しかも楽しさすら感じるものになっているのだと。
・父との仲違いゆえ「テレビの申し子」になった当代モモケン。息子への当てつけで虚無さんを大抜擢した先代。一世一代の嫌味としての再映画化と大々的オーディション。
すみれさんが断定調で語る「条映の中じゃ有名な話」は果たして真実なのか、『カムカム』をここまで見てきた側はもう既に、算太を見送らなかった金太の真意、安子とるいのすれ違いと誤解などを知っているわけで。
安子・るい・ひなたの主人公三世代で繰り返されるモチーフが、それぞれの代を補完しあい変奏しながら厚みを増していく螺旋構造が『カムカム』の面白さですが、ここで不意にスターの鎧を脱いだ生身の人間としての側面が浮かび上がってきたモモケンの物語も、三世代ヒロイン家族の物語と呼応しているのが面白いんですよね。単なる群像劇ともまたちょっと違う響き合いというか。
・酔っ払い すみれさんがモモケンの悪口を言うのは、これもラストまで知っていると ふふっとなる所ですが、ここで彼女が、大スター様モモケンの肩を持つでなく、大部屋俳優の虚無さんが味わってきた辛さのほうにこそ心底同情して怒っているのが、味わい深い。
やはり すみれさん、根は素直でいい人だし、売れっ子女優としてのガワへの拘りから演技そのものの喜びのほうへシフトした人だなあ。
そして、ひなたの「おゆみちゃん(の中の人)が黍之丞(の中の人)の悪口言うの聞きたくありません」が、余りにもオタクの心でニコニコしちゃうのです。
だいぶ先の話ですが、最終的に自分が担当した英語講座テキストで、おゆみちゃんと黍様の結婚までを祝福とともに入れられたあたり、ひなた先生の「夢を叶えたオタク」感がすばらしい。
・初美さんが結婚前に勤めていた そば処うちいり。 いかにも時代劇好きなモチーフに溢れているし、メニューにさりげなく「条映定食」なんてものもあるしで、恐らく作中で描かれた以上に条映関係者が出入りしていそうなのを考えると、あの色紙も案外、店に常備されているものかもしれない。
・すみれさんと赤螺家のサインを巡るコントと、あの商店街の名前ももう思い出せないほどの歳月を背負った赤螺母子と ひなたとの語らいが別レイヤーで進むうち、「何の話やったっけ…?」にストンと落ちるここのシーンは何度見ても可笑しいし、構図がよく出来てる。
そして、この時点では単にクスッと笑えていた「奉行所へ引っ立てんと」が、あのどん底姉弟の哀れ合戦に繋がっていることを噛みしめる。
・それにしても、ただスーツで廊下を歩いている後ろ姿だけでも美しい菊之助さんも、20年前の『妖術七変化』の殺陣をひとり黙々と再現する姿だけでも情念が迫ってくる松重さんも、プロフェッショナルだなあ。
ここから来週再放送の第17週後半は、ひたすらモモケンと虚無さんの配役ありがとう…!とひれ伏すの回。
・ところで、『おむすび』来週分から花ちゃんがチビひなたの子役さんに変わるということは、『カムカム』最終週時点=2025年春に岡山の喫茶店で仲良く朝ドラ見る老夫婦が、「花ちゃんの新しい子、何やひなたが小さい頃に似てるなあ」「ほんまやねえ」と笑い合うの図を想像できるわけですね。幸せ。
#081 3月17日(月)
・ひなたのラジオ英語講座の挫折以来しばらく姿を隠していた英語を、こうして久々に『カムカム』作中に登場させたのが、謎の振付師ことサンタ黒須こと算太であることに、皮肉を見ればいいのか、それともほろ苦さを噛みしめるべきか。
CMに挿入した文句「Come and~」を自ら口にしたとき、妹と姪が毎日ラジオを聴きながら歌っていたあのタイトルは頭にかすめなかったのかな、算太。けっしてそこも安心できる居場所ではなかった、でも妹や姪を可愛く思っていたことに偽りはなかった雉真家での記憶と、分かち難く結びついているだろう、あのタイトル。
・算太が踊る姿に「楽しそうですね」と無邪気に笑うひなたの表情が、同じことを兄に言った安子の子役時代にそっくりで、ここは本当に何回見てもドキッとするんですよねえ…。
後の回で算太が ひなたに「妹を思い出す」と語るよりもずっと前、この頃から、ひなたに勝手な(まだ身内とも分かる前だから本当に偶然の勝手な)追慕を密かに重ねている算太のチクリと痛む胸の疼きが、伝わってくる。
・「サンタ黒須」というこの一見ふざけた芸名、音で聞けばサンタクロース?駄洒落?とそっちに気を取られるし、字で見れば「黒須」のほうが本名かと思うしで、仮にひなたがこの男のことをいつもの調子で家族に話しても「サンタクロースって変なおっちゃんで~」となって、気付けなさが絶妙。
第80回のうちいりで赤螺母子が話した、もう思い出せない和菓子屋と悪ガキの遠い記憶と同じく。
繋がりそうで繋がらない ひなた編と安子編との距離感に、改めて作中で流れた時間の厚さ、そしてこのたった数十年が何と変化の激しい歳月だったかを思わされる ひなた編中盤。
・公開から20年後のリバイバル上映でもやはり「訳分からん」ストーリーと言われてしまう『妖術七変化』が、それでも時代劇を愛する若者2人が見れば、まず感想が「殺陣が凄い」「虚無さんかっこいい」になり、オタクとして最高の至福【語彙を失う】状態になることに、一つの作品と演者が報われた瞬間を見て、ちょっと涙する。
・腹が減って倒れるほどなのに、ひなたにポップコーンをおごる五十嵐。2周目で気づくのは、やはり五十嵐はこういう「武士は食わねど」マインドの痩せ我慢を、特に女性に対してしちゃうタイプなんだなあ…と。それが、チケットの貸しを返す義理堅さとして長所になることもあれば、やがて”恋人”への意地っ張りという短所にもなっていく、ブレなさを思うのです。
・今日の再放送分のNHK+画面のサムネが、この『妖術七変化』を見た帰りに同じ顔でポ~ッとなっている ひなたと五十嵐の2人なのが、とても可愛い。
やはりこの2人、沼の同じ深度を泳ぐ解釈一致オタク同志として、いいコンビなんですよ…。
・ひなたが男の子=五十嵐と映画を見に行ったという話題を、るいとジョーがさらっと話している雰囲気も、とても心地よい。ひなたの分かりやすい初恋を静かに見守っていたチビひなた編からずっと変わらない、大月夫妻と子供たちとの程よい距離感。
あんなに娘大好きなジョーお父ちゃんが、ひなたが男の子と映画を観にいったと聞いても変な動揺なんかせず、晩ごはんも共に和やかに囲む姿に、るいの「なってあげて、この子の大好きなお父さんに」を全力で守ってきたジョーさんの善き人間性を感じるのです。
大阪編で、自身の出自に人知れずコンプレックスを抱えながらも、「ええとこ子」であるトミーやベリーと対等に付き合えていたのといい、やはりジョーさんは自他境界がしっかりしているんですよね。
桃が産まれて数年。第93回で告白していたように、この頃のジョーさんは、音楽のことは一旦吹っ切って、ひなたと桃のお父ちゃんとして生きようと思い定めてる頃ですけど、子供たちが人生の目的になっているとはいえ、子供たちとの良い距離もちゃんと保っている。
そこにはもちろん、自分や るいがかつて竹村夫妻や木暮マスター、そして最初に定一さんからも受け取った愛情を、五十嵐くん含む次の世代へ渡している優しさもあるはずで。
安子編・るい編から見てきたからこそ感じるこの温かなリレーも、ひなた編で特に好きなところ。
#082 3月18日(火)
・ひなたと五十嵐がまるで兄弟弟子のように並び、実質的師匠の虚無蔵さんが初めて”現代語”を喋るのを正座で聞く。この3人の関係性が現れていて、いい構図。
ひなたと五十嵐にとって虚無蔵さんは今や『妖術七変化』のあの凄まじい殺陣をした仰ぎ見るべき存在ですけど、その虚無蔵さんが、モモケンに「わしも受けますわ」ときっぱり言ったのに続き、教え子のひなたと五十嵐にも同じく、時代劇言葉の鎧を脱いだ素の関西弁で過去の悔恨を打ち明けるところに、虚無蔵さんの「侍」らしさが現れている。
御前芸比べ…もといオーディションを受ける同士として、五十嵐という個人を対等に見てくれている証だ。
・初代モモケンが息子との共演を拒否した真意が結局何だったにせよ、上層部がもともと父子の和解を狙っていた企画で、そのもくろみ自体を一方の本人が拒否しちゃったら、せめて団五郎の代わりに誰か有名役者を…と上層部が思っても誰も引き受けたがらんだろうし、初代モモケンに名指しされた若き日の虚無蔵さんにとっては、身に余る大抜擢という以上に、もはや拒否権もなかっただろうなあ。
そして、「(息子)よりいい役者」という高評価を肝心の虚無蔵さん本人に伝えていなかった初代モモケンも、『妖術七変化』公開当時はまだ50歳手前だから、まさか自分の急死で虚無蔵さんが映画”失敗”後の庇護者を失い、つらい立ち位置になる未来なんて思わなかったはずで。
ここにも、失意のピタゴラ装置が。
・とはいえ、たとえ虚無蔵さんが自身のNG連発とカット編集を映画の敗因だと未だに考えているとしても、あの初代モモケン畢生の「日本映画史上類を見ない圧巻の立ち回り」は、息子より「よほどいい役者」だと認めた虚無蔵さん相手だからこそ可能だったのも、真実なわけです。
初代から自分への高い評価を知らぬまま、自身の抜擢を「団五郎さんへの一世一代の当てつけ」と今も思っている虚無蔵さんに、安子とるいのすれ違いが切なく重なる。
・ひなたが五十嵐のためにしてやれることは、立ち回り稽古ではなく、回転焼きを焼くことだった、というところで、ひなたがなりたい「侍」の答えも徐々に輪郭が現れ始めてきたなあ。
刀を振るう直接的な姿ではなく、毎日コツコツ何かを積み重ねることが、ひなたにとっての「侍」だという。
18年間手伝いをしなかったためにその機会が訪れたとき焼けなかった熱々の回転焼きを、改めて五十嵐の注文どおり焼き、店の商品として堂々と売る。
それは単なる応援以上に、五十嵐にとってずっと支えだった大月の回転焼きにも、その回転焼きに励まされここまで頑張ってきた五十嵐の努力にも、敬意を払うことなんですよね。あなたの努力に見合う努力を私も私の領分でする、という。
稽古に励む五十嵐の手にできたマメのように、ひなたの手にできた火傷の跡が、微笑ましい。
・本放送時の感想再掲。
本放送のこの頃、ラジオ英語講座というテーマが直接姿を見せなくても特に気にならなかったのは、『妖術七変化』とモモケン周りの物語はもちろん、五十嵐という若者に示す るいジョー夫婦の愛情や、虚無さんの「日々鍛錬を忘れぬ」精神など、安子編るい編と地続きの時間がしっかり感じられたからなんですよね。
そして2周目で見ると、やがて全てが収束していく手前の段階で、ひなたが大好きな時代劇の世界でゆっくり着実に、いつか再びラジオ講座に向き合うための基礎体力をつける大事な時間だったんだなあと改めて。





