ミュージカル『七色いんこ』
2024/10/04(Fri)13:10

ミュージカル版『七色いんこ』 9月29日大千穐楽を配信で視聴。

2018年舞台版は残念ながら見られなかったんですが、当時見た原作ファンの皆さんの感想がどれも熱量高い好評ばかりだったので、今回の再演(?というのか再構成版というのか)は、それを遂に見られる~と楽しみだったのです。
というわけで大千穐楽、おお、お噂はかねがね……と正座の気持ちで観始めたら、めくるめく七色の感情に飛ばされ、気づいたら涙ぼたぼた。
えー、いや、期待を飛び超えてすごかった。舞台として素晴らしかったのはもちろん、原作(厄介)ファンから見ても、『七色いんこ』をこう解釈し、具現化してくださるのか……!とひれ伏したくなる作品でした。

だってもう、あれ全く誇張ではなく、いんこと千里刑事が板の上に生きてましたよ。陽介くんとモモ子ちゃんの青春が舞台の上に再現され、そして伝説の天才芸人トミーが降臨していた。拍手喝采。うわーん、舞台ってすばらしい。

 

原作ファンとしてまず痺れたのは、原作全7巻を2時間に収めるまとめ方。
拾うのは「ハムレット」回と「青い鳥」回、そして「終幕」だけに絞り、しかも後半ほぼ1時間が「終幕」陽介の過去という思い切った構成。
このドタバタ追いかけっこな前半とシリアス謎解きな後半との温度差で、見終えたとき前半の意味もひっくり返っているギャップ自体が、実は原作の読後感そのものですし、また、原作『七色いんこ』の通奏低音である いんこ=陽介の復讐譚をくっきり浮かび上がらせる強い芯が脚色全てに貫かれていて、ストレートに胸に迫ってきました。

改変の仕方も、細かいところに技が効いてて面白かったですね。
例えば「青い鳥」パートで、原作の車をアンドロイドにしたのは、舞台上での表現の都合も恐らくあったのかなと思うんですが、その変更で、同じ言葉を繰り返すアンドロイド陽介の様子に「ゴドーを待ちながら」回のオルガが垣間見えたり(そして、生みの親ゴドーを慕い続けるオルガと、親を憎み続ける陽介との差異が鮮やかになる)、息子の面影をアンドロイドに映してでも取り返そうとする鍬潟隆介の歪んだ愛に天馬博士が重なったりと、かえって手塚マンガ度が濃くなっているのが手塚ファンとしてすごく嬉しかった。
(あともう一つ、ここで青い車を陽介アンドロイドにした妙味を感じた点があるのですが、それは後述)


そして、前半「ハムレット」「青い鳥」パートでアンサンブルの隙間に混じり、物言わぬトミーが影法師のようにパントマイムで動き回る演出。

これ、いんこがメタな語り手を兼ねる後半「終幕」パートとのきれいな対比であると同時に、トミーの青いカツラをかぶって役者している前半いんこの傍らにも、実はずっと師匠トミーが居てくれたのだという、舞台ならではの嘘(=客には見えるけど舞台上の人間には見えてないことになっている黒衣の役割)だから出来る、ものすごく優しくて切ない幻じゃないですか……。

ミュいんこの横に玉サブローはいないけど、トミーの魂は居たんですよ。
いつもの喫茶店でいつものコーラを飲むたび、トミーが微笑んでたんだ。

同じ青いカツラで同じシルエットのトミーといんこ2人が、前半と後半で同じ影の役割を果たし、前半の「ハムレット」を見る鍬潟隆介、後半のベトナム戦争風刺劇を見るバーミンガムとで同じ構図をつくり出したとき、トミーの「役者は役者のやり方で戦う」反骨精神の教えが完成する。
ここが重ね方として余りにも見事で震えましたし、トミーから継いだその役者魂を背負って最後の舞台へ上がっていく いんこの背中が、演じる七海ひろきさんの佇まいも含め、締め方として完璧でした。

で、その締め方がきれい過ぎるからこそ、このまま物語がすっかり閉じる=いんこが死んでしまわないか不安になり、千里刑事と同じく止めたくなるのですが、その少し前、千里刑事の記憶が戻る場面で、いんこと千里刑事の脇に陽介とモモ子もいたことが、ほのかな救いにもなっているんですよね。

『七色いんこ』は、本来守られるべきなのに守られなかった子供2人が、トミーと千里パパという然るべき保護者に出会い、育てられ、人生を取り戻していく物語だとも思ってまして。
原作だと、記憶を取り戻した後に果たして千里刑事の中で「モモ子」人格とはどう折り合いをつけているのか不明なんですが、原作では絵として描かれなかった「陽介」と「モモ子」の再会がミュでははっきり描かれ、昔どおり幸せな演劇談義をして手をつなぐ2人が今のいんこと千里刑事を見つめる構図は、まさに私が見たかったものなんです。

一方が消えたわけではなく、一方に飲み込まれたわけでもなく。
いま泥棒役者と刑事として元気に生き、覚悟の舞台へ向かう2人の中で、大切な場所に息づいている「陽介」と「モモ子」は、悲しみと復讐だけの子供では決してないはず。未来を幸せに歌い上げていた2人の子供が、いんこと千里刑事の一部であることで、日が差す希望。
これもまた、舞台ならではの嘘(=違う時系列を同時に舞台上に存在させる)だから出来る、優しい表現だったんじゃないかと思えるのです。


優しいといえば、今回ミュの脚色ですごく嬉しかったのは、クライマックスでいんこ単独公演のチラシを配る「ハムレット」パート土方先生の再登場。
確かに、今までいんこ代役で救われた演劇関係者たちなら、この舞台に力を貸す人がいてもおかしくないんだなあと気づきが得られました。原作でいえば、「森は生きている」回の先生たち、「どん底」回の劇団東光メンバーも、案外面白がって駆けつけてくれるかも。
父への復讐を果たす劇場の大入り満員は、いんこの稼ぎ50億をつぎこんだ=父の教え(金こそ全て)を実践し返してやった皮肉だけでなく、役者としての いんこが確かに演劇の世界で愛され評価されてきた証しだとしたら、とても素敵な話じゃないですか。


もう一つ、脚色の膨らまし方として、特にハッとしたところ。

トミーに弟子入り志願した陽介が初めて演じる「悪者」のモデルが、原作だと明確ではないですが、ミュでは明らかに父隆介の物真似なんですね。ここの解釈、そうかそれもあり得るか、うわーと頭抱えました。

だって、もしこの後もトミーとのコンビで陽介が演じ続ける悪者紳士が、たとえアレンジ加えたとしても隆介ベースから始まってるとしたら、トミーのダメ出し「ただ面白おかしくやってるだけ」「悪役が最後に笑われるときは客にザマーミロと思わせなきゃならん」「憎ったらしさが足らねえ」が、実は演技以外の面でものすごく重い意味になりませんか。

トミーの場合は、もとから面識のないバーミンガムに対し、戦争の後は当然憎しみしかない。最高に憎ったらしく「ザマーミロと思わせる」悪役を演じるのは、いつでも準備万端だったでしょう。
しかし陽介がいつか標的とすべき相手は、実の父親です。特にミュ陽介くんは、高圧的な父にビクビク怯える演技がすばらしく巧いので、父に支配され、やっとの思いで逆らい得た友さえ残酷に奪われたトラウマは、さぞ深かろうと。

原作では、演技の基本は「観察」だという教えが繰り返し出てきます。
NY時代、トミーとの2人芝居で父の物真似がベースの悪役を演じ続け、それがただ上っ面の「面白おかしく」から「憎ったらしい」実在感を持つまでに進化していく過程は、陽介少年にとって、日本では結局最後まで勝てなかった、もしかしたら思い出したくもない父と向き合い、笑いのめしながら徹底的に分析、客観視、相対化し、冷静に対峙できるようになるまでの、一つのリハビリだったんじゃなかろうか。

原作で、2人芝居での悪役を初めて新聞評に褒められた夜、久々にモモ子の夢を見たあのエピソードも、トラウマだった父を一つの役へ冷徹に落とし込めて初めて、それまで父の記憶に付随し封じていたものをやっと開くことができた、起点だったとも見える。

陽介は元来、我利也や古武良にあそこまで綿密に復讐を果たせる理性的な(執念深いともいう)子です。それがモモ子のときには、父を人殺しと詰り、無鉄砲に飛びかかることしかできなかった。それほど大きく勝てなかった父の存在。

父の支配から逃げるので精一杯だった無力な子が、自らの力で戻ってきて用意周到に復讐の舞台を準備するまでになる。ミュいんこが最後の舞台開幕前に歌う「俺は憎しみと恋で理性守ったハムレット」のとおり、今度こそ理性的に練り上げられた計画。
その落差の間にあるのは、ただ役者として自信を得た成長だけでなく、父を「悪役」として演じ客を笑わせ客観化し続けた過程だったのかもしれない、と想像すると、トミーが教え いんこが実践した”役者の戦い方”に含まれるものの峻烈さを、しみじみ思うのです。
狂気を装うハムレットが、実は全く冷静で醒めているように。


原作『七色いんこ』が持つ、名作古典演劇の本歌取り、シュールなギャグ、ほんのりミステリ、痛烈で切実な反戦テーマ、そして少年の復讐譚という複雑で多層的な魅力をそのまま再現した脚色。
キザな風来坊の七色いんこ、チャーミングでパワフルな千里刑事がそのまま板の上に現れていて感動的だった主役お2人はもちろん、繊細な中に爆発的な何かを抱えている陽介くんも、彼が体現する過去と今のいんこをスムーズに結ぶトミーの存在感も、隅から隅までぴったりだった配役。
題名にちなんだ七色の枠がぐるぐる回転するたび、空間を区切り、時間をつなぎ、過去と未来が重なっていく演出ギミックの面白さ。(この枠が舞台中央でぴったり重なった中に登場人物たち全員が収まるクライマックスの図は、手塚マンガでよくある中央に向けて枠が何重にも収斂していくコマ割りにも見えた)

何より、手塚先生がこのマンガを描かれた理由(コミックス折り返しに記載)、読んだ人がひとつでも劇を見たり読んだりしてほしいという願いそのままに、ああ舞台っていいなあ!と素直に思える作品でした。
全ての関係者に感謝したい。円盤出ないかな。

 


 

ここからは、ちょっと妄想というか、いらん深読みというか。

初回が「ハムレット」から始まる『七色いんこ』は、ラストがその息子の復讐で終わるので、初回だけでなく全体のテーマが『ハムレット』だとも言えます。

今回、2時間にぎゅっと濃縮されたミュ版を見て思ったのですが、「青い鳥」のじっちゃんの部分は、もしかして『ハムレット』における墓掘りの場に相当するのではと。
この稼業を始めてからの歳月を誇り、鍬潟家のお坊ちゃんをよく知るじっちゃんは、『ハムレット』における墓掘りによく似ている。

そして、じっちゃん=墓掘りだとしたら、今回ミュでいんこがじっちゃんに聞くのが、車ではなくアンドロイドの部品になっていた改変の妙味が増します。
いんこが、じっちゃんに教えてもらう写真の部品は、実は父が自分の代わりに造っていたアンドロイドの一部。ハムレットが墓掘りに旧王の道化師ヨリックの頭蓋骨を見せてもらうかのように。

強権的な”王”である父の下を離れ、道化役者となったいんこが、道化ヨリックの頭蓋骨ならぬ、自分そっくりに造られたアンドロイドの部品を見ることで突きつけられたのは、もしあのまま父の傍にいたならば、父の傍で別の意味の”道化”になっていた自分の未来なんでしょうね。
王の傍で儀式化された反抗という狂気を演じ王の権威を茶化しながら、実は王の権威を補強し周囲に確認させる道化。倒されない王という約束事の籠に囲い込まれた鳥。鍬潟隆介が望んだのはそんな息子=道化だったし、『ハムレット』はそのおなじみの道化が最初から死んで王の傍に不在だからこそ、ハムレット王子がその狂気を装い、演技から外れた行動へ駆り立てられていくのですが。

そんな意味でも、あのアンドロイド改変はとても滾りました。
(それにしても陽介くん役の方、アンドロイド演技が巧すぎて怖いぐらいだった)

 


以下、上に書ききれなかった感想を思いつくまま羅列。

 

・じっちゃんのアドリブ「手塚先生ありがとう」と観客からの拍手は泣く… 配信チケット買うのを大千穐楽にして良かった。
原作者が本当に至極真っ当な扱いを受けているメディア化で、救われる命がここにあります……

 

・いんこ取り逃がしたことより、ハムレット見られなかったのを残念がる、演劇通の小田原刑事かわいくて大好き。千里刑事への食い気味ツッコミも大好き。
ちなみに2000年版(いんこ稲垣吾郎さん・千里刑事宮沢りえさん)舞台でも小田原刑事が、大学時代は演劇してましたあ!と劇団へウキウキと潜入捜査する役になっていたので、小田原刑事を演劇ファンにするのはもうこれ伝統なのかもしれない。

2000年版は『シラノ・ド・ベルジュラック』をベースに、男谷/いんことクリスチャン/シラノを重ね、千里刑事(原作より落ち着いてて、男谷に好意を抱き、折りに触れ彼の励ましを思い出してる)がいんこの正体を知り結ばれるまでの紆余曲折がメイン。隆介も実は側近らの傀儡にされている設定だったので、いんこの復讐という側面は薄れていた記憶。
同じ原作で、同じ舞台という形でも、やはり脚色によってどこを拾うかで大きく印象が変わるもんだなあと記憶を反芻しています。


・題名『七色いんこ』に合わせてなのか、各パートで歌や衣装がはっきり色分けしているのが、配信見返していると楽しい。
(1)ハムレット稽古 いんこに一目惚れした千里刑事 「桃色の象って見たことある?」   ※桃色=モモ子のにおわせもさりげなく入ってる
(2)ハムレット本番 血の色で赤
(3)青い鳥パートの導入部 喫茶店で「ブルーな気持ち」青
(4)じっちゃんの俺ん家=Oh!レンチ=オレンジ 黄昏に染まる陽介の回想
(5)クラブ夜の女王 黒色
 ※ここでイナコが歌う「No color」がラストで「Prism color」に変わるのも好き
(6)終幕パート導入部 「染まりゆくバイオレット」 隆介のスーツが過去編は紫色に
(7)我利也を騙す陽介 変装と歌「バナナミルク」で黄色基調
 ※同じ歌が、今度はモモ子と陽介の本当の恋で「カラフル」に繰り返される
 →そしてトミーの「カラフルにやろうぜ」「ビビッドに生きろ」、記憶を取り戻した2人のデュエット「True color」へ。
よく聞けばもっとあるかもしれない。これパンフを買ったら歌詞も載ってるのかなー。


・ラストで「俺の名は七色いんこ」と名乗り、舞台へ向かういんこ。
これ、チャンピオンコミックス単行本1巻だけの折り返しコメントそのもので震えた。
チャンピオンコミックスの折り返し、普通は先生の作品に対する解説なんですけど、『七色いんこ』はなぜか1巻だけ、七色いんこ本人の台詞になっているところに先生のいんこに対する思い入れを感じて大好きなのです。もしこれを意識された台詞だとしたら、とても嬉しい。


・ミュの千里パパ、いんこの過去を知る直前の万里子に「そのとき彼女はまだ知らなかった」と大仰にナレをつけたり、最後の舞台では警備を厚くし「これ以上あの子の前で誰も犠牲にはさせない!」と叫んだりして、たとえ娘の記憶が戻っても万全の体制で守る!!姿勢が強くて惚れる。千里親子大好き勢勝利。
昔のブログ記事で書いたように、千里パパが実は【男谷=陽介=いんこ】の図式を全て承知の上で万里子を七色いんこ担当に配属してたのだとしたら…というIFは、個人的に長年かなり推してる説なのですが、ミュの千里パパもそう思わせてくれる余地がありませんか。そう思うの私だけですか。
「青い鳥」パートラストで隆介を署に任意同行?するのも、あれ単に刑事部長として以上に、万里子(=モモ子)と両親を傷つけた可能性が高い男を睨む父親の顔にも見えたなあ。(刑事の彼なら、朝霞一家が事故前に受けてた脅迫、その直前に朝霞記者が書いた記事から黒幕に気づきそうだし)

とりあえず、終幕ラストでいんこのため警戒線を張る千里刑事=モモ子を、さらに全面バックアップする千里パパは、原作ラスト見開きの隙間に長年幻視してきた妄想もとい構図だったので、それがそのまま理想どおり見られて幸せ。


・配信で2周目(後半の配役を知っている状態)で見たら、冒頭「ハムレット」パート最初の稽古シーン、クローディアス王を演じてたのが陽介くんと同じ役者さん、ガートルード女王を演じてたのが古武良先生と同じ役者さんだったことに気づき、うわああとなりました。
ミュージカルだからアンサンブル配置の意味もあったのかもしれませんが、単純に役者さんの繋がりで考えると、舞台上でこれから糾弾すべき父=王を演じている陽介くん、その同じ糾弾と復讐の途上で毒を仰がせる古武良先生という構図になっていて、なかなか。

ついでに、オフィーリアはモモ子ちゃんの方だし、オフィーリアの兄で最期に決闘するレアティーズも我利也の方ですよね。オフィーリア=モモ子ちゃんなのは、この後で千里刑事の心の声を被らせる意図もありそうだけど、レアティーズが我利也くんなのは、何度転生しても陽介にやられる運命なのか…と思えて、ふふっとなる。

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