『MIU404』第9話で、とても心に残る場面があります。
芝浦署からの帰り道、メロンパン号から見える遠くの高層ビル群を、ただの風景としてではなく「窓の明かり一つ一つに人がいて暮らしてる」と愛おしげに語る伊吹。
行き交う人や情報の圧倒的な量を前に、ともすれば個人がマスの中へ埋没し「Not Found」になりかねない都会で、せめて目前だけでも手を伸ばそうと走る伊吹たちの善性が現れていた会話であり、またその温かさこそ『MIU404』の通奏低音でもありました。
『ラストマイル』の冒頭、ふとそれを思い出したのは、おそらくそれと真逆のものをがんがん突きつけられる幕開けだったからでしょう。
宅配トラックは道路を動く小さな光の点となり、線となり、やがて無機質な模様になっていく。モノレールやバスは大量の人々を運び、物流センターの受付は千人単位の派遣労働者を行列とレシート番号で手際よく振り分ける。そして倉庫の内側には気が遠くなる幅奥行き高さで整然と並ぶ商品、商品、商品。
オフィシャルブックで満島さんが「寒々しさも含んだリッチさ」と表現されていたとおり、スクリーンいっぱい押し迫ってくるまさに映画ならではの物量で、システマチックに機能し、止まらないことを至上とする巨大な構造がこの『ラストマイル』という作品のベースだと認識できるオープニング。
ここから終わりまでもう息つく暇もないジェットコースターが始まるのですが、物語の根幹がそもそも「止まらない世界」に対する苦い問いでもあるので、そんな物語のテーマ自体も容易にするりと入ってきます。語り口と物語が合致している映像作品は、見ていて気持ちいい。
(『CUT』の鼎談で野木さんが、この脚本は塚原監督チームだから渡せる話だと、監督ごとのカラーを考えて脚本を書いている話をさりげなく語っていたのにも通じる)
そして、本作の主人公エレナ。
『アンナチュラル』シナリオブック後書きで野木さんが、お仕事ドラマの女性主人公が天才肌傍若無人タイプか一生懸命ドジっこタイプに二分されてきた現状へのアンチテーゼとして、「奇抜なことをさせなくても、ふりかかった出来事に対して、どう受け答えするか、どう行動するかで、キャラクターは描けるのではないか」と書かれていたとおり、エレナも野木脚本の登場人物らしく、とにかく頭は切れるものの、決して奇矯なキャラクターではない、常識の範囲内における一般的しごでき社会人です。
彼女が朝のモノレール内でふと目に入った広告を見つめる眼差し(これが中盤で別の意味に解釈できる仕掛けが巧い)、駅から車で送迎され派遣社員たちと別ルートで事務所に入ることに慣れた様子、出迎えた部下・孔へ向ける言葉や仕草一つ一つ。そして微細なズレ。
映画の冒頭、デリファス社の概要がてきぱき語られるいわば説明パートで、それに「どう受け答えするか、どう行動するか」でエレナの人物像も同時に立ち現れていく、ここの手際よさからもう野木脚本✕塚原演出全開ですし、またその速度で設定を飲み込んでいるうち、いつの間にか見ているこちら側の意識もこの映画の「止まらない世界」に巻き込まれているのです。
エレナがたとえ優秀でも普通の人間だからこそ、巨大なシステムの寒々しさと、今更それを止めようもない個人の小ささ、歯がゆさが際立つ。
爆弾事件が起ころうと、警察が踏み込もうと、現に今動いているシステムは容易に止められない。コントロール室に表示される倉庫稼働率はコンマ単位で上下し、羊急便関東局には本社・デリファス・現場から電話とFAXが押し寄せる。末端は昼休みも惜しんで配送1個150円の稼ぎを増やそうと走り、メディカル便のように届かなければ人の生死を左右する荷物だって確実にある。
少しでも迷って立ち止まれば、僅かな停滞がシステム全体に波及するプレッシャーの中、先へ先へ手を打ち続けていくエレナは確かに切れ者で、肚が座った「止めませんよ、絶対に」はカッコよくも響くのですが、同時に、この止められない構造の周縁で死傷者が出ている重たい事実が、ざらりと冷たい違和感としてつきまとい続けます。
その観客側が抱く違和感が、エレナと「山崎佑」の正体が明かされる絶体絶命の中盤ヤマ場を経て、作品世界の中でも、人が死のうと止まらない世界への真っ当な違和感として収まるべきところに収まり、改めてエレナたちと観客側との間で共有されたとき、エレナの怜悧な仕事ぶりに漂っている奇妙なズレの正体(=一度限界超えてドロップアウトしての復帰直後)がカチッとハマり、後半へ傾れ込んでいくフックになるのが、感情コントロールとして実に巧かった。
荷物を止めないため働いてきたエレナの有能さが、今度は「いっせーのせ」で荷物を止めるため発揮される。切れ者上司五十嵐の思考を先読みし、周到に根回しした交渉の武器を矢継ぎ早に出していく様は、今度こそ間違いなく痛快。
オフィシャルブックで野木さんが、末端の人間が頑張る「いい話」だけではもう限界がある、上の立場の人が真剣に考えて動かす物語を今回は描いたと話していたように、ここは羊急便の皆がストライキするだけでは駄目だし、またエレナや五十嵐がデウス・エクス・マキナになっても駄目だったんですよね。
現場の皆が一致して声を挙げることと、同業他社まで見渡しそれをまとめ上げる人間との双方がが噛み合って事態が動いたこの連携はある種の理想として描かれていたと思うし、交渉結果が羊急便の現場に告げられたシーンは、爽快なカタルシスがありました。
ストライキが明け、また動き出す羊急便の晴れやかな朝。野木脚本の大人たちは基本的に皆、自分の仕事が好きな人たちだ。(だからこそ正当な報酬と待遇を得なければいけないのですが)
しかしそこまでして、もぎ取った結果は荷物1個20円アップという落とし所が、やはりこの映画らしい現実的苦さなのでしょう。
そして、「止めませんよ」と宣言した言葉が自身に返ってくるのを受け止めるかのようにエレナは、過去の罪に追いつかれた五十嵐に「私もあなたも同じレールの上にいる」と告げます。あの日の五十嵐と同じく、エレナもまたベルトコンベアを止めない側の人間であることに変わりはないのですから。
夜は明け、再び物流は動き始め、倉庫は新たなセンター長を迎えて稼働し始める。やはりこの世界は止まらない。
佐野親子はまた1個百数十円の荷物を粛々と運び続けるし、販売上流からのしわ寄せは恐らくまたいつか末端に来るし、優秀なエレナはきっとまた別のどこかでシステムを上部から見渡し「止めない」ための職に就くでしょうし、日ノ本電機は倒産したままで洗濯機も永久に直せない。
それでも。山崎佑がベルトコンベアに飛び込んでも変わらないままだった残酷な世界とは、小さくても何かが変われたはずだと、そう思いたい。
それぞれの場で働く人々がちゃんと報われるように。誰かがシステムに押しつぶされないで済むように。
「窓の一つ一つに人がいて暮らしてる」と見出す伊吹の善性も間に合わないスピードで動いていく不可逆の世界。僅かな停滞が全体に波及していくほど密接に組み上げられた巨大システム。
しかし、それが止まらないのであれば、小さなさざ波が別の意味でシステム全体へ波及していくのだって可能ではないのか。倉庫を飛び出し、羊急便と他社を結びつけ、声を届けたエレナのように。
そうしてあのロッカーの鍵は、そんなさざ波の可能性として孔と観客に託され、映画は終わるのです。繋がり続ける世界で、あなた自身が「ラストマイル」をどう走っているのか?と。
2時間ノンストップで見せるエンタメ性と、見終わったあと何時間も考え込んでしまう社会との接続性のバランス。複雑に二転三転するストーリーを見やすく整理していく演出と、圧倒的物量でどかんと見せる説得力。
新井P✕塚原監督✕野木脚本トリオの新作、しかも映画という媒体として、見たかったものが予想どおり期待以上に得られる作品でした。
『ラストマイル』の目玉でもあったのが『アンナチュラル』『MIU404』とのシェアードユニバース。
今回、映画としてのバランスを感じたのは、確かにUDIやMIUメンバーは登場し活躍しますけど、『ラストマイル』のサスペンスストーリーとしての根幹は、実はUDIやMIUメンバーでなくてもちゃんと成立するように出来ているんですね。
被疑者のマンションに乗り込み、部屋に残る女の気配からエレベーターの監視カメラ画像にたどり着くのは、404の2人でなく優秀なモブ刑事でも繋げられるラインですし、爆破事件の犠牲者が部屋の借り主「里中浩二」でなく”彼女”だと明かされるところだって、解剖の結果だけが捜査本部に伝えられたとしても、十分どんでん返しで話は通じるでしょう。
それでもやはり、被疑者どころか実は5年間も植物状態だった山崎佑を最初に見つけ、そこに至る経緯を聞くのが404の2人であったことにどこか安堵するし、自らの体を炭にするまで追い詰められた筧まりかの遺体を解剖し、彼女の”声”に耳を傾けるのが、その復讐のど根性を肯定する中堂と否定するミコトの2人で、せめて良かったと思えるのです。
山崎佑の件で夏代さんが担当弁護士だったのなら、山崎父が自ら取り下げない限りきっと誠実に取り組んでくれてたのだろう(だからこそデリファスのやり方が周到で犠牲者が口をつぐまざるを得ないものだった)と分かるし、メディカル便を病院に届けたバイク便が白井くんなのも、陣馬さんの若い相棒が勝俣くんなのも、彼らがそこにいるだけで実は、この世界が本当は誰でもやり直しができるし、そうあるべきという祈りと希望の象徴に感じました。
あくまでも『ラストマイル』の本筋は、エレナと孔たちの物語で、爆弾事件を軸にしたサスペンス。
それでも、様々な立場の人が入り乱れる『ラストマイル』で、各パートにUDIやMIUのメンバーが絡むとき、ドラマ視聴済みの人にはそこに言外の厚みが見える、この塩梅がとても品が良かった。
『MIU404』第8話のUDIゲスト出演時も、『アンナチュラル』を見ていなければ解剖結果に不審な点があっただけで話が通じるし、見ていれば、UDIと中堂がなぜ「連続殺人」に並々ならぬ思い入れがあり、多少無理してでも調査するか分かり、「連続殺人マニア」の一言で堪らない気持ちになってしまうという、この出し方が本当に巧かったので、今回も信頼していました。
間違いなくお祭りムービーで、今も彼ら彼女らがあの世界で生きて仕事しているのが分かるファンも納得の情報量だけど、ドラマシリーズの人気やキャラクター性に寄りかからない映画として成立させているところに、新井P✕塚原監督✕野木脚本トリオの矜持を感じました。
(そしてできればいつか、またシェアードユニバース作品をお願いします。見たい。)
もう一つサスペンスとして良かったなと思うのは、中盤でエレナが犯人ではないかと思わせる展開、そこからやはり違ったとひっくり返す展開がスムーズだったのはもちろんとして、エレナが犯人でも協力者でもなかったことで、予告で何度も使われていた「止めませんよ、絶対に」が彼女の心からの台詞だったこと。
これ、もしエレナが実は犯人か協力者で、職権を使い復讐を遂げる人物だったとしたら、あの「止めませんよ」から受ける印象をひっくり返される、強い言葉を使えば裏切られるわけで、もちろんそれを狙う作品もありなんでしょうけど、お仕事ドラマの作り手として信頼してるこの座組でそれは別に見たくないし、その信頼どおりで良かったなあと。
サスペンスだから当然の二転三転で気持ちよく翻弄させるけど、決して観客を騙し討ちにはしない作品でした。ここもエンタメ作品としての芯を強く感じた。
野木脚本の大人は基本的にみんな、いい意味で公私の線をきっちり引いて仕事を全うしているのが好きですね。だからこそ、職業人を超えて社会の一員、ひとりの人間としての倫理が職責とぶつかったときの葛藤が生きるわけで。
ここからは、単なる妄想というかたわごとメモ。
オフィシャルブック(P81)によれば、エレナの象徴カラーは赤。
冒頭の初出勤から印象的なコートを着ていますが、回想で語られるNYでの筧まどかとの出会いでも、彼女は赤いコートを着ています。白い雪が降り積もる真っ白な情景に、エレナの赤いコートが映える。そしてまどかが投げかける、山崎のことを「贖う」べきは誰か、世界なのかという問い。
「汝らの罪は緋のごとくなるも雪のごとく白くなり 紅のごとく赤くとも羊の毛のごとくにならん」(イザヤ書1章18節)
一般に、羊の血は罪を贖う代価、白い毛はさっぱり赦された状態を象徴する。
世界を止めたくてベルトコンベアに飛び込んだ山崎佑の白いジャンパー。流れた赤い血。止まらなかった世界。
ベルトコンベアを絶対に止めないと宣言し、筧まどかから山崎の件を聞かされたNYでの話を孔に話すときのエレナは、白いセーター。
山崎のことを誰が贖うのか問うた筧まどかが、羊急便に乗せて運ぶ12個の爆弾は、過去から追いかけてきて突きつける。お前の毛は羊のように白くはないし、流された羊の血はお前のための代価じゃない。
再び赤いコートをまとったエレナは、倉庫の外に出て羊急便に向かう。羊たちの声をまとめ、流れた血の意味と向き合うため。
そしてラスト、センター長をクビになったエレナがコートの下に着ているワンピースは、赤と白の市松模様(この衣装、事前番組のときから可愛くて印象的だった)。入り混じった赤と白。罪と赦しの狭間で、きっと彼女は生きていくのでしょう。誰もが赤と白のどちらにもなり得る、不可逆のこの世界で。
『MIU404』のとき、脚本段階では「赦し」と「許し」がちゃんと使い分けられているぐらい、キリスト教モチーフを上っ面でなくしっかり掴んで入れていたこの座組なので、もしかして12の数字や羊も偶然ではないのかなーと思うのですが、どこまで考えて入れたのかちょっと気になっている。

