カムカム再放送第14週
2025/02/25(Tue)23:29

カムカムエヴリバディ第14週「1965-1976」


#063 2月19日(水)

・「A long time ago(むかしむかし)」で始まった安子編、るい編からぐっと時代が近づき、「not so long ago(少しむかし)」で幕を開ける ひなた編の新鮮な始まり。
この小さな変化は、視聴者(本放送当時で2022年)の目線ゆえだけでなく、このテキストを書いている ひなた先生にとっても、まるでお伽噺や映画のような思いで話を聴いた祖母や母の時代が終わり、いよいよ実感こもる自身の時代へ突入したためだと思うと、また別の感慨が湧く。

・「日本の夏といえば」と畳み掛けるナレーションで、1975年という時代の空気はもちろん、ひなたという子の性格、今の大月家を巡る状況、周りの人々までギュッと語り尽くす15分の構成が、この回は単品としてまとまっていて、実にお見事。
そして2周目で見ると、いかにも藤本脚本らしい軽快な語り口というだけでなく、ああ確かに語学講座テキストの例文らしくもあったんだ、とこの仕掛けにハッとするのです。

・安子が叶わぬ夢として見た父と娘のラジオ体操。るいとジョーが横道からそっと遠く眺めた家族の花火。
のんきで無計画で楽天的という、いかにも年相応の小学生らしい ひなたが、ただただ無邪気に夏休みを謳歌しているだけの賑やかで微笑ましい日々が、実は、るいとジョーが得られなかった、そして安子が必死で取り戻したかったものであることに気付かされる、その尊さ。

本放送のときは、その三世代の物語ならではの感慨にしみじみと浸りましたが、2周目だと、このテキストを他ならぬ成長した ひなたが書いているという設定が、何重にも響いてくるんですよね。
「日本の夏といえば~」と子供時代を楽しそうに回想し、ノリノリで筆を進めながら、その日々をどんな思いで両親が守り抜いていたのか、成長した今だからこそ理解できたことをテキストに込めていく ひなた。安子編のラジオ体操も、るい編の花火も、ひなたが自分の幸福な子供時代につながるものとして、それぞれの編に書き置いたのだとしたら、祖母や父母に対する限りない愛情じゃないですか…。

・かつての父のように吉右衛門が張り切って指導するラジオ体操も、それが安子編では吉兵衛さんがやかましくご近所を統率する”挙国一致”の象徴だったことを思うと、時を経てただ小学生がスタンプを集める夏休みの風物詩でしかなくなっている現在に、しみじみ平和を感じる重ね方になっている。

・だから、二代目モモケン黍之丞の見参や、算数の文章問題へ真面目にツッコむひなたの可笑しさで、テンポよく夏休みの光景を見せながら、そんな日々の夏祭りや夕立や花火と同等に、8月15日のサイレンと黙祷をふと差し込むところが、『カムカム』なんですよね。

サイレンのあいだ黙祷をするたった数十秒だけでも、普段の呑気さと打って変わって神妙に姿勢を正すジョー、きっとこの人も何かを背負っているのだろうと思わせる佇まいの老婦人客、言わずともあの日の空襲を思い出しているのだろう赤螺母子、意味を理解し切れてないながらも真剣な大人たちの様子を見て倣う ひなたや吉之丞ら子供たち、そして目を開け顔を上げたとき、まだ癒え切っていない痛みが瞳の奥から覗いている るいの複雑な表情…と、世代や立場で様々な思いが交錯していて。

今この日は過去とも生々しく繋がっていると示す、百年の物語。ちょうど折り返しの50年地点。

・明日の回で、ジョーお父ちゃんのバックグラウンドが娘の前でふと現れるところもそうですが、1975年という時代が、文化的に一つの成熟を迎えて興味深い時期であるとともに、戦争からまだたった30年しか経っていない時期でもある、そんな座標軸が個人のキャラクターを通して肌感覚で伝わってくるところも、長尺の物語の面白みだなあと思うのです。

・ちょうど今週の再放送『カーネーション』も、サイケだヒッピーだモッズルックだとお洒落や消費が賑やかな70年代前半の空気が描かれる中、不意に立ち現れてくる戦争の残影にハッと胸を突かれるので、この2作品の並行再放送は、偶然も重なりつつ互いに響き合う部分が多く、とても興味深いタイミングだったなあと思い見ています。


・本放送時の感想再掲。
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ひなたの若干のんき過ぎる無計画さも、と同時にすぐ友人へ傘を差し出しに走れる素直な優しさも、いかに伸び伸び育てられた10年だったかというわけで、ジョーがるいの言った「なってあげて、この子の大好きなお父さんに」を全力で守ってきた証左だし、それは裏返せばこの10年、ジョーという人の存在がそのまま肯定され受け入れられてきた証でもある。

ジョーさんがそのまま生きていられる、どこか落語のような牧歌的世界。それは、もしかしたら ひなたが少し脚色を加えた(幼稚園でジョーのことをからかわれた話も少し出てくるので、あえてテキストに書かずにおいた子供なりの辛さもあった可能性)、こうあってほしい望ましい世界だったかもしれないし、もっと視点を引けば、過去作からずっと変わらぬ藤本さんの人間観なんですよね。そして私は、そんな藤本さんの人間観、物語観が、とても好きなのです。



#064 2月20日(木)


・昨日の再掲感想で、京都編ジョーお父ちゃんの落語的存在感について書きましたが、今日の回の、ほんの少し店番をしている間に「お客さん10人ほど」逃してしまうくだりのデフォルメ具合は、まさに落語だったなあ。
そんなジョーさんがそのまま存在していられること自体が、安子編とも るい編とも違う京都ひなた編前半のカラーになっている。

・そして、この呑気でトホホな京都編の空気をまとったチビひなたも、ただ無邪気で何も知らない子というわけではなく、自分の家がちょっと”変わってる”のを自覚し、父のことでからかわれた時期もあったというのがまた、サニーサイドと暗闇の両方を描いてきた『カムカム』らしいのです。
それでも、ひなたが両親にそれをぶつけたり、変に卑屈になることもなく、伸び伸びと育ったのは、るいに守られたジョーお父ちゃんの穏やかな気質が大きいし、ひなた自身の善さでもある。

・というか、戦後の「誰も助けてくれへんで」な時代に、幼い るいを誰にも預けられず背負っておはぎ200個を運ぶなど、一人で何もかも抱え込んで無理した果ての安子の悲劇を見ているので、るいが回転焼きを焼くあいだ家にいて機嫌よく ひなたの面倒を見ているだけでも、ジョーさんが果たしている役割にホッとするんですよ…。
形(もっと有り体に言えば金)にならないことでも、誰かの支えになることはあるという。

・るいが ひなたを叱りつけた後のジョーとるいの会話。これ改めて聞くと、2人の言う「困る」の意味が、それぞれ少しずつ違っていたことに気づく。

るいが言う「この先、ひなた自身が困る」には、勉強をちゃんとやらねば将来困るぞという世間一般的な意味ももちろんありますが、そもそも、ずっと遊び呆ける ひなたを31日まで我慢強く見守っていた るいが、とうとうここでキツく怒らざるを得なかったのは、小4の算数が解けないジョーお父ちゃんを無自覚に傷つけかねない ひなたの態度も大きかったはずで。

だからジョーは、戦災孤児ゆえ勉強する機会がなかった、いわば選択肢がなかった自分を「学校の勉強はろくにせえへんかった」と繊細にズラして語ることで、あえて今のひなたと自分を重ねてみせ、大丈夫だと言う。
かつて、僕といたら「不幸」になると るいを遠ざけようとしたことがあり、そして結婚してからも一度だけ「何にもできひん僕」との結婚を後悔していないか怖ず怖ずと尋ねたジョーが、ここで、るいと家族として生きる今を「何にも困ってへんよ」とあっけらかんと言うのは、るいに寄っかかった甘えた態度というのではなく、「何が私の幸せか勝手に決めんといて」と言ってジョーとの人生を選んだ るい自身へのアンサーなんですよね。

そんなジョーの答えに加えて、さらに ひなたがお父ちゃん大好きな子として侍への憧れを口にしたら、そりゃ るいは「ずるい」と言うしかないよなあと。

安子が血を吐くような思いで孤独に叫んだ「意地悪せんで」が、10歳のお父さん・10歳のお母さんを包むサニーサイドの中で、穏やかな「意地悪言わんといて」にゆったりと上書きされていく。

・そして、るいが下町の商店街で回転焼きを売り、ジョーはテレビの時代劇を見て、娘は侍に憧れてチャンバラに興じるという平凡で穏やかな日常が、実は るいにとっての英語、ジョーにとってのジャズ演奏という、それぞれ心の傷になっているものをまだ慎重に避けて成り立ってきた10年であることにもふと気づく、ひなた編の序盤なのです。


・外でからかわれて泣いて帰ったら、お父ちゃんと見るテレビの時代劇に救われた幼い ひなたは、学校で落ち込むたび、おじいちゃんの工房に行って落語を聞いていた『ちりとてちん』喜代美でもあるなあ。
『ちりとてちん』で、毎日落語を聞ける=日常的な存在という尊さをもって語られた常打ち小屋が、『カムカム』ひなた編ではテレビの時代劇になる。そして、やがてここに、いつでも誰でも聞けるよう常に放送しているラジオ講座も合流してくるんですよ。ワクワク。

・それにしても、ひなたと小夜ちゃんの会話「高潔なんやね」「いや、血圧までは知らん」「高血圧やなくて」は何度見ても可愛らしい。その前に ひなたが語る侍の魅力「私が見てきた侍は、みんな強くて優しくて…こうと決めたことは命懸けでやり遂げる!」が熱いだけに。このストンと落とすテンポも、藤本脚本の楽しさ。
 



#065 2月21日(金)


・ジョーが少年野球の見守りをしながら、ふと思いついたメロディーを書き留める始まり。本放送のときは、ジョーがジョーなりの役割であかね通り商店街に馴染んで受け入れられている、のほほんとした光景に見ていたけど、2周目だとまた見方が変わる。
そして、このシーンと、大月家の第2子(桃太郎)妊娠判明とが同じ回だった構成の意味を、2周目はつくづく考えてしまう。

・第93回で告白しているとおり、この頃のジョーは、まだ医者や治療法を探し続けている最中なんですよね。それは京都に転地したときから るいの強い願いでもあって。
大月の店や家の中、少なくとも ひなたの目に触れる場所にジャズや実演奏を思わせるものは何もない。痛みに繋がるものを慎重に避け、ひなたのお母ちゃんお父ちゃんをしながら、それでも、ひなたが知らない水面下で るいもジョーも音楽をまだ諦めきれていなかったのが、この時期。

・大阪時代のように譜面台と正式の五線譜を前にした形でなくとも、ベンチで真っ白のメモ帳に自然と五本の線を書き出すぐらい、ジョーの中にはまだ音楽が溢れている。その一方で、大阪時代には演奏者として「けがをすると あれやから」と避けていた野球に、見守り役とはいえ近づいてもいるわけで。
焦燥感にも似た音楽への憧憬、実際に再び演奏できることへの諦め、2つの感情がギリギリで揺らぎせめぎ合っているのが、この一見呑気な【少年野球の見守りをしながらメロディーを書き留める】ジョーの姿だったんだなあと、2周目で気づく。

・だからこそ、この同じ回で、るいの妊娠とジョー&ひなたの反応が描かれる。
清子さんが褒めるように家計を担い、しかもジョーがいつか病気を治せる日のため貯金までコツコツしていた、それゆえに現実的な不安も抱いた るいに、ジョーがただ純粋に家族が増えることを「うれしい」と伝えるのは、単なる呑気さだけではなく、僕のことは今は取りあえず考えなくていいから、と肩の荷を降ろさせる言葉でもあったんだろうなあと。
これからは下の子と何でも「半分こ」だと(70年代当時としては上の子に対する当然の感覚で)言われたとき、それを素直に受け入れ、弟か妹ができることをひたすら元気に喜ぶ ひなたと同じく。

第93回でジョーが言うとおり「桃太郎が産まれた頃から」医者や治療法も探さなくなった、「諦めたというか、何か吹っ切れた」境地へ至れるよう、自分をいよいよ切り替え始めたのがこの回の終盤だったことが、2周目ではより伝わってくるのです。

・それを踏まえると、来週火曜日に放送される回(第67回)で、『およげ!たいやきくん』の音楽性をぽつり褒めるジョーと、その話を聞いて戸惑う るいとの図も、また味わい深くなりますね。その辺の感想はまた火曜日に見て改めて書きたい。

・「何とかなる」ギャンブラー気質が現れてきているとはいえ、大阪編でずっと描かれていたように、るいはもともと生真面目で考えこみやすい(そして内側に思考が籠もってしまう)性格でもあるので、一緒に考えこんで深刻にズブズブと沈んでしまうよりも、あっけらかんと全てそのまま受容する明るさのほうが、彼女の力を抜かせる寄り添い方としてはより適切なんだろなあと思う。それを今はジョーと ひなたが担っている大月家。


・それにしても、すっかり親バカな吉右衛門と、お陰さまでなかなか太い子に育っている吉之丞との赤螺父子。ちょっと嫌味な2人の様子すら、先代赤螺父子の悲しい別れを思い出すと平和で微笑ましい光景に見えてくるんだから、三世代物語マジックである。

・そして、そんな赤螺家と比べられても、よそはよそ、うちはうち!としっかり突っぱねられる るいには、舅に言われた生活水準への懸念が棘となり無理してしまった安子ルートからの脱却が、静かに見えました。繰り返しのようで、ちょっとずつ違ってくる次世代。

・開店当初の1965年は1個10円だった回転焼きが、今週1975年になってからは60円に。『値段の風俗史』に載っているお菓子だと、たいやきが65年10円→75年60円に上がっているので、同じような値段変遷なんですね。ほかに、小麦粉やガス水道料金なども同時期で見るとだいたい2~3倍、公務員初任給は約4倍になっている。
昭和の映画やマンガなど見ても思いますが、ひなたが産まれてからの10年がちょうど社会も上向きで、大月家のような生活形態でもギリ「何とかなる」と言える時代だったんだなあと。ひなたの楽天的な性格は、本人の資質や るいジョーの子育てだけでなく、やはり時代の空気も大きいと思う。

・ちなみに、同じく『値段の風俗史』で1975年当時の娯楽関係を見ると、映画館は1,000円、帝劇の最高料金は3,500円、最低は700円。総合雑誌は420~50円。
なので、モモケンのサイン会が1,500円というのは、子供のため店の甘味全種類買ってやれる親バカ吉右衛門にとっては「少々高うつく」程度だし、いっちゃんたちも祖父母から貰うお年玉から出せる範囲だけど、ひなたにとっては遥かに遠い(だからこそ金額の多寡にリアリティがなくて、るいにせがんでしまう)絶妙な金額設定だったとよく分かるなあ。がんばれ、ひなた。
 



#066 2月24日(月)

・もしもこれ、普通にひなた主人公から始まる朝ドラだったとしたら、周りから浮くぐらい熱中するものがあり、熱烈に憧れていた人と遂に対面を果たし、そこで一生ものの指針となる言葉をもらう…という、子役期おなじみの王道回なんですけど、あの安子と稔さんの孫が、モモケン二代目の演じる黍之丞に会えた図というだけで、何だか無性に泣けてきちゃうんですよ。

・そして2周目だと、このときの当代モモケンの心境にも思いを馳せたくなる。
映画の黍之丞と一味違う派手で明るい立ち回り。ファン一人ひとりと言葉を交わし、花やプレゼントを受け取る気さくさ。できたばかりの映画村で早速サイン会(しかも立ち回りショー付き)を開いてくれたのも、TV版『黍之丞』を背負った当代モモケンなりの矜持と責任感だったはずで。
そんないかにもTVスターらしい当代モモケンが抱えている、銀幕の華だった父とまた別の「分かりやすい」黍之丞を作り上げながら、それでもいいのか迷ってもいた10年の重さ。

「侍になりたいです!」と叫ぶ ひなたに笑顔で返す「志を失わなければ、きっとなれますよ」が、単に最高のファンサというだけでなく、二代目モモケンにとっても大きな意味のある言葉だったことに、2周目では感無量になってしまいますね。
ああ、モモケンがあの「あんこのおまじない」がかかった回転焼きを遂に受け取った…。

・同じく2周目だから湧く感慨で、虚無蔵さんにもますますウチワ振りたくなる。最前列のおちびちゃんに見せる迫真の断末魔演技は、後にお化け屋敷のときも発揮された虚無蔵さんらしいサービス精神だろうし、また、サイン会前座だろうと全力で演じるこれも虚無蔵さんにとっては長い長い「日々鍛錬」の積み重ねの一つだったのか…と思うと、余計に慕わしい。


・ひなたにとっては「壮大な計画」にならざるを得なかった1,500円を、祖父母からのお年玉でさらっと出せる一恵と小夜ちゃん。それに対し一瞬戸惑うものの、変に気後れしたり卑屈になったりもせず、「そっか~…」と笑うだけの ひなたは、やはり素直で良い子だ。

年玉が岩倉具視1人だからこそ、空き瓶をコツコツ拾い続けて遂に1,500円を貯め切ったひなたの達成感と、そこに、かつてジョーの心に突き刺さった黍之丞の「暗闇でしか見えぬものがある」が被る演出。
やはり ひなたの大らかな素直さは、育ちゆえのコンプレックスを持ちながら、「ええとこの子」トミーやベリーと対等に友情を育むことができたジョーさん譲りのものですねえ。

・ジョーが、少なくとも子供たちの面倒をみてくれる役割としてあかね通り商店街に受け入れられているのは、ジョー本人の子供に好かれる資質だけでなく、あの野田家の一子さんが娘を遊びに行かせてるぐらいなんだから大丈夫な人なんやろ、と見られているのも大きそうだ。回転焼きが売れ始めたときと同じく。

・森岡のおじちゃんも、酒を呑まない=買わない大月家に優しくしてくれて、よいお隣さんである。
そして下戸のジョーがやけに実感込めて言う「熱いのん、キュ〜ッと一杯欲しなりますねえ」に、『隠れ里』鑑賞以降ジョーが時代劇寄りで増やしてきた語彙の一端を見るのです。
ほんと京都編のジョーさん、ひなたと朝ドラと時代劇を毎日見ているうちに、語彙や言い回しや一般知識が徐々に増えてきているんだな…と、その繊細な変化が2周目だとよく分かる。

・『およげ!たいやきくん』の歌が流れるテレビ画面に「これのせいや!」と叫んだり、アフロの田中をじとーっと睨みつけたりと、今日の回のるいさんは、大阪編とはまた違うコメディエンヌっぷりが徐々に現れてきて、可愛い。
みかんを剥いて半分渡すジョーさんとの「はい」「ありがとう」の小さなやり取り、お年玉にワクワクする娘を見てのアイコンタクトと、ジョーさんから手渡すようパスする自然な流れに、大月夫婦が積み重ねてきた10年が微笑ましく現れてますねえ…。


・ところでこれは本放送のときもちりとて好き相互さんと話し合ったのですが、年代的に言ってアフロの田中の子があわれの田中だったら面白いなと。強面からあわれへ行ったら急すぎるので、間にワンクッションでアフロを挟むという算段。
 



#067 2月25日(火)


・幾多のモチーフを世代ごとに繰り返しているようでも、るいがジョーを抱きしめて暗闇から取り戻せたり、新天地で始めた店がちゃんと軌道に乗って家族の慎ましい生活が続けられたりと、実は少しずつ変奏し上書きされている『カムカム』京都編。
それはやはり、どうか次の世代はより良い生をという静かな祈りが、百年の物語『カムカム』の基調だからで、今日の回の軽く済んだひなたの怪我は、その最後のピースだったのかもしれない。

最後のいちピースがぱちりと埋まったとき、るいがいよいよ英語、言い換えれば英語に分かち難く結びついた母と向き合えるようになる、このスムーズな構成が2周目の視聴でも本当に気持ちいい。

・『ちりとてちん』で、B子とA子の思春期を散々翻弄させた「同姓同名」の理由がようやく最終回で明かされ、それが存外にしょーもないアホらしさだったとき、2人の悩んで転んで泣いた日々も軽やかに昇華されるようだったオチが、とても好きでして。
ひなたが るいの傷を「旗本退屈男みたいでかっこええな」とさっぱり言う明るさに、それを思い出すのです。

もちろん、るいの額の傷は時代を考えれば深刻にならざるを得ないものだったでしょうが、そんな長年苦しめられた傷から るいをふわっと解放するのは、重たく美しい(例えばジョーを引き戻した海のように)劇的な場面でなく、いつもどおりの日常らしい時代劇オタクな娘の一言。このあっけらかんとした形が、逆に救いの尊さを際立たせている。

・安子と稔、るいとジョー、前の世代が味わった痛み悲しみを ひなたは何も知らずのんびり生きているわけですが、安子と稔が夢見て誓ったひなたの道、るいとジョーが歌ったサッチモ、2つそれぞれの世代で確かにあった幸せな瞬間がどれか一つでも欠ければ、ひなたが産まれなかったことを思うと、本当に、世代を超えてサニーサイドに込められた祈りの具現化が ひなたという子供なんだと実感するのです。
そんな ひなただからこそ、心配かけた母に謝った上で、その額の傷を軽やかに上書きできる。

・「熱海」を「ねっかい」、100枚の補助券で引ける福引の回数=10回を「100回」と誤答しても、「あ~惜しい!」と自信満々で言える ひなたちゃん、どんだけジョーお父ちゃんにのびのび育てられてるの…と眩しくなるんですよ。愛おしい。

「お父ちゃんでよかったら」と話を聞き、悩むひなたと一緒に土管に寄りかかって同じ姿勢で空を見上げるジョー。本人らは真剣なのにどこか可笑しく、そして子供に寄り添うジョーお父ちゃんらしさが現れていて、ちびひなた編で特に好きな構図。

・福引が当たる前提というトンチキさとはいえ、娘の願いをかなえる道筋を全力で考えてくれるし、娘の思考に調子合わせて時代劇用語で会話してくれるし、やっぱりジョーは ひなたにとっていいお父ちゃんだなあ。
るいの願い「なってあげて、この子が大好きなお父さんに」を、今日も全力で守っている。

そしてこの回は、補助券9枚で引かせてー!と無茶言ったり、吉右衛門の失礼な言いようにツッコミ入れたりと、子供らしさ全開の ひなたちゃんに、こらこらと軽く止めるジョーお父ちゃんの姿がしばしば見られ、あのジョーさんが…人をたしなめる側に…一般常識を身に着け始めてる……!とささやかな感動も覚えるのです。

・大月家のヒーローるいが引き当てたラジオ。
ケチ右衛門が、質屋にも売れないような売れ残りを福引の景品にしていたというケチらしさに笑いつつも、かつて戦中に父の吉兵衛が、商店街中から品物をあこぎに買い占めて、それで息子の吉右衛門になじられた末の悲劇を思い返すと、売れ残りとはいえ息子は品物を商店街の皆様へ提供する側になったんだなあ…と、ここにもまた、よき時代の変遷を感じる。


・『およげ!たいやきくん』の曲をぽつり「ええ曲やな」と評するジョーと、それにハッとする るいの顔。
本放送のときは、野球の見守りのときに五線譜をメモしていた=家族には見せていなかったジョーさんの、未だ消えていない音楽への情熱を るいが久々に確認できてハッとした場面なのかと思ったのですが、2周目で見ると、ジョー本人の気持ちはまた違う色合いかもしれないなあと。

後に文ちゃんやトミーに言っていたように、トミーのアルバムを買っても一切聴けなかったのが、この頃のジョーさん。(いやもしかしたら、75年頃だとまだ買うことすらできてなかったかも)
でも、ここで「ええ曲」「みんなが心つかまれんの、分かるわ」と評する言葉は、単なる いち小学生のお父ちゃん目線ではなく、いち音楽家の目線で言っているのが明らかなんですよね。それでいて、どこか淡々と距離を取っているようでもあるジョーの呟きに、トランペットを失った当初のような痛みはない。ジャズから遠い曲が対象なのはあるにせよ。

るいにとっては、ああやはりジョーさんは音楽家なんだと改めて思う言葉だった一方で、ジョーにとっては、後に言う「諦めたというか吹っ切れた」心境に至る一歩手前の、傷つかない自分を確認するような言葉だったのかもしれないなあと思えた、2周目。
 

・ジョーの音楽が静かに潜伏をする中、いよいよ『カムカム』に英語講座が返ってくる。

 

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