カムカムエヴリバディ第10週「1962」
#043 1月22日(水)
・本放送のとき年明け初回だったこの回も、OP前のアバンが割と長い特別構成だったんだなあと改めて。城田ビリーの英語ナレで語られるこれまでのおさらい。るいが抱えるものと、そっと慮る竹村夫妻の温かな優しさ。そして、ベリーさんの歓声で”宇宙人”の名前が「ジョー」と判明したところでOPに入り、彼の名前表記が初めて「宇宙人」から「ジョー」に切り替わるのも見られる、年明けにふさわしい粋な流れ。
・るいがジョーという人間と本格的に出会うだけでなく、ジョーの奏でるジャズ(それは母安子へと繋がる記憶の扉でもある)に魅せられたところで、『アルデバラン』の歌詞「君と私は仲良くなれるかな」が流れるのは、なかなか響く。
・ジョーだのベリーだのトミーだのと明らかに本名じゃない名前が飛び交う小宇宙ナイト&デイに迷い込んで るいが戸惑っていたら、「るい」という名前の本当の由来「サッチモ」をジョーがさらりと言い当てるのが、いかにもお伽噺のような仕掛けなんですよね。
叔父の無邪気な勘違いで野球由来の「塁」とみなされていた岡山を離れ、大阪で初めて るいが”真名”を呼ばれたとき、その由来ごと封印されていた るいの母への思いをも解き始めていくジョーさんは、やはり運命の人だ。
・とはいえ、この頃のジョーさんはまだまだ「全然、会話が成り立たん……」の人だったんだなあとも、懐かしくて、ふふっと笑えてしまう。
その成り立たない会話の合間に、るいの饒舌な心の声を表情豊かに入れていく深津絵里さんのコメディエンヌっぷりが、大阪編前半は特に可笑しい。
・初デートで傷つき、思わず逃げ込んだジャズ喫茶。なのに、なぜか宇宙人ジョーさんのペースに巻き込まれているうち、ジョーさんのケチャップこぼし癖に「洗いてえ…今すぐ洗いてえ…」と夢中になってしまう るいの職業意識が愛おしい、と同時に、惨めでどん底だったはずの17歳るいの心をここまで回復させたのは確かにジョーさんのトランペットだったことに、2周目で涙が出るのです。まっさらな洗濯物が気持ちよく干される「ひなたの道」へ るいを導く、ジョーさんのトランペット。
・そして、このあたりのテキストを ひなたが書いていることも思うと、改めて幸せな気持ちになってしまう。
いっちゃんのお母さんや世界のトミーさんにツッコミ入れまくる若き日の母るいの心の声にはノリノリで筆が走り、ジョーさんのケチャップこぼし癖にはお父ちゃんらしいわあとケラケラ笑いながら書いてそうだし、音源は聞けても見たことはない父のトランペット奏者としての姿には、憧れと小さな痛みと敬意を込め、ありったけの描写力でカッコよく書いている ひなた先生が目に浮かぶ。
#044 1月23日(木)
・新規顧客・木暮さんの褒め言葉に心底嬉しそうなクリーニング店員るいの笑顔が眩しい冒頭。誠実な仕事が次の客を呼び寄せるのは、安子の大阪暮らしが好転し始めたときとも同じで。そんな「堅実でいい商い」に手応えと喜びを覚えているあたり、やはり るいは安子の娘だなあと感じる。
安子がかつておはぎ少年に言った、そして自分も叶えたかった「ちょっとずつ商いを始めて、しっかり生きていかれえよ」の言葉を今、るいが竹村夫妻の下で着々と学び始めていることに、なんだか泣けてくる。
・雑然としているようで、るいが見て取ったとおり「トランペットを吹くこととレコードを聴くこと」それしか目的のない、至ってシンプルなジョーの部屋。音楽以外の部分は粗忽者なジョーさんの性格そのものでありながら、るいが心惹かれていく秘密基地のようなワクワク感も一目で分かる、この朝ドラ美術の真骨頂ですよ…。『カムカム』の中でも特に好きなセットの一つ。
・ここのインスタントコーヒーを介した2人のやり取りもまた、何度聞いても味わい深いんですよね。
新しもの好きだったおじいちゃんを懐かしく思い出す るいの横顔に、安子と別れてから雉真家で過ごした時間が決して心閉ざし暗いだけのものではなかったのが覗えてホッとするし、また竹村夫妻が心配するぐらい普段は遠慮がちな るいが、常連客のはずのジョーに「コーヒーにも失礼です!」と強気に出ている時点で、実はもう無意識に「店員」の枠を超えている。
そして、ジョーさんが「あんまり おいしくない」と言うくせに、インスタントででもコーヒーを常備し飲みたがるのは、やはり定一さんのジャズ喫茶が”故郷”だからなんだろうなあと、しんみりする2周目。
・さりげないところですけど、るいがジョーさんの忘れ物マウスピースを丁寧に紙袋へ入れて持ってきたこと、ジョーもそれをただの部品ではなく、まるで友達か何かのように「迷子」と言い表すところが、生活に根ざした人物描写としてとても愛おしい。
・本人がまだ肯定してないジャズ好きを勝手に推測してジョーが るいを「サッチモちゃん」と呼ぶのは、一見、勇ちゃんの「あんこ」呼びと同じようですけれど、この2人の場合、実は るいのほうが先に想像力豊かに「宇宙人」と勝手に密かなあだ名を付け始め、またそれをジョーのほうも喜び受け入れているんですよね。
安子にとって大事なものに掛けてるようで、しかしずっと一方的だった勇ちゃんの「あんこ」呼びとは違い、「変わった感性」同士が共鳴したあだ名の交換で、実は知らないうちに るいの”真名”を言い当てているジョーの「サッチモちゃん」呼び。
・そんなジョーさんが『On the Sunny side of the Street』を吹き始めたら、今この場に響く美しい音にうっとり聞き惚れ、しかし徐々に記憶の中の触れたくない部分へ思考が潜っていく るいの繊細な表情変化が、ここも見事過ぎて。
・この後の片桐さん来店で、店員としてのお辞儀と笑顔だけを返し、もう額の傷にも何にも触れないでほしい、ただ初恋の思い出だけはありがとうときっぱり線を引く るいの表情もそうですが、ほんと『カムカム』はこういう無言の演技で意味の分厚いシーンが多くて、15分の中で何度も見入ってしまう。
・本放送のとき、いかにも後悔が顔に現れて来店した片桐が、それでも るいに線を引かれてそれ以上踏み込めなかったのは、職業柄さまざまな傷ついた人と接しているからこそプライベートでは逆に躊躇してしまった臆病な優しさなのかな…と思ったのですが、今考えると、彼も「弁護士の卵」である以上、実はまだ るいと同じぐらい未熟な若者なんですよね。安子に英語の世界を教えた稔さんが、千吉から見れば見通しの甘いお坊ちゃんだったように。
るいと同じく、片桐さんもまた自分自身に対し傷ついたのだろうと思うと、あの後のカムカム世界のどこかで彼も、「みんな、間違うんです」な人生をかみ締めながら、いい弁護士になっていったんじゃないかなと思うのです。
そんな想像が容易にできるカムカム世界。
#045 1月24日(金)
・改めて、るいジョー、トミーとベリーの4人が顔合わせする回。この4人のバランスと掛け合い、いかにも藤本作品の”陽”を凝縮した楽しさで、ずっと見ていたくなる。4人をおおらかに包む木暮マスターのチャーミングな安心感も含めて。
またこの4人、歳を取っていくうち自然とそれぞれちょっとずつ性格や言動も変化していきながら、4人のバランス良さだけはずっと変わらないのも大好きなのです。
・るいに立ちはだかるライバルお嬢様のようでいて、ジョーが付けたあだ名「サッチモ」を早速使って呼んでいる時点で実はもう るいを仲間に引き入れているも同然だし、加えて「サッチモぉ~?」と伸ばす語尾にも愛嬌が隠せていないベリーさんが、出会いの初めから慕わしい。このあたりはさすが市川実日子さんの演技。女友達になりたい人物を演らせたら最強の配役。
・語尾といえば、この回で和子さんが るいを思わず叱ってしまうシーンも、濱田マリさんの細かい声のトーンが見事だったなあ。
「しょうもないこと言うんやないの!」と言う、その語尾がもしあと少しでも強ければ見ている側もキツく感じてしまいそうなところ、音をやや下げた「やないの」の柔らかな着地に、ああ和子さんは怒ったというより切ない、遣る瀬ない気持ちなのだと自然と伝わり、その下地にジョーさんの解釈がスッと入ってくる。
・欲しい物は何もないと語る るいを和子さんが叱ったのは、るいと同じ年頃だった戦争中に欲しい服も食べ物も手に入らなかったからでは…と指摘するジョーの鋭い優しさ。
ここで、和子さんと同世代だったろう安子も戦前、パーマネントをかけるささやかな夢も叶わず、可愛らしい服も生業だった甘い菓子もどんどん失っていった過程が自然と思い出されることで、主役交代してもやはり るい編のベースは安子編なのだと再認識させられるし、また作中では語られない和子さんという人の過去も一気に厚みを持って見えてくるのが、三世代の物語ならではの妙趣。
・インスタントのコーヒーを丁寧に入れて「おいしい」と笑顔にさせる。古本屋の手前でばったり出会いレコード屋へ。そしてサマーフェスティバルのお誘い。
家業の甘いおはぎで笑顔にさせ、書店で再会し、夏祭りで仲を深めていった両親の恋と、るいが知らず同じ道を辿っているようでいて、しかしまた要所要所で少しずつズレているところが、親子であることと、当然ながら別人格でもあることとを成立させているんですよね。
三世代に渡っていく反復と変奏と共鳴。
・ジョーの本名「大月錠一郎」の文字を見た るいに掛かるナレーション「るいはこのとき、初めて錠一郎に出会った気がしました」。誰かが心の一角にふと場所を占め始める無意識の瞬間を、何と美しい言い回しで切り取るんだろう。
本当の名前の由来である「サッチモ」で呼ばれながら、違います、野球の塁ですと否定し再び蓋をしそうになった るいが、ここで宇宙人ジョーの本名を教えられ、彼と初めて本当に「出会った気」になる。やはり、名前・呼び名・名付けが言霊レベルで人物も関係性も形作っていく構造が特徴的な藤本脚本で、こう何度も名付けで共鳴を繰り返していく るいとジョーの関係性は『カムカム』の芯なんだなあと胸が熱くなる。
・そして2周目で見ても、”すかした男”トミーさんは、いかにも るいを巡ってジョーと争う女好きキャラのように見せつつ、この頃からもう、るいに興味惹かれてるジョーの様子にこそ興味津々なのが分かりやすくて、微笑ましいなあ。
ついでに、ジョーと同じ指トントンする癖もさりげなくしているのは、脚本もしくは演出なのか、早乙女太一さん御本人の演技解釈なのか、どちらにしてもトミーとジョーの共鳴がこのあたりからも見えていて、ふふっと温かい気持ちになる。
#046 1月27日(月)
・るいの妄想パートが、O・ヘンリーの小説からテレビ番組『私の秘密』へ。世相を表すパロディシーンであるとともに、るいの脳内言語のベースが、岡山でひとり耽っていた読書から、竹村夫妻との温かな食卓で一緒に見るのも馴染んできたテレビへ、移行してきている現れでもあるんだろうなあ。
相変わらずおしゃべりだけど、少しずつ色合いが変わり始めている、るいの心の中の声。
・幸せな疑似母子の買い物、もうすっかり恒例になった竹村夫妻と るいの楽しいやり取り、本当に「このクリーニング店の娘に生まれていたら良かった」と密かに思う るい、というナレーションでほろり温かく切なくさせておいて、サマフェスでジョーの演奏を聞いた るいの記憶に、安子が何度も愛おしく娘を呼ぶ「るい」がリフレインする、というこの回の構成がもうこわい。まんじゅうこわい。
・和子さんの真意を察して るいに教えたように、トミーの音の荒れを率直に指摘するジョーさんは、この回も相変わらず人の心に聡い。
また、ここでトミーに笑って返す「分かってるなら聞くなよ」の言い方が、木暮マスターへの懐き方や るいへの柔らかな興味とはまた違う、真に気の置けない仲でしか出さないだろう ぶっきらぼうさなんですよね。こう見返すとジョーさんのほうも最初から、音楽における自己評価の高さが自分への厳しさであるトミーの、その才能も人柄も大好きなのだとよく分かる。
・アメリカに行くことを考えもしなかったジョーに、「お前というやつは…」と半ば怒りつつ呆れるトミーの、つまりジョーほどの腕ならば当然俺と同じく渡米を志すはずと信じて疑わなかった、その高い評価とジョー本人とのギャップが微笑ましい。
そしてこの片方激重矢印の「お前というやつは…」の言い方、甲子園がなくなったときの勇ちゃんが、自分のことなど眼中にない安子の無邪気な優しさに「何で、お前はそねん…」と泣きたそうな声で返したときのリフレインだわと2周目で気づく。
・雉真繊維を知らなかったジョーさん。もともと興味の濃淡が激しいのもあるだろうけど、ジョーが岡山にいた頃の雉真繊維は軍服製造(=少年のジョーさんには関わりない分野)が主だったし、戦後また雉真の主力が制服に戻った頃には、もうジャズマンについて大阪へ行っていて、それ以降ジョーさんの人生で学生制服と関わる機会はほぼなかったんですよね。
トミーとの何気ない会話にふと、ジョーさんの欠落を抱えた人生が垣間見える。
そんなジョーにとって、ここまで自分に真っ向から絡んでくるトミーの存在は、本当に嬉しくて大切なものだったんだろうなあ。
・それにしても、安子編では、稔のようなエリートお坊ちゃんでやっと渡米の夢を語れるような遠い存在、また圧倒的な豊かさを見せつけられ敗戦の現実を複雑に認めるしかない戦勝国、思いもよらぬ場所だった『アメリカ』という国が、るい編では、「保証人の問題」などまだハードルはあるとはいえ、若者たちが何の気負いも葛藤もなく渡米の夢をあっけらかんと語っていることに、時代の遷移を感じるのです。
やはり『カムカム』は、個人のファミリーストーリーを通して描かれる日米の(特に戦後の)文化受容史だ。るいの中でジャズを通しアメリカなるものと一体化している母安子への、濃淡複雑な感情の移り変わりも含めて。
・…ということを抜きにしても、サマーフェスティバルのシーンは、浮き立つような音楽と聞き入る るいの表情が、ひたすら美しく楽しい。白スーツでヘイ!と観客を煽るトミーも、ふんわり笑顔から軽やかにサッチモ奏で始めるジョーさんも、推しのためにばっちり決めてくるベリーちゃんも、かっこよすぎるんじゃ。
・こう3年ぶりに見ると、『カムカム』ステージシーンの蓄積の先に、毎週1つの高密度ステージショーという偉業を成し遂げた『ブギウギ』もあったんだなあと思う、朝ドラ史。
・そして2周目でもやはり笑ってしまう、トミーが るいを雉真繊維のお嬢さまだと見抜くポイントに入っている「叔父が野球をやっている」点。大阪の音楽エリート一家生まれジャズマンにさえ知られている、岡山県雉真繊維社長の野球大好きっぷり。虹郎さんの勇ちゃんはもちろん、目黒祐樹さんの勇叔父さんでその様子が容易に浮かんじゃうのは、2周目の醍醐味ですね。
#047 1月28日(火)
・『On the Sunny side of the Street』から『アルデバラン』へ、音楽としての繋がりが滑らかなことに気づく、この回のOP入り演出。るいと安子に重なる歌詞「君と私は仲良くなれるかな」が今日は一層、るいの記憶の底で母と分かち難く結びついている歌に重なって、切なく響く。
もう安子のこと、入学式の日の”裏切り”だけでなく、大阪時代の優しく幸せな日々までしっかり思い出し始めてるじゃないか、るい……。
・「あなたのため」の行動がすれ違って全てを台無しにしてしまう『善女のパン』。本放送のとき、ああこれは、るいの記憶の底にある母安子や周囲の大人たちのことであり、そしてサニーサイドを吹いて るいの忘れたい記憶を開けてしまったジョーさんでもあるのか…と思っていたのですが、2周目で見ると、ここで曲を拒絶し飛び出した るいをジョーが追いかけてきた、つまりあのとき安子がしたくてもできなかったことをジョーが今したことで、『善女のパン』の繰り返しに一筋の光が差したんだなあと気づく。
安子と稔の初恋をなぞっているようでいて、しかし、サマーフェスティバル=夏祭りの途中で飛び出した るいを追いかけるジョー、そして今度は別の夏祭り=地蔵盆でジョーのもとへ駆けつける るい、2人で安子の時代と違うモチーフを日向の道に重ね始めているんですね。
安子と違う結末を るいが掴み取れた大阪編クライマックスへ、準備がもう始まっている。
・地蔵盆のシーン。物干し台から祭りを楽しげに見つめる るいと、子供らに囲まれて祭りを堪能するジョー、どちらにも真っ白な夏の日差しが優しく降り注いでいて、まさに「Sunny side」という画が鮮やかで美しい。
そんな白い日差しの下で、洗濯という仕事に過去からの逃亡と まっさらな人生への希望を重ねてきた るいが、自分の捨てたい記憶の扉をこじ開けてきた人のもとへ自ら駆けつけ、ふっと笑い、「私ぁクリーニング屋なんじゃから」と服の汚れを拭いてやる、この受容の意味ですよ…。
本当に『カムカム』るい編、ただでさえ3世代のスピード展開、しかもコロナ影響ゆえ少ない話数だったのに、るいジョーの2人が徐々に距離を詰めていく描写がこんなにも繊細だったんだな…と改めて溜め息出る。るいもジョーも重たいものを抱えている同士、互いのそれを壊さず怯えず、しっかり少しずつ触れていける同士だ。
・本放送時の年末年始回を挟んだので、今週から週をまたいで放送が続くようになりましたが、今日再放送の回(第10週の金曜日)と明日再放送の回(第11週の月曜日)は案外、続けて見てこそ余計に沁みる回かもしれない。これもまた再放送ならではの楽しさだ。
・木暮マスターが語るように、ジョーにとってもサニーサイドは「特別」な曲。
だからこそジョーにとって、たまたま会った店員の名がサッチモを思わせる「るい」だったのも、その子が懐かしい岡山訛りなのも、そして自分がふと吹いたサニーサイドに涙を流すほど「特別」らしい様子なのも、るいに会うたび付加されていく情報の何もかもが運命に思えたんだろうなあ…と、胸がギュッとなりますね。
そんな るいへの接し方にあざとさが全くない奇跡のようなジョーという人間が、ぽわぽわした柔らかさで実在感を持っている様に、なるほどこれが藤本さんご指名のアテガキ…と2周目でも深く納得しているのです。

