カムカム再放送第7週
2025/01/10(Fri)13:41

カムカムエヴリバディ第7週「1948-1951」

#031 1月6日(月)

 
・今年の大河が始まり、朝ドラ通常スケジュールも再開しで、あー正月休みも開けて平常運行になったんだなーと実感する月曜日。というわけで、今年ものんびりとカムカム再放送追いかけの2周目感想を呟いていきます。

・帰還した兄に出征中の出来事を一気に説明する安子と、その情報量に圧倒される算太。奇しくも年明け1回目がこの回だったことで、安子怒涛の人生を振り返る区切りにもなっているのが、再放送タイミングの妙。

・ひたすら安子が奪われていった第4週の悲劇(間違いなく悲劇)も、算太にかかれば「4人一緒じゃったら、そっちの方が賑やかじゃろう」となる。これを安子に言えるのは算太しかいないし、これをあっさり言えることこそ算太の取り柄でニンなんですよね。たとえ金太の言うとおり「どうしようもねえ悪たれ」だとしても。

・そして、一見その悪たれらしい振る舞いをしてしまう算太の、奥底にある哀しみをちゃんと見抜いて受け止められるのがほかでもない、息子が戦死して半分正気を失い、今も哀しみの中に浸りきってた美都里さんだという巡り方ですよ…。

・母を亡くした息子と、息子を亡くした母、という凸凹の一致という以上に、この2人、哀しみの表し方における不器用さが実はすごく似た者同士だったと2周目で改めて強く思う。
稔を亡くした哀しみを「母さんのそういう態度がみんなを追い詰めとる」と勇に責められるような言動でしか表現できなかった美都里。やっと帰還したら最も謝りたかった両親が既に死んでいた虚しさを、妹がいたたまれなくなるほどの露悪的態度でヘラヘラごまかしてしまう算太。

・稔の母として哀しみに浸る余力しか残っていない美都里さんでなければ、空嘯く算太は抱きしめられなかったし、何もかも茶化さずにいられない算太でなければ、安子に身内の死を「4人一緒で賑やか」だとクスリ笑わせてやることもできなかった。
『カムカム』では、例えば金太とおはぎ少年のように、百年の中で静かなさざ波を起こしていく偶然の出会いが幾つも描かれますけれど、そこで互いを動かすのは人の美徳だけとは限らず、時には”弱さ”でさえ誰かにとっての救いになり得るという描き方が、藤本脚本の好きなところなのです。今日の回の美都里と算太は、その点で特に印象深い。

・それにしても、第19回で金太が亡くなる直前の夢に現れ、ご婦人からおはぎ代をかすめ取った話を嬉々として語る幻の「算太」と、今日の回で南方の戦地話を無声映画仕立てで語り肝心のことは煙に巻く現実の算太。どちらも虚実の境目を巧みに行き来しつつ、乗せる感情の微妙な違いを演じ分けている濱田岳さんの演技は、やはりすごいなあ。
この自由奔放な語り、そして安子編ラストでの行動とその後に背負い続けたものも含め、『カムカム』の中でも特に藤本脚本らしい人物が算太だと思うので、その演技に痺れるたび、算太を演ってくださってありがとうございます…の気持ちになる。

 



#032 1月7日(火)


・他人の家の布団で目覚めた算太が、ふと聞こえてきた懐かしい声にひかれて台所に向かい、あんこ炊きの様子を愛おしそうに眺める。この図だけで、ああ……となってしまうのは2周目の感慨。

・南方で死にかけたときに夢見たぐらい、やはり算太にとって実家のおはぎと餡の味は特別で。それでも、二度とそれが食べられなくなるようなぶち壊しを自らしてしまう、もはや人間の”業”としか言いようのないものを、甘く擁護はしないし正しさで糾弾もしない、そのまま作中世界にゴロンと描き出すのが藤本脚本の好きなところなんだよな…と、算太のたちばな再建話=いよいよ安子編最終章への始まりに震えている。

・もしここで算太=橘家の長男が再建を言い出さなければ、安子は恐らく、るいの手術費という名目で小さな商いは頑張って続けたとしても、たちばな再建までは考えつけなかったでしょうし、そもそも女性だけでは正規の店舗を借りたり融資なども実質無理だったはず。少なくとも、るいとの決定的な決裂へ繋がるスイッチはつかなかったでしょう。
本放送のときはただ穏やかな「戦争の終わり」回に見えていましたけど、これほんと分岐点の回だったんですねえ…。

・とはいえ、ただ るいの手術費という建前だけでは、いつか雉真安子としてのおはぎ売りは諦めざるを得なくなっていたかもしれず、「金太の意志を継いだ長男算太のたちばな再建を支える」という目的は、戦争というイレギュラーで念願のおはぎ作りを受け継ぎ必死に自活を試みた安子にとって、まさに奇貨だったわけで。
どちらが幸せだったのかなど、きっと安子にも周りにも分からない。それは2周目を見守るこちらにも。

・美都里さんの穏やかな最期は、”死ぬ前はいい人になる”現象というより、稔を突然喪った哀しみや、身近な安子へぶつけた見当違いの恨みなど、激しい感情が体の衰えとともに取り払われていき、最後の最後に芯として残っていたのはただ息子たちなど身内への愛情だった、という姿のように思う。
その辛うじて残っていたものをたまたま目の前の人へ発露することが、算太を救い、るいには父の思い出を分かち合う優しい語らいになる。この巡り方。

・安子に初めて会ったあの日、稔がたちばなで買い物したことを「そのとき稔を知ったんじゃね」と、まるで安子が一方的に近づいたかのように言っていた美都里さんが、今は穏やかに「おはぎゅう買うてきてくれた」思い出として、るいに話すんですよね。
美都里さんにとって御菓子司たちばなが、気に入らない嫁と可愛い息子が出会ってしまった場所でなく、帰省のお土産をうっかり買いそびれた息子が、それでも何か持って帰ろうと商店街にわざわざ立ち寄ってくれた、そんな微笑ましい気遣いの思い出として、今は記憶されている。
安子との間に流れる穏やかな空気も、その現れなんだろうなあ。
だから今ようやく、安子のアイデンティティ「甘いものを食べれば人は笑顔になる」が、稔の子るいを通して美都里の中にスッと素直に入っていく描写が、とても優しい。

・そんな、ひたすら息子を愛することが人生だった美都里さんを送り出すナレーションが、「稔のいる空の向こうへと旅立ちました」であることにも、やはり藤本脚本の人への眼差しを思うのです。
この後も百年の中で、亡くなっていく人をそっと見送る言葉が、とても温かいんですよね、『カムカム』は。

・そしてこの回は、喫茶店のさりげない邂逅に、何も言えなくなる2周目。ああもう何度も経験してるのに、分かってるのに、やっぱり転げまわってしまう、藤本脚本は2周目が本番んん……!

 



#033 1月8日(水)

 

・るいがもうすぐ入学する雛丘小の制服を嬉しそうに囲む、雉真家の団らん。
一家が大事に育ててきた稔の娘るいが遂に小学生…という感慨だけでなく、「軍服の雉真」から「制服の雉真」にようやく戻れた象徴という意味で、これもまた雉真家にとって「長かった戦争の終わり」だったんだろうなあ。

・かつて敵国だったアメリカ軍とは草野球での”対戦”を申し込まれる。進駐軍撤退とともにジャズマンは都会へ行き、ディッパーマウスブルースは元の喫茶店に。アメリカ軍のロバートが定一の体を気遣い、彼のために息子を探し、何より定一自身がそれを受け入れている。
少しずつ進む敗戦からの立ち直りと、そこにピリッと一言入る「朝鮮戦争特需」の複雑さと。

・本放送時の感想再掲。

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このあたり、何もかも順調に見えるし、誰もがただ目の前の最善を選ぼうとしているだけに過ぎない、でも些細なズレがどんどん積み重なっていく不穏さに本放送のときドキドキしていたけど、2周目で見ても、息を詰めてしまうな…。

・ところで、千吉と勇の話を聞いてひっそり泣いていた雪衣さんに、本放送のときは、密かに片思いしていた(でも決して届かない)人がとうとう結婚してしまう現実に泣いているのかと見ていたのですが、2周目で、この後に勇の謝罪へ示す態度や妊娠のタイミングなど分かった上で見ると、もしかして、このとき既にそういう関係はしばしば持っていた可能性もあるんだろうか、とふと。いかにもお坊ちゃんな勇と、古風な(安子の生き方が理解できない)女中の雪衣、どちらも戦前の意識をまだ引きずった家の中での関係として。それを割り切っていたはずでも、なお割り切れていなかった雪衣さんの涙だった可能性。

・どちらにしても、いかに女性へのアプローチが下手くそにせよ、算太の間の悪さが気の毒なのには変わりない。
大阪時代、女たちに貢がれていた(強面の田中・談)のも、男として見られていたというより、ペットかマスコット的な可愛がられ方をされていたんかな…。

・ディッパーマウスブルースのシーンで、安子とるいの後ろにさりげなく映るカップル。男性がえらい真剣に相手のカップへ砂糖を入れ、女性(パーマネント!)はそのコーヒーを両手で大事に抱えて飲んでいて、微笑ましくなる。かつての稔と安子のようなこの2人にとっても、この日安子のリクエストでかかった曲『sunny side of the street』は、特別な曲になるのかもしれないんですよね。細やかで甘い繰り返し。
『べっぴんさん』第7週でも特に印象深かった、モブにも物語を含ませるもじり演出のカラーが、『カムカム』では世代を超えた繰り返し、偶然の出会いと反復という形で魅力を発揮しているなあと思うのです。脚本と演出の相乗効果。

・そして、こう稔は「お砂糖は幾つ入れる?」と安子の意志を聞いてくれる人だったことが自然と思い出されたところで出てくるのが、安子不在で勝手に決意してしまう勇ちゃんの図なんですよ……。
自分と稔兄さんは違うと受け入れ、野球バカのまま立派な跡継ぎになれたからこそ、変わらないし変われない勇ちゃんの長所と短所が、浮かび上がってくる。

 



#034 1月9日(木)


・そうか、木漏れ日と雪衣さん爆発は、同じ回だったかあ……。
ロバートが木漏れ日を「光と影のダンス」と美しく表現した回に、ぶわっと溢れてしまった雪衣の深い「影」と、少女のようにひなたの道を飛び跳ねる安子の「光」とが、ゆらゆらと交錯している。

・とうとう言ってはならないことを言ってしまった雪衣さん。
当時の価値観で言えば女中の分を明らかに超えてるんですけど、その雪衣さんが安子の振る舞いを雉真の元嫁にふさわしくない我が儘だと指摘する、それもまた当時の価値観で言えば当たり前ではあるんですよねえ。
稔さんへの思いを抱えて「ひなたの道」を追い求める安子の行動も、雪衣の苛立ちも、どちらも当人にとっては切実なものとして周到に積み上げられていくのが、とても苦しい。

・ほんとここ、雉真に戻ってからの安子の(本人にとってはそう生きるしかない)行動、事情を知らない周囲にはどう見えているか、やっぱり全部織り込み済みで描いてたんですね、そりゃそうですねええええと本放送のときは頭抱えた。

・算太を通し「何でこの家におるんですか?」と安子への苛立ちをぶつけてしまう雪衣に、『ちりとてちん』B子の「なんでA子がおるん?」「私の居場所に入ってこんといて!」を思い出さざるを得ないんですよ…。ただ平和に好きな方の傍で女中としてお仕えできればと思っていただろう雪衣にとって、いきなり現れて雉真家で大事にされてる(ように見える)安子の存在が、どれだけ心かき乱されるものだったか、2周目だと余計に伝わってきて。

・光と影が交錯する「木漏れ日」を好ましく思うロバートの視座は、この後「ひなたの道」と同列に「暗闇でしか見えぬものがある」も主題になっていく『カムカム』という作品そのものなんですよね。
それを思うと、雪衣の「影」が色濃く出た激昂も、この百年の物語の一部として、いたわしく思えるのです。

・それにしても、安子以上に宙ぶらりんな居候の立場ゆえ、辛うじて「女中として背広の繕いを頼む」アプローチで「家族みたいなもの」という細い関係を繋ぐしかできず、余計に雪衣の不満を買い、男の一番つらいプライドをグサリ刺されちゃう算太の空回りがどんどん不憫になっていく。
飄々と口八丁で渡り歩いていくようでいて、実は案外、肝心の人に対しては不器用なんですよねえ。それはもうこの先も最期まで。

・先を知っているせいでついカウントダウンしてしまうのは2周目視聴の「影」ですけど、とりあえずこの回は、安子とロバートにかかる木漏れ日の美しさ、安子とるい母子が仲睦まじく進める春の準備、ロバートと神社で待ち合わせするシーンでかかる軽やかな音楽という「光」も、微笑ましく味わいたい。
あと、孫にでれでれな千吉。あまり高いものは…と至極真っ当な嫁の遠慮に「何ゅう言よんじゃ!」と裏返り声で反論しちゃうおじいちゃん、かわいい。



#035 1月9日(金)


・雪衣は雪衣なりに、ここで一度は女中としての”分”を守って前向きに思いを断ち切ろうとしていたことに、しんみりしてしまう2周目。るいを挟んで親しげに話す勇と安子をずっと見ているし、ましてロバートの存在など知る由もない、そして家長千吉の言葉を聞いてしまった雪衣にしてみれば、この時点では確かに彼女なりの善意だったんだよなあ…。
それが勇ちゃんに余計な火をつけるとは思いもせず。

・2周目でこの後の展開が分かっているから思うんですが、どんなに一途にヒロインを想い続け助力してくれる好ましいキャラクターだとしても、「好きな子を(相手に否定される)あだ名でからかい続ける」「相手の意向を聞かないうちに勝手に決定する」点は作品世界中で肯定されないんですよね(るいジョー世代では、これが変奏的に繰り返され、違う形で悲劇が回避される)。だから勇ちゃんは、どんなにイイやつだとしても決して選ばれない。
それを考えると、子どもの頃よく安子をからかったという勇の昔話を、雪衣が「そんなに小せえ頃から好きじゃったんですね」と微笑ましく好ましいものとして受け止める一方で、その同じ回に、相手の意向を確かめ「すぐじゃなくて結構です」と言いながら、お互いを名前で呼び合い始める安子とロバートの描写が入る対比が、何とも象徴的だなあと。
勇が安子に選ばれない理由と同様に、雪衣が安子を理解できず相容れない理由もここに現れている。

・しかし、野球で勝つことと安子の心を得ることとはイコールで結べるものではない、と戦前の挫折で気付けるはずだったものを、甲子園中止で直接的に理解する機会自体を逸したままだった上に、なまじ雉真繊維における会社業績と野球部チームワークの比例という大きな成功体験を得てしまったものだから、いま再び同じ図式を当てはめようとする勇ちゃん、いろいろな意味で戦後日本的というか、何というか。

・このタイプの坊っちゃんが経営者として、家族的雰囲気もある雉真繊維をそれなりの企業として高度経済成長期にグイグイ引っ張っていけるのは、それもすごく分かる気がするんですよ、うん。

・今も変わらず亡き妻のため花を買うロバートを見つめる安子の表情。どことなく、自分もまだ稔を慕い続けること(それはロバートに言われたように英語を学ぶことと不可分でもある)を肯定された安堵も見えるんですよね。
 安子と稔はどこまでも「恋人」でそれは一方の死で永遠に固定されたけど、安子とロバートの関係は、どちらも愛しい人を亡くした大きな共通体験を分かち合える「パートナー」と呼びたくなる。
だからやはり、あずきのおまじないの途中で声を掛けてしまう勇ちゃんに勝ち目はないんである。

・本放送時の感想再掲。

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ほんと安子編後半は、特別な才能や強運、頼りになる地縁や実家財産があるわけでもない主人公が、あの時代あの境遇で、それでも何か自分の選んだものを頑固に守ろうと願えばどうなっていくかという、一つのシミュレーションとして胃が痛む内容だな…と2周目でもつくづく思う。
それでも、安子が重ねてきた選択それぞれを間違っているなど決して言えないのは、例えば今日の回で、聞き慣れたあんこのおまじないを英訳されて「安子自身がおまじないをかけられたような心地」で新鮮に思う、そんな安子の小さな喜びやときめきが大切に描かれているからなんですよね。これを手放せなどと誰が言えようか。


・朝のあんこ炊きで唱えるおまじないは英語になり、そして来週はいよいよあの回を超えて、るい編に突入か…。
本放送のとき、この週末にあった予告編、登場人物それぞれが呼ぶ「るい」が重ねられていくだけというの構成がすごく好きだったなあ。誰もがるいの幸せを願っている、でも肝心のるいの気持ちは誰も聞かない。誰もが少しずつ間違っていて、少しずつ愚かで、でも必死に生きている。そんな安子編のクライマックス。

・今日の回で、一見ほのぼのしていた算太から雪衣へのチャップリンダンス。しかしあの元ネタ『街の灯』ラストでチャップリンがヒロインに言う「You can see now?」が、単なる視力回復を指すだけでなく、今見ているのは、盲目時に思い描いてた想像上の金持ち紳士なのか、それとも目の前にいる放浪紳士の愛を真っ直ぐ見ているのかと問いかけるダブルミーニングだったのを思うと、現時点で登場人物たち全員、何かを見落としていないか?と問われているようにも思うのです。

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